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大正スピカ-八咫烏の選別-|第5話|施し
神社の上空を眺め、怯え始める周。
「どうして行きたくないの?」
「だって、お空が真っ黒く……」
鈴子は、周の手を強く握りしめた。
周は驚いた様子で、鈴子を見る。
「大丈夫。怖くないから」
腰を落とし、優しく微笑む鈴子。
人混みから離れ、周囲の人に聞かれないように伝える。
「いいかい? 周、あんたが見えているものがすべて、みんなにも同じように見えているわけではない」
周の目に、涙が溜まり始める。
「周には今、黒い塊がたくさん空に浮かんでいるように見えている。それは、正しく真実の世界。周は正しい目を持っているんだよ。でもね、みんなにはそれは見えていないの。もちろん、お母さんたちにも。だから、見えているものをすべて口にしてはいけない。分かる?」
初めてのことだった。
周は、溜まっていた涙を流すどころか、驚いた表情を浮かべていた。
「大丈夫、安心しなさい。悪いことは起こらないから。みんなと同じように歩くの。いい?」
真剣な眼差しで、優しく諭す鈴子。
これは、今後苦労することになるであろう周に対する配慮の施しだった。
世間とのズレがあることすら気付いていない幼い孫に教育をする。これが、鈴子の最初の試練だった。
手から伝わる周の恐怖心が、逆に、孫に対する愛情を増幅させ、鈴子を悩ませる。
多くの人が一生見ることのない、未知な黒い塊。
周はまだ5才。強烈な印象を受けているのは、鈴子にも分かっている。
それでも、あえて、それが何なのかは説明しない。
なぜなら、自分のようになってほしくなかったから。他の子どもと同じように生きてほしかったから。
鈴子は、幼少期から霊感が強かった。
見えてはいけないものが、現実との境なく、常に見えている状態だった。
しかし、家族に霊感がある者はいない。そのため、不思議な子どもだと、周りからはもちろん、親からもそう思われていた。
深い闇の中に蓋をしていたあの頃の寂しさ。
一人、別世界にいる幼い頃の悲しい感情が、鈴子の中には潜んでいた。
それが、周によって、徐々に目覚め始めているのが、鈴子には分かった。
たくさんの屋台が立ち並ぶ境内前。
屋台の匂いにつられながら、キョロキョロと辺りを見渡しながら歩く人々。
その中を、屋台に一切目もくれず、歩き続ける二人。周は、遠くの黒い塊に怯え続けていた。
「お婆ちゃん、あの人」
周は、向かい側から来る参拝を終えた一人の男性に指を差した。
「人に、指を差してはいけません」
そう諭したが、鈴子には、周が何を伝えたかったのか、すぐに分かった。
ここで伝えなくても、後に自分で気づくことになる。鈴子は、驚く周をよそに、そのまま歩かせた。
屋台が立ち並ぶ通りを抜け、再び鳥居を潜り抜ける。
境内に入ると、明らかに空気が一変した。
「お婆ちゃん、すごいよあの木! わぁー、きれい」
家を出てから、初めて鈴子の手を振り解き、無邪気に走りまわる周。
そこには、巨大な御神木があり、空へと突き抜けている枝葉は、そよ風に揺れていた。
「すごい大きな木だねぇ」
「わぁ! すっごい光ってる! あっ、あそこに妖精さんもいるよ」
「ほんとだねぇ」
鈴子は、ふと我に返った。
「でもね、周。あれみたいに宙に浮いているものも、他の人には見えていないの。妖精さんは、周の心の中にしまっておきなさい」
もちろん、周の無邪気さを消したいわけではない。
ただ、ここで現実との差を少しでも埋めてあげるのが、鈴子の役目。
鈴子は、少ししょんぼりする周の手を取ろうとした。
「僕、ここから離れない! ここにいる!」
周は、鈴子の手を振り解いた。
これから向かう先にある参拝場所の上に、あの黒い物体は浮いている。それは、周も分かっていること。
あそこには行ってはいけない、危ない、と分かっているのだ。
周の瞳は、鈴子が直視できないほど純粋で真っ直ぐな瞳をしていた。
小さな体で考え抜いた末、無邪気さを利用してでも食い止めようとする周の強い意思。それが、鈴子の確固たる意思を揺れ動かす。
