僕は年賀状を書きません

年賀状なんてクソッタレな文化だ。筆や芋のハンコなんかでちっこいハガキの上に卑しく文字を詰め込んでいる様なら、それはそれで興があっただろうが、今はプリンターだのパソコンだので便利に楽ちんに出来るものらしい。はて、年賀状とはその類のものなのか。
年賀状の意義、それはさしずめ老体の生存確認といったところなんだろう。あるいは、物理的距離の生じた親しい友人などに対して新年早々玄関を叩きに行くようなそんな感じなんだろう。
それならまだ理解はできるのだ。
年賀状とはどの道早けりゃ一週間後に会う学校のツレに送る意味のある代物なのか。
俺の出した答えはノー。学校でも勉強できる方の俺がそう思うなら本当にノーなのだ。
年賀状は基本的には貰わないようにしてる。賢い俺は「喪中なんだ」という言葉を覚えた。俺は賢い。それがどれほど最悪な嘘かは知っていたが、年賀状の面倒臭さというのはそんな倫理観を易々と背面跳びで越えてくる。
年賀状が嫌いなだけで正月は好きだったりする。恋人たちやら俺の腰ほどの背丈の子供たちやらは、正月前後一様に街ではしゃいでいる。それ自体はきちんと目障りなのだが、そういう風に気持ちが浮かれた街を歩いているのは面白かったりする。他の家の門松やしめ縄なんかを見るのも面白い。
今年も除夜の鐘が夜に響く。108の煩悩というのは案外少ないものだ。仮に2日に1回クラスの女子やらに劣情をもよおしていたとしたら、その時点で180個くらいの煩悩になる。108とは坊主の基準なんだろうな。俗人は煩悩にまみれている。
さて、煩悩にまみれている人間は都合よく自分の意見が変わる。
年賀状の仕分けをしていた妹が、高校ラグビーを見ていた俺の名前を呼ぶ。
「なんだ?」
「年賀状」
妹は素っ気なくハガキを手渡した。年賀状…?担任の虻川か…?俺はなんだか嫌な感じがしてコタツの上にハガキを置くと、面倒事から目をそらすように花園で駆け回る高校生たちを見た。
強豪校が順当に勝ち進んでいった。それはそれでいいのだが、期待していたようなドラマチックは起きないままその日の全試合は終わった。
ああ、退屈になってしまった。
そうしてゴロゴロしていると、ふと意識が年賀状へ向く。目を逸らし、顔を逸らし、ただ、意識は年賀状にこびりついていた。
ため息をついて、左手でこたつの上をまさぐった。小指に硬い紙が触れた。それを手に取って、恐る恐る裏面を見る。喪中と公言している人間に年賀状を送り付ける酔狂な不届き者は誰だ。
「若月梓」
年賀ハガキの左下にそう書いてある。なんだ俺の気が狂っただけだった。俺は安心してこたつの上に戻した。
…いやいや。
なんだ。一体なんなんだ。若月だぞ?あの若月梓だぞ?クラス1の美人で、無謀な男共からのアプローチを受けたのは一回や二回でないだろう。俺は冬休みに入る前の席替えで隣になって、やっとこさ話すようになった関係でしかない。無論、彼女に対する憧れは他の男子が彼女に抱くのと同じくらいの質量はある。
しかし、だからと言って彼女が俺にこんなものを送り付けてくる道理はない。
ああ、そうか。彼女は人格者で人気者。クラスみんなに送っているんだ。合点がいった。危ない、あと少しで糠に浸かりながら大喜びするところだった。
そうと決まれば気が楽だ。アホなバラエティでも見て時間を潰そう。
ぷるるる。温度感のない電話のコール音。うるさいなあ。俺はこたつの毛布で耳を覆った。
「ちょっと和哉。でて」
母の声。やれやれこうなると思ったよ。
温かいコタツをつま先立ちで飛び出す。毎年の正月同じことを思うが寒すぎる。これでは電話の子機に辿り着く前に凍死してしまうかもしれない。
くだらないことを思いながら電話に出ると、「もしもし」と耳障りな甲高い声。馬淵だ。
「あけおめー!」
「…あけおめ」
「年賀状送れないから電話しました〜」
…こいつには大人しく年賀状の1枚でも送らせた方が気楽かもしれない。
「いやぁ、正月って楽しいよな」
「ああ」
まあ、概ね同意だ。
それから俺は寒中で馬淵の無駄話に付き合わされた。正月の楽しさが蚊取線香みたいにジリジリとすり減っていく。早く解放してくれ。20分ほど話したところで、突然馬淵は飽きたように「切るわ」と言った。大概にしやがれ。
「それじゃ、ばいび」
「あ、ちょっと」
俺は切ろうとする馬淵を呼び止めた。念の為聞いておこう。
「若月からの年賀状なんだけどさ」
「お前若月に年賀状もらったの!?」
甲高い声がさらにやかましく叫び声を上げた。衝撃が漏れたという感じでもあった。
「いや?」
俺はシラを切った。そしてついでに電話も切った。
さて、何が起きているんだ?
若月が馬淵を嫌いなだけか…?

