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良い人なんだけど

非常に優秀で、テキパキと業務をこなしていたH副店長が転勤したのは一カ月ほど前のことである。在店は十カ月と、かなり短めだった。
とても残念だったが、ご両親が同時に介護の必要な状態になられたとあっては、一人娘としては已むを得まい。ご実家からほど近い店に移って行かれた。
最終勤務日まであれこれと奔走して下さり、本当に感謝している。

後任の副店長は男性で、Iさんという。
ちょっと変わったご苗字である。名前のイメージだと『始終怒ってばかりいる、気の短い人なんだろうか』という気がしてしまうが、実際はのんびりと気さくで、人の良いオジサンである。
フットワークも軽いし、動きも早い。事務所にじっとしておらず、売り場を常にウロウロしているのはH副店長と同じだ。混んでいる時は積極的に手伝ってくれるし、とても助かっている。
身長は百八十センチ越えととても高く、瘦せ型のひょろ長い人である。私は脚立を出す手間を省く為、副店長が通りがかった時には、高いところのものを取ってもらったりしている。
当初、『怖い人だったらどうしようねえ』と額を集めて心配していた私達だったが、人柄を知った今となってはすっかり安心している。

I副店長は確かに良い人だ。良い人なのだ。
しかし残念なことに、失礼ながら彼はほんの少し『ズレて』いる。
日が経つにつれ、皆ボツボツとその『ズレ』に気付きつつある。
ウチの売り場で最初にI副店長の『ズレ』に首を傾げることになったのは、Kさんである。

レジ係がお客様に呼ばれたりしてレジを離れなければならない時に使う、『呼び出しボタン』がある。この呼び出しボタンをレジ台に置いて、その傍に『御用の時はこのボタンを押して下さい』と書いた立て札を立てるのがウチの売り場の決まりになっている。
ある時、一人のお客様から『どのボタンを押せば良いのか、分かりづらい』というクレームを頂いたことがあった。
最近の立て札だとちゃんとボタンを指し示す矢印が付いているのだが、生憎ウチの売り場の立て札は大変古く、これがついていない。だからレジ台と同じ色のボタンをすぐに見つけられないお客様(特にご高齢の方)が多い。
これは改善が必要だ、ということになり、KさんはI副店長にこの話をした。
「そうだな、わかりやすい表記のものに作り替えるよ」
とI副店長が即答してくれたので、Kさんはホッとしたそうである。

ところが、数分してI副店長が持参したものを見たKさんはギョッとした。
ウチのレジ台の横幅は約六十センチくらいある。I副店長はなんと、このレジ台の幅いっぱいの立て札を持参したのである。
確かに字は大きいし、読みやすい。しかし強烈に邪魔である。どけるのも置くのも一苦労だ。頻繁に使用するものなのに、全く実用的でない。
オマケにその立て札には、
『押して頂くのはこのボタンのこの部分です』
とご丁寧にボタンの写真付きで解説が書いてあるのだが、その写真の大きさはKさんの顔くらいあったらしい。
「お客様が迷ってしまって。この写真を押してみる方まで出てきてしまってね。意味ないですよ。私、『ありがとうございます~』って副店長に言って、居なくなったらすぐに撤去しました。邪魔ですもん」
Kさんは半ば笑いながら、そんな風に話してくれた。

Kさんと相談して、元の立て札に小さな赤い矢印を自作して貼り付けたら、お客様からのクレームは全くなくなった。
あの大きな立て札は、奮闘してくれたI副店長の厚意に感謝するためにだけ、我が売り場の掲示物保管庫に眠っている。
多分今後、使われることはなく、I副店長が転勤すれば廃棄される運命になるだろう。

インカムは便利だ。時折は売価を決めたりといった、社員にしか知らせられないこともやり取りされる。
だが、I副店長はインカムを嫌い、絶対にイヤホンを装着しない。
曰く、
「耳が鬱陶しい。聞こえれば良いじゃないか」
ということなのだが、イヤホンを装着せずに聞こうとすると、必然的にやり取りがお客様に聞こえてしまう。
私達社員がやっていたら厳重に注意されてしまいそうなこの行為を、この人は平気でやっている。でも副店長という立場の人に注意出来る人は居ない。
今のところ、I副店長はいつもガヤガヤと賑やかにインカムを鳴らしながら、売り場にやってくる。
「そのうちお客様からクレーム出るか、店長に見つかって怒られるか、どっちかだね」
と私を含めて皆、すっかり諦めムードである。

まあ、良い人だから良い。他者に過度の期待をするのは得策ではないし。
I副店長、これからもどうぞよろしく。







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