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大正スピカ-八咫烏の選別-|第1話|違和感
「いつも悪いねぇ、こんなにいただいて」
「いいのよ。鈴子さんには、いつも世話になっとるで」
熊本県の外れにある農村地区。
時代が移り変わっても尚、景色が変わらないこの村は、鈴子と波長の合う場所だった。
徒歩圏内に繁華街はなく、周りに八百屋すら見当たらない疎開された村。
各々の家庭で自家栽培を行えるほど、立地は良く、気候にも恵まれているため、野菜や果物を物々交換する光景がよく見られる。
村人たちは、協力し合いながら、幸せに暮らしていた。
鈴子の家の庭は、野放しで烏骨鶏を飼い慣らせるほど広く、野菜を育てる村人たちからも羨ましがられるほどだった。
鈴子は、寛大な性格と着物を仕立てる裁縫技術もあって、村人たちから慕われており、頼られる存在であった。
毎日のように訪ねてくる村人の話を聞き、スッキリして帰ってもらうのが、鈴子の日課。
30年前に引っ越してきた鈴子ではあったが、今では村一番の人気者になっていた。
明治後期から大正前期にかけて、着物も、藍色や鼠色の従来のものから、牡丹色・琥珀色・退紅色など、赤や黄系統の色鮮やかなものへと変化していった。
日本の文化と西洋の文化が混ざり合ったノスタルジックな洋装は、時代を象徴するものだった。
一方で、決して、表には現れない移り行く文化も、同時に混ざり始めていた。
時代の移り変わりとともに、政府内では意見の相違が生まれ始め、あらゆる政治的混乱を招いていた。
政府とは関係のない運命を持った者たちにも、次の時代へ導く動きが、有無も言わさず促される。
鈴子は、その狭間にいた。
生まれつき、現実のみならず、未来を引き寄せる特殊な透視能力を持っている鈴子。
それは、移り変わる時代に反し、歪みが生じるほどのものだった。
浮遊する霊や遺恨の塊、神、その類なるものが共存する『真実の世界』が、日常的に視覚に入ってくる。
他人の心意や不浄な感性が、次々と脳裏へ流れ込み、苦しみを与えてくる。
運命とはいえ、幼少期から、たった一人、入り混じる狭間で成長し、孤独に苦しんでいた鈴子は、常に非人道的な体験をしていた。
周囲に、鈴子を助けられる者はいない。
誰からも理解してはもらえない。
錯覚するほど境目のない世界。
ここから抜け出すためには、長い年月が必要だった。
およそ30年。
鈴子は、他の誰よりも厳しい運命を背負いながら、御年、二度目の節目を迎えていた。
そして、また新たな運命が鈴子に襲い掛かろうとしていた。
いつもと同じ、朝5時に目覚めた鈴子。
しかし、この日は何かが違った。
目を開けた瞬間、無性に胸騒ぎがしたのだ。
今年、還暦を迎える鈴子。彼女にとって、もはや虫の知らせともいえるオカルト的な現象は当たり前のこと。
生まれてから今まで、幾度となく経験してきた。
そもそも、普通の日常を送れるようになったのも、この村に来てからだった。
訳あって田舎暮らしをすることになった鈴子。
今では、村の人柄にも恵まれ、安心して生活できるようになっていた。
隣の部屋から、いつになく大きないびきが聞こえてくる。
「今日は特別な日だから、好きなだけ飲ませてくれ」
昨日、こんな台詞をはいていたのは鈴子の夫、裕次郎だった。
鈴子は、一升瓶を抱えながら訴える裕次郎に、好きなだけ酒を飲ませた。
今日は、昼まで起きそうにないと悟った鈴子。
布団から起き上がり、寝室を出ると、すぐ違和感に気が付いた。
いつも目覚まし代わりになっている烏骨鶏の鳴き声が、全く聞こえてこない。
鈴子は、正月前の震える寒さの中、寝巻き姿で玄関を飛び出した。
いつもなら、数十匹いる烏骨鶏が、朝5時にもなれば、寝床である小屋から飛び出し、朝日が昇る頃には泣き始める。
なのに、この日は、まだ一羽も姿を現していない。
小屋の前には、複数の足跡がある。ぬかるんだ地面に足を取られながらも中を覗くと、烏骨鶏は鳴かずに元気に動き回っていた。
