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母と息子と

元気だった頃の姑はよく「眠れない」と言って電話をかけてきた。医者に行って睡眠薬を処方してもらっているのだ、とどこか誇らしげに言う。
よくよく聞けば、昼食後一時間もしないうちに「お昼寝」をするらしいのだが、それはシエスタなんてなまやさしいものではない。夕方五時まで寝るというのだから、最早立派な「睡眠時間」である。
これだけたっぷり寝た後、すぐに夕飯を摂る。「腹の皮張ったら目の皮弛む」とはいうけれど、四時間も寝た後では誰だってそうはならないだろう。
更にこの後風呂に入る。姑はチンチンに熱い風呂が大好きである。危ないですよ、とずっと言っているのだが、意に介さない。姉曰く、
「本人がいつ死んでもええと思ってるんや、と思うとこ」
とのことだったので、苦言を呈するのは早々に諦めた。

日中大した運動もせず、食っちゃ寝食っちゃ寝を繰り返している。しかも昼寝は長時間。寝る前の風呂は高温。これで夜快適に眠れる人はよっぽどクタクタの人だろう。家で日がな一日ほぼ動かない生活を送っている姑がすんなりと眠りに就けるわけがない。
だが姑は真剣に「眠れへん、眠れへん、どこか病気じゃないか」と言う。こんなとんちんかんな相談をされるお医者様もたまったものではないだろう。結果、毒にも薬にもならないような弱い効き目の睡眠薬と思しき薬をもらってくることになる。本人が満足しているので、敢えて忠告は控えている。

姑は「眠れない大変な思いをしている自分」が好きなのである。そのためには医師に診察してもらうことが必要だ。周囲の人に「私、不眠症ですねん」と大袈裟に吹聴し「それはそれはお辛いでしょう」と言われる時、姑は何とも言えない嬉しそうな顔をする。
小さい時、擦りむいたひざ小僧に絆創膏をはってもらうと、なんだか凄く酷い怪我をしたようで気になって何度もそわそわと上から撫でてみたりしたものだが、その頃の心中と似ているような気がしている。

夫は姑のこういう愚痴を聞くのを大変嫌う。いつも「コテンパンにやっつけてしまう」のだ。
「最近また眠れへんねん」
とでも姑がこぼそうものなら、
「あんなあ!そんだけ長い昼寝して、運動もせんと家にじっとしとったら眠れるわけないやろ!しかも寝る前にあんなあっつい湯に入ったら、身体火照って寝れることあるかい!昼寝で睡眠十分取れとるわ!」
とけちょんけちょんに言い返している。
夫の言っていることは非常によくわかる。その通りだ。でも大事な部分を見落としている。
『なぜ母親が、そんな電話をしてきたのか』
ということである。

見落としている、と言うと間違っているかもしれない。夫は姑の訴えの本質に気付いている。だがそこに敢えて触れないでおこうとしている。聞くのが面倒くさいからだ。
子供にかまって欲しい。心配して欲しい。可哀想がって欲しい。
自分で自分のお世話が出来ない姑の心の叫びに耳を傾けることを、夫はずっと避けている。
それは自分の中にある母親に似ている部分に対する苛立ち故でもあり、お守りをさせようとする母親から敢えて距離をとることで自分の領域に踏み込ませまいとする、夫なりの防御の気持ち故なのだと思っている。
夫の中に、母親との過去の関係に納得できていない部分がまだあるのだ。夫はそれに気づいていながら、向き合うことを長い間避け続けている。母親が既に高齢と言うことも一因だろう。母親を傷つけないようにしている。夫の母親に対する優しさを垣間見る気持ちであるが、本当にそれで良いのかな、とは思う。

しかし今の状態を選んでいるのは夫である。だから私は何も口を出さず、ただ見守っている。
姑も私に話してくれれば、血の繋がりがない分気楽にうんうんと聞けるのだが、どうしても「息子」「娘」に聞いて欲しいらしい。
せいぜい、電話を終えてため息をついている夫に
「お疲れ様」
と声をかけるくらいしか出来ないが、この親子にそう遠くない将来、今よりも温かいやり取りが出来るようになる日が来ることを望んでいる。
夫の為にも、姑の為にも、私達家族の為にも。