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僕は、農家の息子だ。

僕は、田園風景を愛している。

5月頭の、水が張られた、まぶしいような姿も美しくて好きだし

6月ごろの、苗が植えられてカエルの鳴き声が聞こえる姿も好きだし、

7,8月の芝生のような緑がなびく姿も、

9月の金色の絨毯がいっぱいにきらきらしている姿も、とにかく好きだ。

そんな景色を見ながら、僕は酒が飲める。

その景色だけで、僕は酒がうまい。


僕が尊敬する(?)るろうに剣心の剣心の師匠である比古清十郎先生も

春は夜桜 なるには星 秋には満月 冬には雪 それで十分酒は美味い

と申しておられる。その感覚にとても近い。


だからか知らないけど、農家の息子であることに誇りをもって生きていた。ように思う。


その実家で親父に酒米をつくってもらって、自分で酒にしたこともある。

その関係は今でも継続していて、今年は兵庫夢錦という新しい酒米にもチャレンジしている。

そこのおぜん立てみたいなものにも僕ももちろん関わった。
(そして倒れた)

とはいえ、僕は農作業はとても苦手で、基本的に根暗なインドア男なので、田んぼをどうこうしていくつもりは全くなかった。

手伝いくらいはできたとしても、自分で農業をどうこう、とか考えたことは全くである。

ミリ単位でも考えてなかった。だって嫌いなことは考えたくないのである。


しかし、そろそろ真面目にどうするかを考える時がやってきたらしい。

だからこその「本間農園問題。」だ。


問題① 親父の年齢と体力を考えてなかった。

よくよく考えたら、今年の頭である。親父の喜寿を祝った。

喜寿ということは70歳だ。

親父は39歳で結婚した。僕は次男坊で、二人目の子どもであり、そこそこ親父は老けていたのを忘れていた。

ついでに、長年のヘビースモーカーが災いして、肺気腫を患っている。

入院とかまでするレベルにはなってないが、

どう見てもあと10年農業を続けるのは難しいと思う。

本人に軽く確認してみるとあと7年くらい(77歳くらいまで)続けるつもりだった。

僕の予想ではあと5年でそこそこヤバい気がする。

ということは、5年後には誰かが継続的なサポートに入っていなければならない。

これは困った。

問題② 4町歩くらいの田んぼがある

1町は10反。10反は1畝。1畝はだいたい100㎡だ。

ということは、4町歩は4万㎡である。だいたい。これはだいたい4ヘクタールだ。

これは関西人みんな大好き甲子園に換算するとほぼちょうど1個分。ちょっと甲子園のほうが小さいくらいのサイズである。


もちろん全部自前の田んぼではなくて、借りている田んぼや営農の田んぼもある。

とはいえ、2町強~3町弱が自前の田んぼだったと記憶している。

しかも田んぼはあちこちに散らばっていて、山際も多くて、しかも1つあたりの田んぼが3反とか2反とか小さいので草刈りなども超大変なのである。

それを一人でどうこうするのとかほんと無理。

これは困った。

問題③ 兄弟たちは帰ってくる気ゼロ

僕は3兄弟の次男坊だ。

2歳上の兄と、5歳下の弟がいる。

兄は高校を卒業して、検査会社に就職したけど、1年でやめて、1年職業訓練学校やバイトやボランティアをやりまくって、宅建とったりしながら教育課の大学へ入りなおした。途中からお金が無くなって通信教育に切り替えてたけど、自分のお金でやり抜いたのだからほんとすごいと思う。
かなりフラフラしていたくせに、現在は公務員である。県庁系の。なぜか一番固い仕事をしてやがるのであります。

弟は高校時代に自転車競技で国体までいった。高校で始めた競技で、お金がかかる、でもその自転車の性能が影響する競技だったのにそんなにお金を頼ることなくやりきった。大したものだとおもう。そんな弟は高校を卒業して関西の都市圏の北側を走る私鉄に就職した。グループ全体ではもちろん、鉄道事業だけでも超優良企業である。

とはいえ、みんな関西圏に住んでいるので、よく顔を合わせたりするし、実家で集合するときもある比較的仲の良い兄弟(自覚はないけどよくそう言われるからそうなんだろう)である。

そんなわけで気軽にLINEで聞いてみたのだけど、すぐに地元へ戻る可能性は0に近い感じだった。

彼らが真面目な仕事についている中で、僕だけがニートになる将来が確定している。

これは困った。

ということは、僕が何とかするしかないのだろうか。困った。


問題④ 僕は丹波から離れたくないし、農業をやる気があんまりない。


僕は丹波が好きだ。

田園風景が好きだといったけど、その言葉の重みと同じくらい、丹波が好きだ。

地元とどっちが好きかと聞かれると、丹波が好きだと答えるくらい丹波が好きだ。

丹波の人も好きだし、丹波の雰囲気も好きだし、丹波の生活にとにかく幸せを感じている。

だから、あと10年くらい居住を移すことは考えていない。

10年後くらいに、丹波で古民家買うくらいで良いと思っていたのである。


丹波から地元まで、車で1時間かかる。

1時間の運転は、通勤時間として限界…いや、やりたくない。やりたくない。

長時間運転すると絶対に交通法規的につかまる予感がする。いやだ。やりたくない。

ああ、話が脱線しました。


ということで、距離的な問題が存在するということ。

ついでに、何度も書いたけど僕は農作業はあんまりやりたくないのである。

困った。困った。困ったのである。


これは、新規就農を志す人にとっては「うらやましい」ことであることは理解している。

解決方法も、きっといくつか存在する。

しかも、僕が引き継ぐことが決まったわけではない。

親父が、引き継がせる気もないかもしれない。

ついでに言うと、今現在は困っていない。親父が健在だからである。

でも、今日はいつかの未来にやってくるであろう、「本当に困る可能性」について言葉にせずにはいられなかった。


何かに縛られることがとにかく苦手な僕にとって、未来を固定化されることほど気味の悪い出来事はないのだ。
それがひとつの可能性だとしても。


だから、きっと、僕はもう少し未来に多くの人にもっと切実に「困った」という気がする。

なんなら「助けて」と言っている気がする。

いつかやってくる未来にむけて、本当にやってきそうな未来に向けて、僕は事前に予告をしておきたいと思う。

それが僕の心の準備だし、こうやって「困った」と言葉にすることが、だれかが手を差し伸べてくれるきっかけになるかもしれないから。


Hayate

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