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自分の在り方を変えたら、現実も変わった~前を向いて走るだけじゃわからなかったこと〜

最近、自分の感じ方・捉え方を一変させるような出来事を体験した。

9月の敬老の日がある3連休に、とある「自分と向き合う合宿」に参加した。今から書き連ねていくのは、これまでの自分はどういう人間だったか、そしてその3日間で何を体験し、気づき、どう行動を変えたのか。その後日常で起きた変化について。簡単に言うと、どんな人にも自分の人生には光と影があり、これまで光しか見てなかったところを今回は自分の影を見ることができて、そこに大きな気づきがあって、ぱーっと開いた感じがした。

きっかけ

きっかけは友人の紹介で、彼がその合宿の参加後、あまり思ってることを言わないところがあったのに、素直にフィードバックをくれるようになった変化を見て興味が湧いたから。彼と対話しているとすごく僕と向き合ってくれているように感じて、彼の言葉に感化された。

はじめの参加目的は、自分の人生のビジョンを描いて、それに向かって邁進したい!だった。言葉にするとキレイゴトで恥ずかしい感じもするが、何というか熱中するもの・目標を見つけたいと感じた。

受講前の自分

僕はどんな人間だったかというと、小学校の頃からクラスの中心タイプで生きてきた。声や身長の大きさ・担ってきた役割から、存在感があって、影響力のある人間だったと思う。資質でいうならば、強さ・責任感・リーダーシップ、そんなものを握りしめていて、先頭に立つタイプの人間だった。

これまでの僕のキャリアは、現在24歳で、学生時代のインターン2年、社会人として1年半という歴。

学生インターンの頃は、毎日死にもの狂いでハードに働いた。社会人になってからの1年半は正直なところ何か虚無感・無力感を感じる日々が多かった。いわゆる燃え尽き症候群みたいな感じ。同時に自分のキャリアは順調にステップアップしているだろうかという焦燥感をいつも感じていた。こういう状態が続くと、未来の不安を考えたり、過去のことに囚われたり、とにかく今に集中できなくなってくるのだ。本当に仕事をやりきれないし、手に付かない空虚な日々を過ごしていた。いつしか周りに軸をおいて、被害者意識で働くようになり、会社が〜、上司が〜と言い訳をするようになることが多くなっていた。主語を周りにおいたり、一般論をそれっぽく言ってみたり。周りを主語に置いて、自分に軸がないから、振り回されていたそういう自分がいることにも薄々気づいていた。だから早くそういう状態を脱したいなという思いがあった。

よく「自分探しの旅」なんて言われるが、自分なりにできることとしてリトリートやコーチングを、月1くらいの頻度でやってはいた。思いつく自分なりのアクションはしていた。

いつも思うのは、自分探ししていても自分がないなぁ、何も湧いてこないなぁと。でもビジョンが描ければ、それに向かって走れるんだ!と思っていた。

そういったものが参加前の目的・動機。

合宿での体験

その合宿は、3日間のワークや講義+4日目に2時間のインタビューという構成。年齢も職業もバックグラウンドが全く異なる人達30名が集まっていた。3日間の一つ一つどれをとっても壮絶な体験だった。日常では考えることのない、深い部分まで自分と向き合えた。人生の棚卸しでライフチャートを書いたり、色んな自己との向き合いはこれまでやってきたが、今回はこれまでの10倍くらい強烈な体験だった。

(※ワークの具体的な内容については省略)


今考えると、セミナーや研修なんてネーミングじゃなくて、「精神と時の部屋」という表現がしっくり来る。

最も印象に残っている体験

2日目の夜、あるワークの後に、そのワークのメッセージ性と重ね合わせて、これまでの人生の生き方を見つめてみる、そしてその日は、その後誰とも話さない時間を作った。

そこで、これまでの対人関係をテーマに瞑想をした。
瞑想していると、なぜか人が去っていくシーンが思い出された。

インターンをしていた時は、本当に多くの仲間と出会った(約2年で約200名。今回こういう機会があったのもその仲間のおかげでもあります)。一方ですぐに辞めてしまう人も少なからずいた。思い出すのは職場の人が去っていくシーンばかりで、そのトリガーとなる出来事・シーンが4〜5個、頭の中に浮かんだ。

例えばこんなシーン。当時五反田のマンションの一室のオフィスに、ある新人の子(名前を思い出せないのが悔しい)と同僚の女子と僕で居た時のこと。新人の子は、まだわからないことが多いので、僕に色々と質問してきた。それに対して僕は、PCに向かって仕事しながら、目も合わせず片手間に質問に答えていたらしい。

その時、同僚の女子に「お前、人の目見て話せよ、その態度有り得ないぞ」って言われた。当時は、その意味がわからず、特に何も感じずにごめんごめんという態度だったと思う。確かその新人の子はすぐに辞めてしまった。3年前の出来事なのに覚えてたので、どこか心に残っていたのだろう。

