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【文章講座その2】マジか!自分の文章を自分で判定できなきゃ、永遠に文章に自信を持てないままだ。

「三角形の合同条件言ってみて」

「え〜と、二つの辺のその挟む角でしょ?」

「違うぞ! 『二つの辺とその挟む角』だ!!」

「おんなじじゃんww」

「違うわ! お前が言った『の』じゃ、角しか示してない。『と』を使って初めて合同条件が成立するんだ」

「そこまで見るの?」

「見る! それが論理だ。こうやって説明すれば、基本的にお前が話したことを世界中のどんな奴も理解できる。歴史的にどんな過去にいた奴にも、どんな遠い未来の奴にだって絶対に通じるんだ」

「それが数学の凄いところだ」

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僕は三年浪人をしたけど、忘れもしない二浪目だった。本格的に小論文に取り組み始めて、当時ラジオ講座で小論文を担当されていた平尾始先生に指導していただくことに決めた。先生に決めた理由は単純。有名だからだ。

「授業で書いた小論文を書き直して見せに来なさい」

そう言ってくれた。あの日は代ゼミ池袋校の講師控え室にうかがっていた。電車の定期券を持っていた代々木校にもよく行かせてもらったけれど、代々木校では数十人の行列ができてしまう。規模が小さい池袋校なら、ほとんど待ち時間がない。

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先生は痛烈だった。

「この三行ぐらいはいいかな? あとは話にならないから全部書き直して」

本当に話にならないという表情で原稿用紙を投げ返されたことも多々。

「まったく論理関係がめちゃくちゃだな、君は。逆にどうしたらこんなものが書けるのか聞きたいくらいだ」

「どうしてこんなものが書けるんだ? 本当に嫌味じゃなく聞いてる」

「書こうとして書いているわけじゃなくて、こうなっちゃうんです」

「まぁ、そうだろうな。でもなんでこうなるんだろうな」

「絵が下手な人の描くものと同じじゃないですかね」

「なるほど説明が上手いじゃないか」

「・・・」

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二浪目の最初の頃はとにかく「めちゃくちゃ」だと言われ続けていたわけだけど、何が「めちゃくちゃ」なのかは皆目見当がつかなかった。

「これって平尾先生にまったく意味が分からないって言われただけど、本当に意味分からない?」

「う〜ん、普通に分かるけどなぁ。そこまで酷くはないんじゃない? 別にいい文章だとは思わないけどな」

友達に聞くと、だいたい皆そんな感じだった。だから先生に言ってみたのだ。

「先生、友達は理解できるって言ってくれます」

「はぁ? 何言ってるんだお前は!!」
「いいと思うならそのままでいろ」

「よくないです」

「じゃぁまた来い」

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言うことは厳しいが、性根は優しいのである。再提出を見てくれることだって、完全にボランティアなのだ。完全無料で、授業の後に来る数十人の生徒の原稿を数時間も自分の時間を割いて見てくれるのだ。

当時は浪人生の数が多く、2時間待ちなんてこともザラだった。京王線からの乗り換えで代々木までの定期しかなかったから、新宿から電車賃を払ってでも池袋まで行った。

「大学に入ったら遊びに来いよ。飲みに連れて行ってやるから」

実は、まだ行けていない。本まで出させてもらったのだから、どうしても平尾先生には挨拶したいのだけれども。

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とにかく私は鬼気迫る勢いで小論文の執筆に取り組んだ。先生もおそらく怖かったのではないかと想像している。なんの才能もない小僧に、あらん限りのダメ出しをし、どんな罵詈雑言を浴びせても食いかかってくるのである。鬼滅の鬼か俺かだ。

なぜかは分からないけれど「僕は絶対に文章が上手い」という確信があったのだ。いくらののしられようが自分が最高の書き手であることを信じて疑わなかった。

だからいつも半ばドヤ顔のような顔をして原稿を持っていくわけだけど、その度に鼻をへし折られるのだった。二浪で二十歳を過ぎていたから、そんな夜はグデングデンになるまで酒をあおったものだ。

そして、いつだったか大発見をした。

「先生って、丁寧な態度で原稿を持っていくと、あんまり厳しいこと言わないな。丁寧にしてた方が得じゃないか」

そりゃそうである。

しかし、そう思っていることを見透かされると、またあらん限りのダメ出しを食らった。先生は、たかを括ったことが嫌いだった。本気以外は相手にしない。その代わり、本気ならどんなヤバいやつの相手もする。

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まぁ先生に対する態度すら分からなかったくらいだから、文章の論理もめちゃくちゃだったのだと思う。残念ながら出来の悪かったそのころの原稿は残っていない。出来が良くなってきたころからのものだけ、残してあるのだ。

と言っても残したのも、

「この原稿は俺が将来大文豪になった時、松井勇人はこういう文章修行をしたのだという貴重な資料となる。後世に伝えるために残しておこう」

そんな腹づもりだったのだから、それは鼻っ柱をへし折りたくなるはずである。だが恐るべき元気印の俺の鼻っ柱は、へし折られてもへし折られても次の週にはもう元の長さに戻っていた。ピノキオか俺かである。

それにしても、こうやって改めて書き起こしてみると私はやはり変なのだとしみじみと思う。

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大学入試の小論文は基本的に1000字だ。先生はそれにAからDまでのランク付けをしてくれるのだが、D判定の時にはランクは告げられなかった。あまりにかわいそうだということだろう。だから最初の頃は、ほとんどランクを付けられなかったのだ。

いや、違った。

「君も知ってのとおり、私は小論文をA〜Dでランク付けしている。Dランクの場合は温情をかけて判定を書かないし、言わないようにもしている。ただし、もしDランクのさらに下があったとすれば、君の小論文はアルファベットでは足りない」

