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無理しなや

有難いことに私は白髪がない。半年に一度ほど一、二本見つかることがあるくらいだ。アラフィフという年齢を考えれば珍しいことだろう。母が六十代になるまで殆ど白髪がなかったので、多分遺伝だと思う。
どこと言って取り柄のない自分の外見に於いて、これは特筆すべき素晴らしい点であると思っている。
髪を染めるのは結構身体に負担が大きいと聞いているので、とても有難い。
よく羨ましがられる。

髪の話をすると思い出す人がいる。

以前勤めていた職場のパート仲間に、Kさんという人がいた。パート仲間と言っても、同じ店にずっと正社員として勤めていた後定年後再雇用の形で来ておられた人で、私よりずっと先輩だった。
「在間さん、何で髪染めてんの?」
ある日、一緒に仕事している時にKさんが私の髪をしげしげと見ながら尋ねた。
「染めてませんよ。自毛です」
と答えると、Kさんはとても驚き、冗談めかしてこう言った。
「在間さん、あんた苦労足りんのと違う?」
「そうかもしれませんね」
二人顔を見合わせて笑った。
でもKさんから、それまでの人生に起こった様々なことを仕事の合間にちょくちょく聞かされていた私は、本当にそんな気がした。

Kさんは長崎の五島の出身である。高校卒業後すぐ就職で関西に出てきて、職場で出会った男性と結婚した。娘と息子が一人ずつ生まれ、幸せな結婚生活を送っていた。
子供たちが大きくなって二人とも結婚し家を離れて、旦那様と二人きりになりさあこれから旅行やなんやと楽しもう、と言っていた矢先、旦那様に病気が見つかった。
病気は見つかった時にはもう手遅れで、治療する術はなかった。結局旦那様はそれから半年も経たないうちに亡くなってしまった。十分な看病もしてあげられなかったという。六十歳になる前だったそうだ。
結局旦那様は一人も孫の顔を見ていない。

寡婦となったKさんは、働きながら一人で暮らしていた。子供達は一人になった母親を気にかけて、孫を連れてしょっちゅうやってきた。夫と一緒に孫の相手が出来ないのは残念だったけど、幸せな日々だったという。
ところがある日、Kさんは勤務中に職場で突然倒れた。倒れた後のことは何がどうなったのか全く分からなかったが、気が付くと病院にいた。枕辺には泣きはらした顔の娘がいた。
脳の血管が切れていて長時間の手術だったのだ、と聞かされて驚いたそうだ。
その後リハビリの期間を経て元の職場に復帰した。

Kさんはいい意味で肩の力の抜けた人だった。仕事は出来るが、頑張りすぎない。これ以上やったらしんどくなる、とういうところでキッチリブレーキをかけることが出来る。
倒れる前はそうではなかったらしい。残業も厭わず、休日返上で働いていたそうだ。だがその結果自分の身体にしわ寄せがきて、大いに反省したのだという。
さぼるのはいけないことだが、やりすぎるのもよくない、とKさんはよく言っていた。なんでも手早く片付けないとつい罪悪感に駆られてしまうので、ついつい大急ぎで仕事を大量にやっつけてしまおうとする私に向かって、
「自分の身体を大事にしなあかんよ。仕事熱心なのは会社にとってはありがたいけど、自分はこの世に一人しかおらんのやから。旦那さんにとっても、子供さんにとっても、大事な奥さんでお母さんなんやで」
といつもニコニコしながら穏やかに諭してくれた。
同僚同士でもよく「無理しないようにね」と声を掛け合っていたが、Kさんの言葉には実感がこもっていて重みがあったから、胸に響いた。詳しい事情を知っていたからだろう。

退職する時、パート仲間から餞別をもらった。一人ずつにお礼の挨拶をしてまわった。
Kさんにも挨拶しにいったら丁寧にお辞儀してくれた後、
「在間さんはよう働くから、向こうでも無理しなや」
そういって朗らかな笑い声をたてた。
「はい、肝に銘じます」
そう言って私も一緒に笑った。

ちょっと身体がしんどいなあ、と思うことがあると
「無理しなや」
というKさんの別れ際の言葉を朗らかな笑顔と一緒に思い出す。







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