どこか落ちつかない様子。
鈴子は、数を数えてみるが、全羽いるようだ。
「お前たち、やけに静かだねぇ。寒すぎて、外へ出られないのかい?」
一羽ずつ頭から背中にかけて撫で下ろす鈴子。小刻みに震えているのが分かる。
「一体、何に怯えているんだ? お前たちは」
その時、庭先から、鈴子を呼ぶ声が聞こえてきた。
「鈴子さん、大変!」
となりの奥さんだ。
「今朝、神社でボヤ騒ぎがあったみたい! なんでも、境内にある御神木の杉の木の根元が焦げていたんだって。物騒な世の中ね」
鈴子が縫い直したよそ行きの着物と下駄で駆け寄りながら話す彼女は、昔から噂好きだ。
能力を使うことがなくなっていた鈴子だったが、一瞬、ボヤ騒ぎの映像が脳裏に浮かんでしまう。
「あら。刺激のないこんな田舎に、かわいい事件が起きたものね。詳しくは神主さんに私から聞いておくから。昼くらいにでもまたいらしてください」
鈴子がそう返すと、彼女は、愉しみが増えた少女のように喜びながら、そそくさと帰っていった。
妙に気になった鈴子は、急いで部屋に戻り、着替えると、そのまま近所にある吉見神社へ向かった。
吉見神社は、鈴子の家から東の方向にある竹林へ向かって進み、すぐの場所にある。
この日は、風が強く、さらさらと竹の葉が騒ぐのを感じながら、前のめりで下駄を鳴らしながら歩いた。
竹林を抜け、石造りの古びた鳥居を抜けると、十八段ほど階段を下りた場所に境内があり、付近に湧水が出る小さな池がある。全国でも珍しい神社だ。
階段を下りると、左手には神主の家屋があり、右手には例の御神木がある。
御神木の根元を覗き込み、確認すると、確かに根元に焦げた跡があった。
すぐに神主がいる家屋へ向かう。
タイミング良く、玄関の引き戸が開いた。
「これはこれは鈴子さん。おはようございます。どうぞお入りください」
連絡せずに訪ねた鈴子だったが、神主は、明らかに待っていたようだった。
神主は、出迎えたあと、すぐ鈴子を応接間へと案内した。
それでも、鈴子は動じない。これは鈴子と神主にとっては、これは当たり前の流れだった。
中庭が見える応接間。
神主がいつもの場所に座り、鈴子を向かい側に座らせた。
「やはり、話が早いようですね、鈴子さんは」
「何のことでしょうか? まだ何も話をしておりませんが」
白々しく、何も気付いていないフリをした鈴子を、上目使いで覗き込む神主。
「まぁ、冗談はさておき、早速話を聞いていただきましょう。今朝、うちの境内でボヤ騒ぎがありまして、妙な違和感を覚えたのです。率直に伺いますが、何か感じられましたか?」
「……いいえ、何も。ただその子が火で遊んでいたとしか」
「子どもの仕業とは、まだ誰も知らないはずですが。流石ですね。では、特に問題はないということでよろしいでしょうか?」
「……まぁ、まだ問題にはならないかと。神社そのものに、影響はないはずです」
「それを聞いて、安心しました。ですが、いつもより歯切れが悪いのは、気のせいでしょうか?」
「お察しの通りです」
その言葉を聞き、神主が目を細める。
神主は、机に置いてある算命学表を眺めながら、鈴子へ視線を向けることなく話し始めた。
「……なるほど。これは、神社の問題ではなく、鈴子さん、あなた自身の問題のようですね」
「やはりそうでしたか。どおりで先が見えないわけで」
二人だけの異次元な会話。
会話の中で交わされるやり取りと、お互いの神技は、決して、他を寄せ付けない。
二人はどこか、雲上を俯瞰した目で、物事を語っているようだ。
「何かお心当たりがあるのですか? もしかして……あの事件と何か関連が?」
「……いや、何となく。朝から虫唾が走るのです」
「そうですか。なぜか、鈴子さんが私と出会った頃の映像が浮かんできました。気のせいだといいのですが……」
神主の言葉に、鈴子は一瞬、寒気がした。
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