わたしが世界の中心ならいいのに

こんにちは。早瀬くもりです。
わたしは1年間休学をして、岩手県のど田舎にプチ移住、シェアハウスで暮らしています。

ここでの生活は、あと10日を切りました。
120日間だけ同じ家で暮らす。
どこまで理解しあって、近づけるか。
今になって気づく、わたしはあまりに難しい挑戦にいつの間にか飛び込んでしまっていたことに。


わたしは人と一緒にいるほど寂しかった。
このシェアハウスでの暮らしは、楽しい思い出よりもきっと、悲しかったり寂しかったりする時間が多かったように思う。

もう押さえ込んだと思っていた家族の呪いは、まだわたしの中に潜んでいた。
人をどれだけ大切に思っても、それとは別のところで馬鹿にせずにはいられない心があって、人のことは好きなのに、人と一緒にいるのはしんどいという矛盾は、あまりに辛かった。

恋愛と友情だったら、恋愛の方が重視されるという傾向が、わたしには未だにわからない。
恋人よりも選ばれる人になりたい、という願いをこれから先もしばらくは抱えていなければいけなそうな気がした。

わたしは、恋愛以外の特別がほしかった。
ものすごく優しくていい人も、恋愛的に好きにはなれないのが悲しかった。人として好きでも、その伝え方がわからなかった。

辛くて泣いている人がいても、話し相手に選ばれないことが悲しかった。本心では、受け止められない気がして、怖くて聞きたくないと思うのに、話してくれないって被害者ズラする自分をどう励ましていいのかわからなかった。

話したいことは山ほどあるのに、素直に話せない自分が嫌だった。優しい人が現れると、わざと傷つけたくなる気持ちとの戦い方は未だに掴めない。

わたしはここで何がしたかったのか、これが一番わからない。

忘れられない努力はしたくなくて、絶対に覚えていないだろうって状態に持ち込んだ上で、覚えていてくれる人を探したくなる。
例えば、10年後「わたし、10年前の夏、ここにいたんです。」って突然現れたい。そのためだけに、10年間失踪したい、なんて思う。あまりに捻くれている。

わたしはこれからどこで何をして生きていけばいいのか、これは二番目にわからない。

バイトを詰め込む生活が、わたしの当たり前だった。自分の頑張りの評価軸を失った、クライシスでしかない。お金を稼げるという結果ではなく、泥臭くどれだけ頑張るかがわたしのスタイルだった。どれだけ消耗されるか、それだけ、苦しみたかっただけだった。苦しんだ分、自分は自分に評価された。

頑張るとはなにかという問いを見失ったのは、人生で二度目だ。

この4ヶ月間、わたしはたしかに頑張っていた。
悲しみの中で踏ん張っていた。
でも、何を基準に褒めたらいいのだろうか、何を残せたのだろうか、何者になれたのだろうか、何も変われなかったんじゃないか、そうやってぐるぐる考えることしかできない。


この4ヶ月間で気づいたことの一つに、ここで感じた苦しみはこれまでの人生で何度も経験してきたものの繰り返しで、そしてこの先もまたやってくるものだろうという予測がある。

そう、この文章の結論として、そう簡単に人は変われないこと、救われないということはわかっているって話になる。

ここに来なければ、こんな苦しみを味わうこともなかったって泣き喚きたくなるけど、多分そうじゃない。

ここに来てよかった、とどうしても思いたい。
今後の人生で意味づけをしていきたい。

寂しいという感情を失いたくない。
今日、ハウスメイトたちを相手に、日々の生活の中で寂しいと思う瞬間を羅列して話した。これはわたし一人の感情でしかなくて、相手には相手の気持ちがあって、その上で選択されたかった。気持ちを話したら、ちょっとだけ寄り添おうとしてくれたのが嬉しかった。この人たちに話を聞いてほしいと、始めて強く思った。

多分一生寂しいのだから、寂しいと言おうと思った。


ここまで読んでくださりありがとうございます。
寂しがりやのくせに、いつだって遠くに行きたいのは、生まれつきのバグなんだよなーって思います。

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