犯人はヤス、-終焉-|第1話|無気力
今流行りのウェイトレス付きのジャズバー。
悟は一人、フォーマルな格好で、食事を楽しんでいた。
「すみません、赤ワイン貰えますか?」
テーブルは6卓、オープンテラスがあり、天井まであるガラス張りの窓のおかげか、中は、広く感じる。
全ての席は埋まっており、皆、にこやかな表情で、ゆっくりフランス料理を楽しんでいた。
「お待たせしました」
赤ワインの入ったグラスを差し出すウェイトレス。
そのウェイトレス越しに、全身真っ赤なドレスを身に纏った一人の女性が、悟の目に止まった。
悟は、一瞬何かを感じそうになる。
目の前のウェイトレスの振る舞いに気を取られながら、テーブルに置かれた赤ワインを手に取り、赤ワイン越しに、ドレス姿の女性を眺めた。
すると、突然、照明が暗転し、正面のピアノにスポットが当たった。
「本日は、お越しいただき誠にありがとうございます。本日は、皆さまに、新たなジャズ音楽の世界を、生演奏とともに、お届けしたいと思います。お食事を楽しみながら、お聴きくださいませ」
すると、ジャズバーには似合わないアイヌの民族衣装を着た男女二人が、トンコリという珍しい弦楽器を持って、登場した。
その後、スーツの男がピアノの前に座り、太めの男がサックスを持って出てきた。
そして、4人による、セッションが始まった。
ピアノの旋律と深く低いサックスの音がジャズバーに響き渡る。その中に、変拍子や裏拍子を取りながら、伝統的なアイヌ音楽が混ざり合っていく。
アイヌ民族は、自然や動物に神が宿っていると考え、様々な神話を音楽にして受け継いできた。
そのどこか切なくも耳に残る不思議な音色に、聞く者たちは自然と引き込まれ、魅了されていった。
たった5年で、日本は急激に発展し、独自の進化を遂げていた。
国民は通貨を持たず、物を購入する際も地理的なツールは使用しない。
お金を稼がなければ生活できないという固執した考えがなくなり、働かずとも平和に暮らすことができる仕組みが確立されていた。
その発端となったのは、進化を遂げたAI。
監視カメラでもない新たなシステムの導入が行われ、政府が、国民を守る仕組み作りを迅速に進めていたのだ。
これにより日本人は、何不自由なく生きられ、一切生活に困らない人種になっていた。
国民の価値観も変化し、自由をより尊重するようになっていた。
しかし一方で、手間や時間を要する昔ながらの文化は、一気に廃れた。
神社は華やかな電飾にあしらわれ、祭りなどの伝統行事はほぼ壊滅状態。
国技やハードなスポーツはもちろん、体力や忍耐を要する仕事も、時間や労力の無駄と考える人がほとんどで、少しずつなくなろうとしていた。
さらに、新たな法律の改正により進められた、競争社会の撲滅や守秘義務の自由化によって、急速な発展を遂げていた。
いつの間にか演奏も終盤。
悟は、何度も見ている光景のため、すでに飽きていた。
赤ワインを見つめる。
グラスに映り込む女性は、前屈みの姿勢で両肘をテーブルにつき、音楽に引き込まれていた。
悟はゆっくりと赤ワインを口にする。
すると、演奏を終えたアイヌの民族衣装を着た女性が、悟の隣に座り、
「悟、今日も来てくれてありがと。おにぎり、買って帰ってね」
ジャズバーを出て、すぐ裏手にあるコンビニに寄り、お決まりの流れでおにぎりコーナーへ向かう。
普段はバリエーション豊かなおにぎりコーナーも、夜9時を回ると当然のように2,3個のおにぎりしか残っていない。
悟は、女性に言われた通り、余り物の赤飯のおにぎりを手にし、コンビニを出た。
すると電子音が鳴り、目の前に金額が表示される。だが、悟の視線には入らない。
「たまには、路地裏から帰ってみるか」
何気なく入った路地裏には、木漏れ日程度のビルの光しか入ってきておらず、人一人見当たらない。
それでも気にせず、車道の真ん中を歩いていく。
左手にある路地を横目に見ると、そこに『手相』と大きく書かれた昔ながらの簡易的な占いの店があった。
