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夏はやっぱり

何故か結婚してからというもの、住む家住む家全てが花火の打ち上げ会場のすぐ近くである。
北陸の時が一番近く、会場までは百メートルちょっとだったかと思う。近すぎて花火大会の翌日には、外の駐車場の車のボンネットの上に半分に割れ少し焦げた球体がちょくちょく乗っていた。近所の友達と真剣に「火がついたら怖いよなあ」と話していた。この友人宅はウチより更に会場に近く、屋根の上にもこの半球が乗っていたらしいから、笑いごとではなかったと思う。

子供が生まれた時、母は産褥期の手伝いに北陸まで来てくれていたのだが、丁度この花火大会の期間と重なった。私はまだ退院したばかりでほぼ横になっていたが、母はドーンと聴こえる度に、まだグニャグニャの子供を抱っこして窓まで観に行っては歓声を上げていた。
子供が大きくなってからは、毎年暑い中、大勢の人が荷物をいっぱいぶら下げて会場の河原の方に向かっていくのを、涼しい冷房の効いた部屋から見送りつつ、家族全員で一番川寄りの部屋に集合し、ご飯を食べながら花火を眺めたのも懐かしい思い出である。

次に引っ越した関西の家は、マンションの最上階だった。といってもせいぜい十階足らずだったから、たいした高さではなかったが、田舎だからそれなりに見晴らしは良かった。
花火を打ち上げる場所はちょっと離れていたので、間に建物もあるし見えへんやろ、と話していたのだが、幸運なことに花火は、視界を遮るものが何もない窓の方に上がった。丁度窓枠がスクリーンのようになり、これまた涼しい部屋から大きな花火を一望出来て、最高だった。階下には、友人を連れてきて窓から花火見物をしているらしき部屋が、何軒もあったくらいだったから、格好の花火見物スポットだったのだろう。
火の見櫓のような家だったから、遠近は色々だが他にもたくさんの花火を夏中楽しむことが出来た。

今の家から見える花火が、今までで一番残念な感じである。聞くところによると花火師さんではなく、素人の有志があげているそうで、そのせいか打ち上げの間隔が間遠過ぎて、「もう終了かな」と思ったら打ち上がったり、「次はいつ頃上がるかな」と思って待っていると、ガヤガヤと「もうさっきので終わりだってー」と言う声が聞こえてきてなあんだ、と肩を落とすことになった。
今までの家で見ていた花火が贅沢過ぎたのだが、昨年の夏の花火は大変物足りなかった。まあ観られただけマシやね、と話していた。

今月の中頃、家で昼食をとっていると、会社に居る夫からLINEが入った。
『花火観覧のチケット、当たりました。予定空けておいて下さい』
電車に乗って十五分ほど出かけなければならないが、七月の末、近くで大型の花火のイベントがあるのは知っていた。大混雑になるという噂を聞いていたので、昨年はYouTubeを家で観たのだが、やっぱり生で観たいなあと言う話をしていたのだった。
夫の勤務先はこの花火大会に協賛企業として名を連ねている。社員には『協賛チケット』という本来有料のチケットが無料で配布されるのだが、数に限りがあり、いつも抽選になるということだった。
籤運はあまりよくない夫婦なので、「今年もYouTubeでもええけどね」と言いながら一応申し込んでいたのである。

久しぶりの花火は素晴らしかった。いや、そんな普通の言葉で表現することは出来ないくらい感動した。花火を見て涙が出たのは、今回が初めてである。
席のすぐ前の海上で打ち上げられるから、迫力が凄い。納涼祭と言うよりは芸術的なパフォーマンスというか、アートというか、そんな感じがした。
バックに流れる音楽は個人的には要らないと感じたが、それ以外は素晴らしい演出で、すっかり魅了された。
花火師さん達も長い間、こういう機会を心待ちにしていただろうなあ、と思うと益々感慨深かった。

本来私は人混みが嫌いだが、会場のスタッフや警察が混雑を緩和しようと歩行者を懸命に誘導してくれたおかげで、人は多かったがスムーズに入退場出来たので、そんなに苦痛には感じなかった。
暑かったら嫌だなあと思っていたが、海からは近づいている台風のせいか程よい風がずっと吹いていて涼しく、熱中症の心配もなかった。
疲れはしたが、また幸せな夏の思い出が一つ増えた。
やっぱりどの土地に行っても、夏は花火が観たい。