人それぞれ
先週のことである。六十代半ばくらいと思しき女性が、足を引きずりながら私の居るレジにやって来た。
「いらっしゃいませ。何かお探しですか?」
大方靴擦れでも酷くなって、なんとか楽に履ける靴を探しに寄ったのだろう、と見当をつけながら訊いてみると、
「新しいサンダルが痛くて、辛くてね。でも今から遠くへ出かけないといけないから、家に帰っている時間がないの。軽くて、出来たら踵を踏んで履けるような靴があったら、履き替えていきたいんだけど、そういうのあります?」
と仰る。
足元を見せて頂くと、確かにサンダルの足首に巻いている部分が擦れて痛そうだ。このままではお出かけは無理だろう。
『軽くて踵を踏んだまま履ける靴』は今の流行りでもあるので、種類は色々ある。
しかし、カジュアルではあるがキチンとしたデザインのワンピースをお召しだったので、あんまりポップなデザインの靴は合わない。帰宅するなら兎も角、これから出かけるところとなるとチョイスが難しい。
足が辛そうなので、取り敢えず椅子に腰かけて頂くことにして、サイズを聞いてなんとか合いそうなデザインのものを、何足かお持ちした。
「あらっ、これ軽くて可愛くて良いわね!お値段も安いし!これにするわ!」
女性はお持ちした内の一足がとても気に入った様子で、通路を何度も歩いてみては鏡の前に立ち止まって、嬉しそうに眺めている。
良かった、なんとかお気に召すものがあったみたいだ、と胸を撫でおろす。
精算の為にレジに行くのも辛い、と仰るので、購入する靴に履き替えてからレジにお越し頂くことになった。
「今お履きのサンダルは、如何なさいますか?」
これはお買い上げの商品を『履いていきます』と仰る方に、必ずお尋ねすることになっている。お持ち帰りされるか、ご処分するおつもりか、を伺うのだ。
あらためて女性の脱がれたサンダルを見て、私は密かに首を傾げた。
お客様はさっき確かに、『新しいサンダルが辛い』と仰った。しかし、お脱ぎになられたものを拝見する限り、どう見ても私の目には『かなり年季の入ったボロボロのサンダル』にしか見えない。
足首が擦れたのは、多分、くたびれたベルトが所々破れて、下の芯が出てきているからではないか、と思われた。しかし『かなりくたびれているみたいですから、捨てたらどうですか』とは口が裂けても言えない。
で、さらっとこう言い添えた。
「ご希望でしたら、ご処分も承っております」
ところがお客様は目をむいて、
「捨てないわ!だってこれ、まだまだ新しいんですもの!」
と満面の笑顔で仰った。
ほう。まだ新しいんだ。
しかし、これくらいのことでイチイチ動じてはいられぬ。隣で息を呑んでいる新人のIさんを尻目に、私も笑顔を返してこう言った。
「かしこまりました。では、お持ち帰りの袋はお持ちですか?こちらでご用意しますと二円頂戴致しますが」
「あら、そう。良いわ、用意して頂戴」
「かしこまりました」
私は素知らぬ顔をしてレジ袋も一緒に販売した。お客様は精算を済ませると、
「どうもありがとう。良いのが買えて、助かったわ」
と笑顔で仰り、サッカー台に自分の鞄を乗せると、レジ袋に入れたサンダルをしまおうとなさった。
ところが、である。
お客様の手が止まった。そして独り言を仰るのが、私の耳に入ってきた。
「これ、よく見たら凄いボロボロねえ・・・捨ててもらえば良かったかしら・・・」
思わず吹き出しそうになった。私には『よく』見なくても、ボロボロにしか見えない。しかしお客様の手前、笑うことは厳禁である。
私は適当に愛想笑いでごまかすと、掃除に行くフリをして、その場を離れることにした。
暫くしてレジに戻るとお客様はお帰りになられた後だった。結局お持ち帰りになられたのだろう。
何を以て、どういうつもりで、あんなにボロボロのサンダルをお客様は『新しい』と仰ったのだろう。勘違いとも思えない。
『お気に入りだから』と仰るならわかるが、『新しい』とは。
いやいや、人の感覚は本当に一人ずつ違うのだ。私には『もうとっくに現役を引退しても良いもの』のように見えても、あのお客様にとっては『まだまだ新しい』サンダルだったのだろう。
十人いれば十種類の感覚があるということを、あらためて勉強させて頂いた。
世間の決める『基準』なんて、誰にとっても全く意味なんてないのかも知れない。
多様な価値観に触れられる接客業は、大変だけど面白い。