大正スピカ-白昼夜の鏡像-|第1話|夜空
「周!!」
周は、國弘の手を離し、振り返った。
「知り合いでもいたのか?」
「いえ、……気のせいだったみたいです」
「何をしてる! 急ぐぞ」
ついて来ない二人を急かしたのは、正篤だった。
鴨川沿いを歩く三人は、北に向かって、人混みの中を足早に進んでいった。
橋を渡ると、ある神社に辿り着いた。
京都で最古の神社『下鴨神社』だ。
京都には、最古の神社が二つある。
下鴨神社と上賀茂神社。
両社は、『賀茂神社』と称され、それぞれ古代豪族である賀茂一族の氏神が祀られている。
鳥居を潜り、真っ直ぐ続く参道を歩くと、生い茂った木々たちに囲まれた、管理の行き届いた洗練された空間が、三人の目に飛び込んでくる。
「下鴨神社は、『導きの神』と言われている神社です。ここで挨拶をし、神から正しき道を授かりなさい」
國弘がここへ来たのは、初めてではない。
周と同じく、幼い頃に、ここへ連れて来られたことがある。
木々の温もりとともに、國弘の脳裏にはあの日の記憶が蘇る。記憶を思い返しながら、國弘はあえて周の手を離し、一人で歩かせた。
周が何を思い、何を読み取るのか、その判断を周に委ねたのだ。
辺りを見渡し、周りを把握しながら歩く周。
その様子を見つめる國弘。
その二人の間に、まだ青々とした葉っぱが落ちてくる。
その様子は、周が、國弘の伝えたいことを読み取っている姿を表しているように見えた。
國弘は、京都の代々神職を務める家系の次男として生まれた。
「ここまで我血筋に見合わない子どもが生まれくるとはな」
國弘の父親は、幼い頃から國弘を毛嫌いしていた。
「お前には、透視など向いておらん。神職に就く器すら持ち合わせていない。いずれお前は、この家系から出ていってもらう」
國弘は、諦めなかった。
優秀な長男を横目に勉学に励んだ。
しかし、ついていけなかった。
7才になった國弘に対し、父親はこう言った。
「神に仕える人間として、神の姿にすらなれぬとは。お前にはこれを授ける」
そう言うと、父親は國弘に賽を渡した。
「これは、運で未来を決める子どもの遊び道具だ。これで未来を占っていれば良い。まぁ、当てたところで、我血筋を名乗ることはできぬがな」
見たことのない三つの変わった形の賽。書かれている文字の意味すら教えてもらえなかった。
國弘は、独学で賽を振り続けながら、四六時中出た目の統計値を調べ、無我夢中で書き出し続けた。
ただ、父に認めてもらう一心で。
國弘は、賽を一心不乱に振り続けた。
いつしか、家族は、誰も國弘に寄り付かなくなっていた。
そして、國弘が10才になる誕生日に、全ての賽の目が判明し、統計値を出すことに成功した。
國弘は、三つの賽の意味を独学で説いてしまったのだ。
しかし、この行動が裏目に出てしまう。
父親と長男が未来透視で、天皇について話をしているときだった。
「現在の明治天皇が崩御するのは、20年後です」
國弘は、二人より先に答えを言ってしまったのだ。
この言葉を聞いた父親は、怒りを露わにした。
「お前は、この家系を壊すつもりか! 占いを習わいにして何をする! それが、お前の答えというのなら、今日から勘当だ。好きな人生を歩むが良い」
そう言って、父親は國弘に賽を投げつけた。そして、國弘を家から追い出してしまった。
國弘は、泣きながら家を出た。
寒空の中、真っ暗な外の世界に放り出された國弘。
目から大粒の涙が溢れた。
その涙はしばらく止まることはなかった。
國弘は、自らの境遇を恨んだ。しかし、なぜか、その恨みの矛先は父親には向いていなかった。
「神様、どうして僕をつくったの?」
國弘には、親に不必要とされている自分が生まれてきた理由が分からなかった。
國弘は、左手に握り締めていた三つの賽を暗闇に向かって投げた。しかし、その三つの賽は跳ね返り、再び國弘の足元へと戻ってきた。
賽を拾うことなく、國弘は空を見上げた。
少しだけ溢れる涙を抑え、睨むように天を見つめ続けた。
すると、一つの光が瞼に溜まった水面を照らし始めた。
その光の先にあったのは、春の大三角の一つ『スピカ』だった。
スピカが、涙を止めようとしているのか、滲みながら、國弘の映す世界を優しく包み込んでいた。
亡くなった母親が、乙女座の女神となり、優しく護ってくれているように思えた。
左手で涙を拭う國弘。
しかし、周りを見渡しても、母親の姿は見当たらない。
こんな状況になっても、自分の目には現実しか映らない。
地面に転がっている賽を見つめる國弘。
賽は、最悪の目が出ていた。
「坤為地ですか……。 これは珍しい。四方八方全てが陰。今は動かぬが吉のようです……」
なぜか、一瞬、見知らぬ女性に話す未来が見えた。
「……もしかして、これが僕の能力……」
賽を手に取り、もう一度、暗闇に向かって投げつけた。
すると、投げた賽は、何かに当たり、再び戻ってきた。
そして、暗闇の中から一人の男が現れた。
「初めまして、平塚國弘くんですね?」
その男は、なぜか自分の名前を知っていた。
「私は、神岡正篤と申します。君は今、行く宛がないはずです」
國弘が投げた賽を拾い上げ、丁寧に砂を払う正篤。そのまま國弘の左手の中に賽を入れ、優しく握らせた。
自分が着ていた羽織りを國弘の肩に掛ける。
「今日から君は、私の弟子です」
國弘の目に溜まっていた涙は、いつの間にか消えていた。
立ち上がらせ、國弘の裾を払ってあげる正篤。唖然としている國弘に優しく微笑んだ。
「まだ信じられませんか? ならば、羽織りの中に手を入れてごらんなさい」
言われるがまま、國弘は、羽織りのポケットに手を入れた。
ポケットから出てきたのは、三つの賽。國弘が持っていた賽と全く同じものが出てきたのだ。
「少しは信じてもらえたようですね。君が、その賽を持っている理由、気になりませんか?」
國弘は、開いた口が塞がらない。
気付けば、目の前にいる正篤について行くことを決めていた。
賽を振ること。
今の自分に出来ることは、これしかない。
これから自分に、何が待ち受けているのかは分からなかった。
半身だけ映すほどの小さな提灯の灯り。
この時、國弘はようやく正篤の姿を確認した。
その姿に、國弘は驚いた。予想よりも、遥かに若く見えたからだ。
それでも、行き先を聞くことはできない。
京都御所が映る黒光りした鴨川を横目に、二人は無言のまま、北の方向に進んでいった。
三人は、境内を抜け、最北端に鎮座する二つの本殿の前に現れた。
「与根葉周。其方は、運命を神に導いていただくためにここへ来たのです。どちらの本殿へ進むべきか決め、神からの導きを授かりなさい」
國弘は、そっと周の背中を押し、一歩前へ歩かせた。
周は、振り返りながら、國弘の心意を読み取った。
まだ7才の幼い少年に襲いかかる重圧。
これが何の分かれ道なのか、この選択によってどのような運命が待ち受けているのか、周は必死に考え続けた。
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