もちろん、辞めていった本人にも問題はあると思う。100%僕のせいとまでは思わない。でも自分は当時チームリーダーで、確実に自分の振る舞いが、新人の子がすぐにやめてしまったことに影響させていたなと思った。もしかしたら僕の言動行動で変わることもあったかもしれないと。

そのシーンを回想している時にイヤ〜な感じが込み上げてきた。言葉にすると、過去の自分への罪悪感・嫌悪感・加害者意識なんだと思う。気づいたら涙が溢れてきてた。泣くなんて本当に久しぶりだった。

もしかして、、、と色々振り返った。

僕は小学生の頃、学級委員長をやるようなタイプで、その頃から他者に承認される気持ち良さを知っていた。だからそれが当たり前になって、インターン時代も当時、自分はとにかく成長したい、自分が自分がって思ってた。それは周りの人がいたから成立してた、周りの人たちと支え合っていたことに気づかなかった。本当に周りが見えていなかった。

極端に言うと、人との関わり方・コミュニケーションの取り方が自分の主張が10で相手の受容が0だったなと思った。

過去の恋愛もそれを物語っていた。僕の恋愛にはパターンがあることに気づいた。

相手が僕に好意を示す→僕も意識して好きになる→僕が告白して付き合う→時が経って相手に振られる

全部このパターンだった。ツラで惹けても、内面でフラれてた。どうりで身長183センチあってもいまいちモテないわけだ笑 今ならなんとなく分かる。

直近でも去っていった人1人が思い浮かび、自分の主張10で受容が0だった自分の振る舞いに気づいた。人の話を情報としてしか記憶していなく、ちゃんと人の話を聴けてなかった。

色んなシーンを振り返った。セリフにすると「24年間何やってたんだ俺―」という感情こみ上げてきた。なんでそんなことしてきたんだろうって思った。どのシーンでも加害者意識が湧いてきた。 

そんなイヤな感情が湧いて、その日は終わった。

回想したことを発表

3日目の朝、参加者30人の前でその夜の体験を分かち合った。手を挙げてたらたまたま僕が4番目に当たったという経緯。

参加者の前でだいたい上記の回想シーンと同じことを話したと思う。正直結構疲れていて、頭がボーッとしていたし、記憶はあんまりない。でも、それがかえって良くて、考えることをやめて、感じたことをそのまま話せた気がするし、感情では覚えている。むしろあのみんなの前で分かち合った瞬間は頭と心が繋がって、自然と湧いてきた言葉を話していた。

上記に書いた、こんなことを回想してました、ということを話しているうちに、前の晩と同じ、自己嫌悪、罪悪感、自己否定が湧いてきた。話すうちにどんどん過去の自分が許せなくなった。やりきれない思いがこみあげてきた。「24年間俺は何をやってきたんだ。。。」セリフにするとそんな感じ。気づいたら話しながらみんなの前でボロ泣きしてた。1人で振り返ってた時の比じゃないくらい泣いた。あの日は人生の記憶のある中で一番泣いたってくらい。

これが一番印象に残ってるし、ターニングポイントだったと思う。

今まで対人関係は上手くやってきたと思ったし、周りにもそう言ってきた。でももしかしたら、そうじゃなくて、そうじゃなかったとしたら、俺は誰とも上手くやれてなかったのか、と過去の自分を全否定してしまった自分がいた

一通り話した後、「過去の自分への罪悪感と自己嫌悪が止まらないけど、今後どうしていけばいいかは今はわからない。何をしていくか決めれていない。」と言ってその時は終わった。

その後の休憩時間に変化が起きて、みんなが声をかけてくれた。
「罪悪感があるということは、前に進みたいということだよ。」
「その気持ちを回想シーンに出てきた人に伝えてみたらどう?その想いを消化すれば絶対前に進める。会えない人でも心のなかで言えば伝わる。会える人には会いに行けばいい。」
「かっこつけずに、ありのままで話していたね。」
「俺もそういう思いあったし、共感したよ。」
「自分のことかと思ってもらい泣きした。」
そんな言葉をもらったり、今後どうしていけばいいか提案をくれたりもした。

正直に話してよかったって思うし、話しかけてくれたことが嬉しかった。初対面の人でもすごく僕のこと理解してくれた気がして、人を信じてもいいんだという気持ちも湧いてきた。なんかこの瞬間から心が晴れたような感覚があった。

言われて気づいたのは、罪悪感があるということは、本当は自分はそう在りたくなかったんだということ。なんで本当はそうしたくなかったのに、そういう振る舞い・行動をしてきたのだろうか。それは、過去の自分が責任感、周りがやらなきゃ俺がやるぞという思いが強すぎるあまり、独りよがりになってしまっていたのだと思う。僕は本当に未熟だなと感じた。

