先生のくじ運
子供が四年生の時の担任は、K先生という年配の女の先生だった。
「今度の担任だれ?」
とママ友に訊かれたので答えると、彼女は顔を曇らせて
「わー、気の毒。ハズレだったねえ。去年病欠してた先生でしょ」
という。
「え?知らんかった!病み上がり?身体弱いのかな?」
と訊くと、
「違うって。心の方。一昨年担任したクラスが学級崩壊して、それで病んだって噂やで」
と聞いてびっくりし、大丈夫かと不安になった。
四年生最初の日、帰って来た子供に
「どんな先生?」
と訊くと、
「普通の先生。地味な人」
と素っ気ない答えが返ってきて拍子抜けした。
しかしそこまで印象が悪い、という訳でもなさそうだった。心の底からの安心は出来なかったが、取り敢えず胸を撫でおろした。
私が最初にK先生と話したのは、一学期の終わりの保護者面談の時だった。
確かに地味な格好をされていた。服装の印象が殆どないが、当時でもかなり珍しいボックスプリーツの、中途半端な丈のスカートを穿いておられたのだけが何故か記憶にある。
どうぞ、と勧められて小さな椅子に座ると、先生は成績表を見て目を上げずにボソボソと少し話した後、ちょっと間を空けておもむろに
「この方は」
と切り出した。
『この方』って息子のことか。ちょっと驚いた。普通『○○君』とか『息子さん』という先生が多いが、K先生は確かにそう言ったのである。
ビックリしている私を前に、先生はなんとも思わない様子で静かにこう続けた。
「お家で感情を表に表すことがありますか?物凄く強い怒りを表すことがありますか?学校ではこの方、この年齢のお子さんとは信じられないくらい、穏やかなんです。優しいし、お友達も多いです。良いことなんです。でも気持ちを押さえているのではないか、ととても気になっています。学校だけなら良いのですが。そう思って、おうちでのご様子をお聞きしてみたんです」
私は咄嗟に答えられなかった。
息子は大人しい子だった。
それは私がイチイチ『それダメ!』『あれダメ!』と一挙手一投足に至るまで、がんじがらめに息子を縛ってきたからだったのだが、いつの間にか彼は自分の感情を抑えることに慣れっこになってしまっていた。
所謂『良い子』には見えたから、保護者面談ではいつも手放しで褒められるのが常だった。
私はどこか後ろ暗い思いを抱えながらも、これこそが息子の為になると信じ込もうとし、息子をぎゅうぎゅう縛っていた。そしてその結果として息子を評する先生方の言葉に、満足したつもりになっていた。
しかしK先生の言葉は、私が見ないことにして蓋をしていた部分をズバリと突いていた。
「そうですね・・・あまり怒ったり泣いたりはしません。幼稚園の時、お友達に食ってかかったことがあるくらいでしょうか」
私はそう答えるのが精一杯だった。
頷きながら聞いていた先生は、私を見て静かに
「感情を出すのは大切なことです。おおいにご本人の気質によるところもありますが、どうか無理をさせないようにしてあげて下さい。この方はそのままでも十分に、良いお子さんですから」
と言って、初めて私の目を見て穏やかに微笑んだ。
私は恥ずかしいような、諭されているような気になってしまった。
四十人近い人数を見ていながら、こんなに一人の子供の様子から心情を察することが出来るものなのか。
この先生、誰が何と言っても絶対にハズレなんかじゃない。
私は確信した。
四年生もあと数週間で終わるという三月十一日に、あの地震が発生した。
関西でも、私達の住んでいた地域はかなり揺れた。
息子は帰宅後、
「先生な、めっちゃ素早かったで」
と驚いた様子で報告してくれた。
教室が揺れ始めた時、
「みなさん、机の下に入りなさい!」
と大声で叫んで、自分はドアのところまで走って行き、二つとも凄い速さで全開にしたのだそうだ。逃げ道の確保をされたのだと思う。
教師としては当たり前の行動なのだろうが、いつもは覇気がない様子の先生の素早い行動に、息子たちはとてもびっくりしたらしかった。
息子の卒業式の時、教室に向かおうと歩いていると、K先生が静かに教職員席の隅っこの椅子に座っておられるのが見えた。
そばを通る時にちょっと足を止めてお辞儀をすると、先生は困ったような笑顔を浮かべて静かに頭をちょっとさげて下さった。
それきり、お目にかかっていない。
二年後、公務員の異動を知らせる新聞の隅の方に、小さくK先生の名前があった。定年退職されたらしかった。
あの日の先生の言葉が脳裏に蘇った。
その十年以上後に、我が家に嵐が吹き荒れたことを先生は勿論ご存知ない。
でも多分、心配はして下さっていたと思う。
あの時の先生の言葉はずっと私の心に引っかかっていた。結局先生は子供を、そして親である私を、とてもよく見て下さっていたのだと思う。
先生のくじ運良かった、と私は今でも思っている。