hayashin

ショートショート 短編、長編などなど

hayashin

ショートショート 短編、長編などなど

最近の記事

菜の花が枯れないうちに

 車椅子の上にちょこんと腰かけた母は、眼前に広がる一面の黄色をぼんやりと眺めていた。もうかれこれ二時間はこうしている。優しく吹いた潮風で菜の花畑が波打つと、母は少し嬉しそうだった。  菜の花畑が大好きな人だった。僕や妹が幼い頃、母はよく僕らをこの場所に連れ出した。僕や妹の手を引きながら菜の花畑の中を歩いていく母は、子供に戻ったように楽しそうな笑顔を浮かべていた。当時僕なんかはわんぱく盛りで、ここに連れてこられるといつも退屈な思いをした。遊具もゲーム機もないこの場所は、子供が

    • さめる

      あれは高校の時の化学の教師だったか生物の教師だったか。授業内容が終わった後の雑談だった。 「ムべンバ効果ってのがあってさ」 教師はパンパンと手を叩いてチョークの粉を落とした。 「常温のぬるい水と熱湯をいっぺんに冷凍庫に入れるだろ?するとどうだ、熱湯の方が早くに氷になるんだよ。不思議だよな」 教師はヤニで黄色くなった歯を見せて笑った。そんなとりとめもない雑談を、ユイはなぜかいまだに覚えている。 二人は断末魔にも似た、短く太い喘ぎ声をあげたっきり一言も交わしていない。裸のミナト

      • 僕は年賀状を書きません

        年賀状なんてクソッタレな文化だ。筆や芋のハンコなんかでちっこいハガキの上に卑しく文字を詰め込んでいる様なら、それはそれで興があっただろうが、今はプリンターだのパソコンだので便利に楽ちんに出来るものらしい。はて、年賀状とはその類のものなのか。 年賀状の意義、それはさしずめ老体の生存確認といったところなんだろう。あるいは、物理的距離の生じた親しい友人などに対して新年早々玄関を叩きに行くようなそんな感じなんだろう。 それならまだ理解はできるのだ。 年賀状とはどの道早けりゃ一週間後に

        • 溺愛

          彼氏の吸ったタバコを1口貰ったことがある。酷く苦くて喉が詰まるんじゃないかと思った。彼氏はむせ返る私を見て苦笑いをした。 ところで、タバコと恋愛はよく似ている。入口は興味。タバコそのものよりも、タバコを吸う自分への憧れからはいることが多いだろう。それから、のめり込む者と合わない者が現れる。辞められない者と辞められる者が現れる。タバコに関して彼は前者で、恋愛に関して私は前者だった。 いつからか彼は私に興味を示さなくなった。何かと都合をつけて、私との約束を煙中に紛れるようにかわす

        菜の花が枯れないうちに

          白桃色の魔法

          私の散歩道はいつも決まっている。まず昼下がりに家を出たら右手の方向に歩く。しばらくすると鉄棒とブランコしかない小さな公園が目に入るので、そうしたらその角を左に曲がる。すると商店街に行き着く。古本屋、呉服屋、小物屋、花屋に立ち寄って、気に入ったものがあれば買ってみる。その日は呉服屋でちょっとした細君へのプレゼントを買った。彼女の喜ぶ表情を想像すると、いけない、ついにやけてしまう。細君とは10年前に大学のキャンパスで出会った。変わり者で浮いていた私に、それでも優しく接してくれたも

          白桃色の魔法

          恋文

          凸凹したアスファルトの道路の上に松ぼっくりが転がっていた。ローファーでぽーんと蹴飛ばしてみると、横断歩道の手前くらいまで転がっていった。鋭い風がびゅっと吹く。だいぶ寒くなってきて、いよいよ受験のことを思うと頭がずきりと痛くなる。鞄の中に入っている模試結果は、第一志望のEを確認したっきり見ていない。何が何点だったとか、滑り止めの判定はどうだとか、前回と比べてどうだとか、何も見ていない。ただ親には順調だといい、友人にはヤバイといい、教師には頑張らせてくださいという。それだけ。志望

          2人のシンデレラ

          安っぽいアルコールがハイヒールに絡みついて上手く歩けない。田舎とも都会ともつかない安城市のコンクリートロードをフラフラとした足取りで進む。切れかかってる街灯の真下に入って、電柱に手を当てた。 どうして、こうなったんだろう。10年前の夜はもっとずっと高くて、見たことも聞いたこともないワクワクに溢れていた。友達と親に内緒で夜の街に繰り出した時の背徳感と開放感、無限大の未来が広がっていた人のいない公園、ブランコの上、初めてできた恋人といつまでたっても電話を繋ぎ続けていた午前2時、そ

          2人のシンデレラ

          売る女 売る男

          紅葉がカーテンを開けると、深い黒色が窓のフレーム内を占領していた。街明かりはベランダの下を覗き込まなければ見えてこない。月も星もない東京の夜は、高層ビルの一番高いところに立ってみると案外あっけないものだ。 「高いわ」 「いい場所だろう?」 水内は紅葉の隣に立った。左手にはワイングラス、真紅の液体がその中で転がっている。 「ここに住んでいるの?」 「ここに住所をとってはいるがね。落ち着かんよ。普段は森の喋り声と獣の息遣いしか聞こえないような田舎に身を置いている。君のよ