鈴子の脳裏に、助けたいという周からのメッセージが飛んできていた。
「この子はすでに成長している」
そう心では理解していた。
鈴子は、抵抗する周の手を引っ張り、連れていく。
苦しかった。
引き返してあげたかった。
泣きじゃくる周。
それでも、強く握り締めた手は離さなかった。周も、鈴子の手から伝わる強い意志を感じ取っていた。
二人は、人の流れに乗り、参拝場所へと向かった。
本殿まで続く長い列。
「お婆ちゃん、頭が痛い……。なんか、声がたくさん聞こえてくる」
神にあやかれば良い縁が舞い込む、
棚ぼたな生活が降ってくる、
私を不幸にするあいつを許さない。
周は、人の考えている思考まで、耳に入ってきてしまうようだ。
「周、あんたは自分の事だけを考えなさい。人が裏で何を考えていようと、周には関係ない」
耳を塞ぐ周に、優しく訴えかける鈴子。人が多ければ多いほど、能力を持つ人間にとって、辛く苦しい環境になる。
すれ違う参拝を終えた人々を見て、周は鈴子に話しかけた。
「お婆ちゃん、あの人たちの肩に黒い塊が付いてる! やっぱり行っちゃいけないんだよ」
「周、もう引き返すことはできないよ」
恐怖心が増え続ける周を、優しく宥めたりはしない。
二人は無言のまま、並び続けた。
そして、ようやく賽銭箱の前に辿り着いた。
その頃、村長と神主は、ある不思議な話を聞かされていた。
明治時代に起きた廃藩置県によって、警察官は、派出所を拠点に交替制勤務を行う警察官と、駐在所に居住しながら勤務する警察官に分かれていた。
殺害された二人は、警察の鑑識対象となっており、結果が、ようやく村長のもとへ届けられていたのだ。
そこに、派出所の警察官一人が調査に来ていた。
「少しお話を伺ってもよろしいでしょうか?」
「はい、どうぞ」
「殺害された二人には、刺されたような痕は見つかりませんでした。そればかりか、傷口一つありませんでした」
裕次郎も、となりの奥さんも、そして、烏骨鶏までもが、鑑識の結果、死因不明となってしまったのだ。
「これは、あまりにも不可解です。鈴子さんの旦那さんは、寝ている間に殺されています。一体どうやって……」
「飲み物に毒でも入れられたとか?」
「いや、毒を飲まされたのなら、体の中から毒が検出されるはずです。鑑識では検出されなかったのですか?」
「はい。今のところ、毒は検出されていません。ただ、そうでもないと辻褄が合わないほど、ご遺体はきれいでした。念のため、お聞きしますが、神主さんは、あの日の朝、鈴子さんと一緒だったんですよね?」
少し険しい表情で、神主の顔を伺う。
「疑っているのですか? 私たちのことを」
「いや、そういうわけではないのですが。もし、お酒に毒が入っていたらとしたら、辻褄合うかと思いまして……。ちなみに今、鈴子さんはどこに?」
死因が解らない上、鈴子と神主が、疑われ始めていた。
本殿の前に立った、鈴子と周。
初めに、鈴子が手本を見せる。
静かに一礼し、鈴を鳴らす。銭を賽銭箱へそっと転がすと、両手を合わせ、一礼した。
その時、周が恐れていたことが、鈴子の身に起きていた。
鈴子の背中に、本殿の上空にある黒い塊が取り憑いてしまったのだ。
周は、それを見ていた。
「お婆ちゃん! 逃げて‼︎」
この時期、見えざる世界ではある事が起きている。
大勢の人が集まる初詣。そこで人間は、神からの選別を受けることになる。
日々の行いが良い者や新たなに何か挑戦しようと志す者には、浄化を促し、そこから悪い部分だけを吸い取る。
それを上空に溜め込んでいるものが、黒い塊になっているのだ。
反対に、悪い行いをした者や欲深い者、節目の経験が必要な者には、その吸い取った黒い塊が憑けられる。
節目である鈴子にも、この黒い塊が憑けられてしまったのだ。
周には、それが見えていた。
鈴子や神主にもない、「自分が関わるものも見える」という、霊能者の秩序を超えた能力が、周に備わっていることを示唆していた。
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