AIの普及により、滅多に見なくなった『手相』の文字。簡単に遺伝子検査で、性格が分かるようになり、もう占いを信じる人などいなくなっていた。
物珍しく感じ、少しずつ近づいていくと、怪しげな黒紫のハットを被る男性が座っていた。
「いたぞ! 捕まえろ!!」
路地の奥から3人の警察官が叫びながら現れ、その占い師を羽交い締めにした。
驚きながらも、反射的に少ししゃがみながら身を隠した。
警察官たちは、占い師を連れ去り、あっという間にいなくなった。
一瞬の出来事に戸惑う悟。
悟自身、警察官ではあるが、ここ最近、犯罪の場面に出くわすことがなくなっていた。
奇妙な逮捕の瞬間、占い師は狼狽えることもなく、悟のことをずっと見ていた。
妙な違和感を感じた悟は、そのまま残された占いの台へ少しずつ近づいてみる。
すると、朱色の布で覆われた台の上に、分かりやすく手書きで描かれた手のひらの絵と、その隣にはメモ用紙が1枚置かれていた。
恐る恐る、そのメモを開く。
[これを目にした者よ、何も言わず持っていけ]
途中で破られた跡があるメモ用紙。さらにその下には茶封筒があった。
その怪しい茶封筒を反射的に持つ悟。そのままその場から走り去った。
悪いことをした訳ではないが、不思議とどこか罪悪感に苛まれる。
悟は、駅の入り口付近で立ち止まり、茶封筒を開いた。
そこには、便箋と1枚のチケットが入っていた。
便箋を広げ、読んでみる。
[21時31分発、22番線の夜行バスに乗れ]
命令口調で書かれた手紙。チケットには『蓮の印スピリチュアルツアー』と書かれていた。
日付はあるが、どのバス停かは書かれていない。
ふと目の前にあったバス停を見ると、大勢の人が行列を作り、バスを待っていた。
そこへ、1台のバスがタイミングよく現れる。
驚きを隠せない悟。
唖然としながらも、吸い寄せられるように近づく。
すると、バスターミナルには『22番線』の文字、さらにバスの行き先表示は『蓮の印スピリチュアルツアー』。
悟は、時刻表で時間も確認するが、21時31分発で一致していた。
次々と、バスへ乗り込む人々。
「スピリチュアルツアー参加の方でしょうか? チケットを拝見します」
外にいた女性ガイドに声をかけられる。
悟はすぐ立ち去ろうとしたが、先ほどの違和感から、だめもとでチケットを見せてみる。
「参加者の方ですね。どうぞお乗りください」
悟はバスに乗り込んだ。
バスの中では、乗客が荷物を抱え、座っている。
チケットに書かれた座席番号を頼りに席を探すと、左側の一人席、8Aと書かれた座席を見つけ、怪しまれないように座った。
「荷物は頭の上にあるネットへ入れてください」
立ち上がって荷物を入れる乗客を観察しながら、もう一度座席を確認する。
後ろは最後尾の4人席。前の席以外は全て埋まっており、ほぼ満席状態。
もちろん行き先など分からない。
バレずにこのまま行けるのかどうかも分からない。
不安になり、胸の鼓動が激しくなる。
刺激もなく、スリルなど滅多に感じることはない平和な時代。警察官でさえ、事件に関わりを持てない時代。その環境で慣れてしまっている悟には刺激の強い状況だ。
警察官としての業務であると言い聞かせながら、何も分からないツアーに参加することとなった。
バスの扉が音を立てて閉まり、女性ガイドが話し始める。
「ようこそ、蓮の印スピリチュアルバスツアーへ……」
穏やかな口調の女性ガイド。
話を聞きながら、座席に掛かっている毛布を膝に掛け始める乗客たち。真似るように毛布を手に取りながら、夜行バスには相応しくない装いに気づいた悟は、急いで上着を脱いだ。
女性ガイドが説明し終えたところでようやく、行き先がモニターに映し出された。
「富士ヘブンズ行きです」
行き先が案内されると、バスは、ゆっくり進み始めた。
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