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お掃除日和

関東に珍しくちょっとまとまった雪が降った日の翌日、私はいつものように出勤した。平日だというのにすれ違う人もまばらで、皆さん出勤時間を早められたのかな、といった感じだ。
路肩にはあちこちに雪が積み上げられている。店の前に差し掛かると、男性職員が総出で正面玄関前の雪をどけていた。
こっちの雪は重いからちょっとどけるのも大変そうだ。
空を見上げると鉛色の雲が垂れ込めているが、もう降ることはなさそうだ。
いつも通りの時間に売り場に入る。

レジの横には常に大きめの段ボール箱が置いてある。私が三角座りしてすっぽり収まるくらいの箱である。
お客様が『不要だから』と置いていかれる、靴の入っていた箱をここにまとめて入れる為だ。ある程度いっぱいになったらバックヤードの所定の場所に持って行くことになっている。
何気なく箱を覗くと、夥しい量の長靴やブーツの箱が入っていた。急な大雪(こっちでは)でみなさん慌てて買い求められたようだ。ブーツの棚はすっかりスカスカになっている。Yさんがホクホクしているだろう。
しかしこの量。捨てるのが大変そうだ。
取り敢えずレジ業務が優先なので、この処理は後回しにして、掃除に取り掛かる。

床拭きをしていると、あちこちにボロボロの黒い塊が落ちている。
これは古くなった靴底の残骸である。
普段もちょくちょく見かけるが、いつもはこんなに多くない。きっと久しぶりに雪が降って、慌ててスノーブーツなどを出してきて履いてみたら底が加水分解していた、といったところだろう。
よく誤解されている方がいるが、加水分解はどの靴でも起こり得る。値段が高かったのに、とか、滅多に履いていないのに、とかは関係ない。
日本の気候だと湿度が高く、どうしても靴底を作っている物質と空気中の水分が合体して、分解が進んでしまう。するとヒビが入り、一歩踏み出す度にあちこちに崩れた靴底をまき散らすことになる。しまいに底そのものが外れ、歩いていられなくなる。
今回は前回のまとまった降雪とは随分間があいたようだから、慌てた方が多かったようだ。

この崩れた靴底は厄介である。
時間が経つと、床面にくっついて取れなくなる。そこを誰かが踏もうものなら尚更である。
この日もあちこちに床と一体化した靴底が散らばっていた。ああ、今日の掃除は大変だ、と思いつつ、いつも通りに掃除をする。くっついている場所を覚えておいて、全ての準備を終えてから、ハツリ(床や壁からシールなどを剥す為の道具)を使って取る。なかなか頑固だし、今回は量が多いのでちょっと大変である。

そうこうするうちに開店時間になり、お客様をお迎えする。が、今日は極端にお客様が少ない。寒いし、あちこち雪でビショビショだし、まだ路面はちょっと凍っているところもあるから、お出かけを見合わせる人が多いのだろう。
こういう日は暇だ。だからお掃除に精を出す。
せっせとさっきの続きのハツリ作業を行っていると、Dさんが出勤してきた。捨てられた箱を見てびっくりしている。
「おはよう。凄いねえ、靴の箱!こんなの最近見たことないよ!ちょっと捨ててくるわ」
勤続六年のDさんが言うのだから、よほどイレギュラーな量だったのだろう。
「ありがとうございます。お願いします」
お願いして、自分はハツリを続けることにする。

お昼前くらいに、一人の男性客が足を引きずりながらやってきた。
何事かと思うと、開口一番、
「靴の底が取れちゃってさ。新しいの、なんでも良いから選んでくれない?」
と仰る。
しょうがないのでDさんを呼んで、選んでもらう。
「良かったあ。これでやっと歩けるよ」
お客様はホッとして帰られた。のだが、後が大変だった。
「何これ!!掃除しなきゃ!」
Dさんが悲鳴を上げている。男性の歩いたところに点々と、ボロボロになった靴底が散らばっていたのだ。見ると正面玄関からずっと、である。
「あーもう。酷いなあ」
Dさんはブツブツ言いながら、箒と塵取りを手に掃いている。
「この人、どこ通ってきたのか分かっちゃうね。『チルチルミチル』みたい」
「いや、それ『ヘンゼルとグレーテル』と違いますか?」
「あ、ホントだ。間違えちゃった」
二人して大笑いした。

外は冷たいが、こういう日の売り場はほのぼのと温かい雰囲気である。







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