          売る女 売る男

          真夏の忘れ物

          昨晩妻、華の父親が死んだ。まだ危篤ではないという数日前の義兄の言葉で油断していた私は、彼からの訃報に唖然としたのだった。義父は何かと私を気にかけてくれる人で、私は電話を切ったあとひとり涙した。夜遅くまで続いた仕事のために通夜に参列できなかったことが酷く悲しかった。自分が薄情な人間に感じてならなかった。 朝、無機質なアラーム音で無理矢理身体を持ち上げた。時計は4時半を示していた。カーテンの向こうにはまだ光の気配すらない。ふらつく足どりでバスルームに向かう。シャワーをさっと浴び

          真夏の忘れ物

          夢と嘘

          ガチャリと扉が開いて、背の高い男が姿を見せた。男は靴を脱ぎ散らかすと無遠慮に私の部屋へと上がる。 「この時間は暇だろ?」 「秋安…ノックくらいしなさいよ」 「わりいね」 男はちっとも悪びれた様子を見せずにドカッとクッションに腰を下ろした。 「で、どうしたのよ」 私は身体を起こしてベッドの上に腰掛けた。 「分かるだろ?頼むよ」 「はいはい」 まあそうだろう。それ以外で秋安が私を訪ねてくる道理はない。 「一昨日も来たでしょう?本当は金とれるんだからね?」 私は一応そんなふうに毒づ

          夢と嘘

          魔法のように

          水島という男はいつだって孤独について考えている。陽気なジャズが店中を飛び跳ねる喫茶店のカウンター席、酒気とタバコの煙とやかましい話し声で息苦しくなりそうな居酒屋のテーブル、綾香との吐息が混じり合うダブルベッドの上、一人で遠くに浮かぶ円い月を眺める午前3時のベランダ。 水島はいつだって孤独だった。そのくせ寂しがりだった。水島の心の中にはいつだって満たされない感触と、満たされたいという欲望と、満たさない現実が所狭しと同居していた。 「俺、結婚することになった」 5年振りに会った

          魔法のように

          【小説】真夏の忘れ物4

          「馬場さんって彼氏いるの?」 私は烏龍茶を飲みながら聞いた。 「居ないんですよ、それが」 「えー、モテるでしょ」 何となくデリカシーに欠ける質問な気もしたが、あまりに馬場さんがキッパリ彼氏の存在を否定するものだから気になってしまった。 「いや、全然ですよ」 ハラミを頬張りながら彼女は応えた。 「意外だね、美人なのに」 私がそう言うと、彼女は「美人じゃないです」と言いながらも顔を赤らめた。満更でも無さそうだ。 「私、ちょっと恋愛が怖くなっちゃって」 彼女は箸を皿の上に置いて、網

          【小説】真夏の忘れ物4

          【小説】真夏の忘れ物3

          目はすっかり冴えていた。私は正座で静かにコール音に耳を澄ませていた。 「もしもし!馬場さん?」 電話に出た音を聞いて私は慌てて言葉を放った。 「あ、お疲れ様です広瀬さん。」 「あの…俺昨日…」 「はい、広瀬さんの家まで送らせていただいたのですがご迷惑ではなかったですかね」 私は女神と電話しているかのような錯覚に陥った。 「俺全く昨晩の記憶がなくて…安田と飲んでて酔っ払っちゃって…経緯を教えて下さるとありがたいと言うか昨晩は誠に申し訳ないというか」 「えっと、私昨日は10時代ま

          【小説】真夏の忘れ物3

          【小説】真夏の忘れ物2

          「広瀬先輩、だいぶ溜まっちゃってます」 後輩の安田が朝礼の時にぼそっと耳打ちした。義父の葬儀が終わり2日経ち、私はデザイナーとしての仕事に戻った。 「ヤバい感じ?」 「今週中に2件。来週にも1件既に入ってます」 「OK。しかし2日外しただけで溜まったな。今日木曜だぜ?」 「課長がサンキョーは広瀬じゃなきゃダメだって言ってました」 「サンキョーはガッツリ俺の管轄だからねぇ。あとはサクラ開発のポスターの原案かな?」 「はい」 「まあ終わるだろう」 日常に帰ると、悲しむ暇すらなかな

          【小説】真夏の忘れ物2

          【小説】真夏の忘れ物 1

          稚拙な文章ですが御容赦ください 【真夏の忘れ物】 昨晩妻、華の父親が死んだ。まだ危篤ではないという数日前の義兄の言葉で油断していた私は、彼からの訃報に唖然としたのだった。義父は何かと私を気にかけてくれる人で、私は電話を切ったあとひとり涙した。夜遅くまで続いた仕事のために通夜に参列できなかったことが酷く悲しかったし、自分が薄情な人間に感じてならなかった。 朝、無機質なアラーム音で無理矢理身体を持ち上げた。時計は4時半を示していた。カーテンの向こうにはまだ光の気配すらない。

          【小説】真夏の忘れ物 1