3〜4回、そう言われたのだった。今から思えば平尾先生のドS発言は、ネタとして記録しておくべきだったと後悔するくらいキャラが立っていた。

アルファベットを超越したその原稿を4回から5回書き直す。するとだんだんCからBへ、そしてAへと上がってゆけた。一年後、体感的にどんなものを書けばA判定をもらえるのかが分かってくる。

そうなると、最初からレベルAのものを書いてゆけば、褒められるだけで良いということになる。そう言ってしまえば不純だけれど、すなわちこれは自分の文章を自分で指導できるようになったことを意味している。

ちなみに、レベルAの文章ばかり書くようになった時の平尾先生は、心の底から不完全燃焼で物足りなさそうな顔をしていた。それも付け加えておこう。

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浪人時代の文章修行は、さすれば自分の中に小さな平尾先生を作ることだった。このことは本当に文章に対する自信をつけてくれたものだと感謝している。書けば書くほど論文が上手くなる。あさってな方向に行くことがなくなるのだ。考えさえすれば「小論文的すべらない話」を必ず書けるのだ。

逆に言えば、自分のレベルを自分で判定できないのならば、いくら努力しても自分の書いたものを疑ってしまう。間違った努力をすることもあって、努力が空回りし、真剣に取り組む人ほど自暴自棄になってしまうかもしれない。だから、最初は信頼できる人にレベル判定をしてもらって、それから先、自分で自分の文章を判定できるようになっていただきたいと思う。

言わば「文章の目利き」になるのだ。

世の中には良い論文もあれば、しょうもない論文もある。大学の名前や著者の知名度、賞の名前など肩書で文章を見るのではなくて、自分の中の基準で文章を見れるのが理想である。そうすれば、自身にとって本当に大切なものを選んで学ぶことができる。他人になんと言われようが、自分のしている学びに対する信頼がブレなくなるのだ。人の批評が、単なるケチなやっかみなのか、本気のアドバイスなのかも見抜けるようになる。

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ちなみに、私の文章修行で起きた最初のブレイクスルーは、数学みたいな文章を書くようにしたことだった。

「友達は分かるって言ってくれるけど、アイツらは話さなくても分かってくれるような奴らだしな」

「もし文章だけでものを伝えなきゃいけないってなった時、本当に俺のこの文章で伝わるんだろうか」

「つか、絶対に伝わる文章って、どんな文章なんだろな。世界中の人にも、未来永劫どんな未来人にも、読めさえすれば宇宙人にも伝わる文章を書きたい。だって俺の文章って永遠だから」

河村隆一も真っ青である。

「でもそんなものってあるのか?」

「あぁ! 数学がそうか」

「味気ないことに目をつぶって、数学みたいに論理だけでものを書けば絶対に伝わる。先生はそんなのを求めてたんじゃないか。早稲田で論理学を教えてるくらいだしな」

僕はそれを密かに、「骨ばっかりの文章」と呼んだりした。

それからというもの、四苦八苦はしたが意味の伝わる文を書けるようになった。気持ちの伝わる文章はさらにその先にあるわけだけど、論文の文章は別に味気なくても良いのだ。

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平尾先生について正直に述べさせてもらうと、いくら先生が高名だといっても僕はずっと先生のことを疑っていた。

「本当に大丈夫なんかな?」
「この人、俺の悪口言いたいだけちゃうかな」

割合と本気で、そんな風に疑っていたのである。

しかし成績はぐんぐんと伸びてゆき、一番良かったのは95年の駿台予備校慶應模試。小論文で全国8位をとった時だった。他の試験でもコンスタントに全国20位前後には入れるようになっていた。

「おぉ、平尾先生って本当にすごかったのか」

先生でさえそんな風に思われているのである。ましてや俺なんぞ、生徒らに理解してもらえる方がおかしいと思わなければならない。いや、それとも単なる性格の悪さに対する因果応報で、報いを受けているだけかもしれないが。

いずれにせよ、まったくもって難儀なものである。

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元サッカー日本代表の岡田武史監督が、「”How to”を教えると永遠に先生に頼る人間になるが、型を教えると自分で考える人間になる」と、著書『岡田メソッド』で言っていた。

「なぜ日本のサッカー選手は、なんでも監督に答えを聞いてしまって自分で考えないんだ」

Jリーグの外国人監督にそう聞かれたからだ。海外ではまず基本となるサッカーの型を教え込むため、スペインでもブラジルでも16歳を超えたころから単に答えを聞きに来たりする選手はいない。だから僕たち普通の学校の先生も「自分が教えているものは型なのか、”How to”なのか」と、常に自問自答しなければいけないと思った。

それでは僕らが教えるもののうち、何が型にあたって、何が”How to”にあたるのか。

という話になるわけだけれど、僕は、型とは「自分で自分のレベルを判定できる正確な目を作るもの」で、”How to”とは単なる答えのことだと思う。

サッカーを判定する、文章を判定する、現代アートを判定する、自分自身を含めた人物を判定する。自分で自分のしていることに自信を持つためには、型が必要不可欠なのではないか。

”なんのために 生(う)まれて
なにをして 生きるのか
こたえられないなんて
そんなのは いやだ!”
(『アンパンマンのマーチ』作詞 やなせたかし先生)

自分で自分を判定できなきゃ、永遠に自分が一体何をしているのか、分からないままだ。

え? "そんなのは嫌"だって?
それじゃぁ勉強しよう。

そう。文章を書こうではないか。


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お読みくださいまして、誠にありがとうございます!
めっちゃ嬉しいです😃

起業家研究所・学習塾omiiko 代表 松井勇人(まつい はやと)

下のリンクの書籍出させていただきました。
ご感想いただけましたら、この上ない幸いです😃

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