それからの冬休みは若月への悶々とした気持ちの整理をしようとしたら終わっていた。あっという間に1月7日。始業式という世界一訳が分からない式典に出席している間にも、俺はその日の朝見かけた若月の容姿を脳の中で飴玉のようにずっと転がしていた。落ち着かないままいつの間にかみんなが校歌を歌い出した。
教室に戻ると俺は誰ともつるむことなく自席へ戻った。隣に来るだろう若月梓を待ち続けるその様は、獲物を狙う獅子と言うよりも、片想いする月見草のようなものだっただろう。
五分ほどして、若月は隣の席に腰をかけた。当たり前だ。そこが彼女の席なんだから。
若月は長い髪を赤色のゴムで束ね、そのキュッと整った瞳や鼻は「理想形」といって差し支えないほどに完璧だった。話しかけようとした俺はその美貌に言葉を無くし、呆然と若月を眺めていた。そんな俺に気付いて若月はニヤッと笑った。
「あけましておめでとう」
若月はこっちを真っ直ぐみてそういった。
俺はドキッとしてこくりと頷くばかりだった。
と、教室に虻川が入ってきて、散り散りになっていた生徒は皆自席に戻った。俺は年賀状のことを尋ねられないままその日を終えた。
かのように思われた。
昼の12時近くに学校が終わり、俺は若月に後ろ髪を引かれつつも、いつも通り連れと帰ろうと思った。
若月に簡単な挨拶を残して席を立ったその時だった。
「少し話さない?」
若月は俺の袖を引いて渡り廊下に連れていった。人目につきそうで、案外ここを利用する連中は少ない。悪童の溜まり場でもあったし、恋人の密会所でもあった。
「やっと落ち着いて話せるね」
天使のような悪魔のような笑顔だった。
「なあ、若月」
俺は勇気を持って彼女に尋ねてみる。
「どうして俺に年賀状を…?」
「ダメだった?返事なくて凹んだよ」
返事…!?最近年賀状のやり取りをしなさすぎて忘れていた。
「あ、ご、ごめ」
「あはは。いいよ。許す。それに、喪中だもんね」
あっけらかんと若月は言った。
「え、知ってたなら…」
「喪中ってことは、今年貰う年賀状は本来1枚もないはずでしょ?」
俺は嘘を咎められているのか…?
「ああ」
俺は曖昧にそう返した。
「だったらさ」
若月は渡り廊下の窓を開ける。真冬のカラッとした風が若月のポニーテールを攫って、その髪をたなびかせた。
「私の年賀状だけが届くってことじゃない?そしたらあなたは冬休みの間、私がどうして年賀状を出したのか疑問に思うと思ったの」
その通りだった。俺は毎日あの年賀状とにらめっこしていた。
「それで…?」
「少しでも、私のことを考えてくれるかなって」
えへへ、と若月は照れたように笑った。
「どうして、そんなことを?」
「意地悪。分かってる癖に」
若月の頬は、耳は、首筋は熟れたさくらんぼのように赤く染まっていた。
「…恥ずかしいから耳貸して」
俺は破裂しそうな胸を息を止めてなだめながら、彼女に言われるがまま耳を彼女の口元に寄せた。
瞬間ツン、と熱い感触。
直ぐに彼女は唇を離した。気のせいか、そう思って何度も耳を手で撫でたけれど全ては闇の中だった。
「あはは。やっちゃった」
彼女は照れ臭そうに髪の毛を書いた。ううん。気のせいじゃないらしい。
「顔真っ赤」
からかうように肩を揺らす若月は、冬だと言うのに大粒の汗をポロポロこぼしていた。

今俺は余った年賀はがきに若月への返事を書いている。若月のことを思う度に、耳のあたりが炙られたような感覚を覚える。
「あ、ミスった」
大袈裟な声が出てしまった。
「やり直すか」
もう何回目なんだ。やり直しは。
いや、もう年賀状は懲り懲りだよ。

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