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『常識』と『権利』

免税対応で私がO主任と右往左往した日の昼頃、Mさんが出勤してくるなり、
「Sさん出勤してないですか?」
と聞いてきた。
『Sさん』とは私と同じレジ専任で、妊娠したことで体調を崩し、二月からずっと休んでいる若いパートさんのことである。
「え?今日出勤予定だったんですか?」
もうシフト表から彼女の名前が消えて久しいし、すっかり来ないものとしてカウントすることに慣れてしまっていたので驚いた。
Mさんは眉を曇らせた。
「それが、一昨日から復帰ってことで出勤したんですけど、顔が紙みたいに白くて。吐き気止めを飲んで売り場に戻ってきた時、フラフラしてて・・・もう帰ったら、って勧めて帰ってもらいました。あれで勤務は無理ですよ」
つわりが酷い、とは聞いていたが、そこまで酷いなら無理しなくても良いのに・・・という思いが当然頭に浮かぶ。

Sさんは当初、三月の下旬に戻る、という話になっていた。その頃にはつわりも収まっているだろう、という読みが本人にはあったらしい。が、吐き気は一向に収まらなかったようで、復帰予定は四月初めになり、やがて十日に変更になった。
私はMさんと相談して、Sさんが万が一出勤してきても、急に体調を崩すことを考えてシフトには組み込まず、勤務出来そうならその日にシフト表を修正することに決めた。手間はかかるが、こっちの方が急に来なくても慌てることがないからである。
本人は一日四時間半、週四日の勤務を希望していたが、私達は皆、本当に大丈夫かなあ、と心配していた。ほぼずっと立ちっぱなしの仕事である。妊婦さんには辛いだろう。

そう言えば課長のKさんが、朝何か電話を受けていた。もしかしたらSさんからだったかも、と思い、Mさんに告げると
「確認してきますね」
MさんはKさんに挨拶がてら聞きに行って、しばらくして浮かない顔をして戻ってきた。
「やっぱり体調悪いから休むって・・・それと週三日勤務に変えて下さいって言ってきたらしいよ」
私は驚いてしまった。
「そんなに体調悪くても、やっぱり勤めを続けるつもりなんですか?本当に大丈夫なんですかねえ?」
Mさんも渋面を作っている。
「週に一日でも無理なんだから、勤務日減らしても同じような気がする・・・」
私も同じ思いで頷いた。

各レジにはパートの採用人数枠がある。靴服飾レジは三人だ。うち一人が私である。
Sさんは休んではいるが、一応ウチのレジのパートの一人である。だから募集をかけることができるのはあと一人である。
「こう言っちゃあ悪いけど、迷惑だよねえ。一旦辞めたほうがスッキリして良いと思うけど」
Yさんが言うのもわかるが、店の方からは「辞めて下さい」とは言えない。『マタハラ』に当たるからだそうだ。
帰宅して顚末を夫に話すと、
「うーん。『常識』ないって言われてもしょうがないんとちゃうかなあ・・・」
と言う。

夫の言う『常識』という言葉に、考え込んでしまった。
復帰をするか退職するかを決めるのは、この状況下Sさんにしか出来ない。自らがコントロールできない体調不良とは言え、これだけ「出勤します」「やっぱり休みます」を繰り返していれば、職場に迷惑をかけているのは本人もわかっていると思う。『常識』では退職を自ら口にするのが当然なのだろう。
だが労働者として、彼女には「続けます」という『権利』がある。結果、彼女の言い分だけが通ることになる。
何か割り切れない思いが残る。

『常識』とはなんなのだろう、と思う。
「当たり前」とか「普通」とか「社会通念」とかいう言葉でしか言い表すことが出来ないが、あんまり振りかざすのは私は好きではない。
しかし今回の場合、明らかにSさんは「『常識』外れ」な気がする。
Sさんが優先するべきは、お腹にいる赤ん坊の無事であることは勿論だが、それは彼女が一番わかっている筈だ。周りが「赤ちゃん大丈夫なの?」と非難がましくいうのは大きなお世話だろう。
あとは「迷惑をこうむっている職場のメンバー」と「少しでも働いてお金を得たい自分」と、どちらを優先するか、ということになるのだろうか。
職場は大変困っている。働けないならスッパリ辞めて、採用枠を空けてもらいたい。
一方Sさんには「働く『権利』」「辞めない『権利』」がある。職場がどう考えようとある。だからそれを当然のごとく行使する。すると職場は困る。迷惑する。「『権利』の濫用」だと考える。
両者の溝は埋まることがない。
でも『権利』を行使することで誰かに迷惑をかけてしまうのなら、ちゃんと行使する本人から、迷惑をかける周囲への理由の説明が要るのではないか、と思うのは間違っているのだろうか。
『常識』は悪者なのだろうか。

『常識』通りSさんが「退職」を自ら口にするのが、お腹の赤ちゃんにとっても、Sさんにとっても、職場にとっても、良いとは思うけど、彼女はそれを望んでいないようだ。
さあ、どうなるだろう。どんな結果でも、私達は受け入れるしかない。