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背筋を伸ばせ

私は姿勢が悪い。
物を書いている時、料理をしている時、楽器を演奏している時、食事をしている時、どのシーンに於いても見ている人から
「背中曲がってるよ?」
と指摘されてしまう。
悪い癖だと思うのだが、ついついやりがちである。

これは子供の頃からだ。
学習机に向かっていると父が近づいてきて、
「おい、目が近い!!」
と言いながら、私の背中に五十センチの物差しをグイと突っ込む。猛烈な違和感を覚えて、思わず背筋をグッと伸ばすと、
「それそれ。その姿勢でやれ」
と満足した体の父は物差しを放置したまま、どこかへ行ってしまう。
この状態は暫くは我慢できるが、長続きはしない。やがて耐えられなくなって物差しを抜くことになる。
それでも最初はなんとか、良い姿勢を保とうと意識しているのだが、夢中になると元に戻っていた。
「天井から紐を伸ばして、首輪か何かで固定したろか」
と父は呆れながら、半ば真剣に言っていたものだった。

クラリネットの師匠のK先生にも、しょっちゅう姿勢の悪さを指摘された。
「本ッ当に悪い癖ですねえ!良いですか、背中が曲がっていると息が十分に吸えないでしょう?肺の容積を自分で減らしているんですよ!背中を伸ばす、という意識を持つのが苦手なら、胸を張りなさい!」
このように言って先生は、私の額の上部に手を当てて、ぐーっと押される。自然と背中が伸びる。
「ほら、ごらんなさい。これが正しい姿勢です。姿勢は基本中の基本です。イレギュラーな姿勢で素晴らしい演奏をする人も居るには居ますが、彼らはこの正しい姿勢を知っています。これを知った上で、敢えて自分流のスタイルを見つけている。最初から基本を無視している貴女とは違いますからね。
安易に真似ないように」
しっかりと太い釘を刺されてしまった。

背中が丸いと、弊害が大きい。
肩も異常にこる。腰も傷める。上腕部もあまり嬉しい状態にはならない。
疲れもたまりやすい。
ここまで頭で分かっていてもやってしまう。身体に染みついてしまっている。
どうもいけない癖だ。

先日、合奏風景を録画したものを観た。
私の姿勢の悪さは、目を覆うばかりだった。よく見ると、他のメンバーはみんなちゃんと、K先生の言うように『胸を張って』いる。
ああ、恥ずかしい。
小さな楽器だから、ついつい肩を前に回り込ませようとしてしまうのだろう。
「その姿勢でエスクラリネットを吹き続けると、身体を傷めますよ」
と先生には言われたが、本当にその通りだと痛感した。

猛烈に反省したので、先週の合奏の時には物凄く意識して背筋を伸ばすようにしてみた。
すると、肩甲骨付近の負担が物凄く少ないことに気付いた。いつもは下から掬い上げるように見ている先生の指揮も、ちゃんと楽譜を見る延長線上で目に入ってくる。息も心なしか、吸い易い。
良いことづくめだ。

身体や心に染みついた悪い癖を変えるのは、ちょっと骨が折れる。
馴染んできた年数が長ければ長いほど、厄介だ。
そのまんまでいることは、心に負担がかからない。物凄く楽ちんだから、人はどうしても『現状維持』を望んでしまう。そこから踏み出そうとすると、最初は物凄い違和感で、足がすくみそうになる。
けれど勇気を出して一歩を踏み出し、『変えようと意識すること』を億劫がらなければ、ちゃんと結果はついてくる。
変えたことで良い結果が出た、としっかり認識し、それを喜ぶ。ずっとこう在りたいと思う。そうすればやがて、変化させた方の習慣が、自分のスタンダードになる。
やがて、もう以前身に着けていた、悪い癖の方は思い出そうとしても思い出せないくらいになる。
すると、自分がしっかりと満たされていることに気付く瞬間に遭遇するようになる。

姿勢も思考も結局は自分の意識次第なのだなあ、と思いながら、私は今日も意識して背筋を伸ばすのである。