でも発表の時に30人の前で泣いてすっきりした。あれだけ泣いたのですっきりした。感情に素直になれた感じがした。まるで子供の頃に戻ったみたいに。

家族関係にも向き合う

3日目の午後は、家族に目を向ける時間があった。自分は、これまで対人関係と同様に家族とも上手くやってきたと言ってきた。

母も父も連絡をとるし、学生時代の野球の支援もしてもらってきた。いつも感謝も伝えてきた。僕と両親との関係は良好だ。

僕に無償の愛を与えてくれ、自己肯定感の高い人間に育ててくれたことは、本当に感謝している。

でも今一つだけ両親に伝えたいとしたら、それぞれに「本当は二人とも仲良くしてほしかった」という言葉が出てきた。

うちの家族は父と母の仲は亀裂が入っていて、言葉を交わさない。食事の際も、どちらかがすぐに済ませて居なくなるので、4人で楽しく食卓を囲んだ記憶はなかった。

「家族全員で楽しく食卓を囲む」ということは自分の中で未完了の体験として、ずっと残っていたのかもしれないと気づいた。

家族関係は人間関係の縮図とも言われており、僕は母の前では、母にウケる態度でいて、父の前では、父にウケる態度で接していたことに気づいた。

また姉の反抗期が強かったのもあって、迷惑をかけちゃいけない、いい子でいなきゃという振る舞いをしていたようにも思えて、自分を押し殺していたのかなぁなんて思う。

これが僕の対人関係にも影響して、人によって態度を変えるような八方美人な人格ができたのかもしれないと思っている。

ビジョンを描く

泣いて、家族関係を振り返り、最後に自分のビジョンを考えた。

そこで、家族と仕事の2つをイメージした。

そこで出てきたのが、
「家族4人で楽しく会話しながら飲んでいる」と
「オフィスで、仲間と楽しく雑談してる風景」だった。

こんなの自分がやればできる、すぐできるじゃん、って思った。
その程度しか描けないけど、その程度すら実現できてないんだ。

今回の気づきは当初持って帰るぞ!と思ってたものと違うが、人としての根本の部分に気づけた。

インタビュー

最終日のインタビューを受けたときも、印象に残った部分でみんなの前でボロ泣きしたシーンを挙げた。このときも、話しながら、その時の感情が湧いてきて、泣いてしまった。(今までの人生で泣いたことなんてないから簡単すぎてびっくり。)

あぁこれ思い出すたびに、話すたびに毎回泣くな。そう思った。
だから、とにかく、この気持ちを消化したかった。

そして、インタビューでは下記のことをやるって決めた。
・どんな時も人に話す時、話を聴くときは人と目を合わせる。
・家族4人の食事の場を設定する
・罪悪感の湧いたシーンに出てきた人たちに会いに行って、今気づいたこと、謝罪や感謝など正直な気持ちを伝える。
・自己承認をあげるために、「もういいや」って心の中で思った時に、もう一つやる!

日常での変化

合宿が終わって、日常に戻った。その日は出社する予定があった(リモートで働くという選択肢が当然のようにある)ので会社に行った。

オフィスに行ったら、元気な挨拶が勝手に発動した。お土産なんて買う柄じゃなかったのに、買って配った。

周りの反応にも変化があった。
「雰囲気和らいだね」
「目が笑うようになったね」
「声のトーンが上がった」
「なんか親切ですね」
「楽しそうですね」

今はオンラインですら、チャットですら、変わったねって言われる。


もうめちゃくちゃ嬉しかった。みんな僕の内面で起きた変化なんか知るはずないのに、印象変わった!って言ってもらえた。人ってすごいなって思ったし、伝わるんだ!!って感動した。

もう一つの変化は、人の目を見て話を聞いていると、その人から色々なことを自然に感じ取れるようになった。だから人と会う・話すということの意味が一変した。

これまでは、飲み会とか入ってると、どうしても損得勘定で「どんな人が集まるか」「何か有益な情報は得られるか」「飲み会に生産性はない」そんなことばかり考えていた。でも今は、うわ、この人と話せるのか!どんな時間にしようかな、楽しみ!ってワクワクする。自分でも信じられないくらいの変化だ。

この2週間で、行動目標に入れていた色んな人に会いに行った。罪悪感を消化するために、過去の回想シーンに出てきた人と毎日飲みながら語ってる。この体験を分かち合っている。いずれにも言えることは、正直に話すと必ず関係性が前進する。

今はちょっとずつ罪悪感が消化できて、この体験を分かち合っても、泣かなくった。

あと充足感も前よりはちょっとある。自己承認ができるようになった証拠だと思う。


今回のこの体験は、これまで前だけ向いて走ってきた人生だったけど、立ち止まって見て、自分の中に自己を投影して、そこに影が見えてたくさんの気づきがあった。そして在り方を変えようとなる部分もあった。ちゃんと向き合えた自分の素直さも称賛したい。

今は在り方が少し定まった気がして、この在り方が定まった状態でアクションを起こせば、前より楽しい日々を過ごせそうだなって思う。

ここまで読んでくれてありがとうございました。