大正スピカ-白昼夜の鏡像-|第3話|青梅
周は、右側の本殿を選び、階段を上っていく。
本殿の真ん中あたりに到達すると、一段上がった場所にある畳の部屋に向かって手を合わせた。
しかし、一向に頭を下げる気配はない。
この時、周は、かつてこの場所で國弘の前に現れた賀茂建角身命神と対峙していた。
「天皇を支えよ。さすれば、道は開かれる」
周が拾えた言葉はこれだけだった。
「何をしている! 頭を下げて挨拶しなさい」
正篤の声で我に帰ると、周は、慌てて頭を下げた。
正篤は、険しい表情のまま、周の行動を観察していた。
周は、ゆっくりと顔を上げて振り返った。
すると、急に、正篤の斜め後ろにある梅の木が気になり始めた。
来た道を戻っている間も、梅の木が気になって仕方がない。
「木の声を聞き、梅を地面に落ちる前に掴まえなさい」
8人の男たちが木の下で坐禅を組み、瞑想する姿がかすかに見える。
少し先を行く二人の後ろ姿から、二人が師弟関係にあったことが読み取れた。
見えない糸で繋がれた二人。
梅の木の下にいた時はまだ、二人が真っ直ぐな糸で繋がっていたことが、若い頃の國弘から伝わってきた。
「やはり、こちらを選択するのだな。ついて参れ」
正篤は、梅の木の前に、周を立たせた。
「見よ、この梅の木を。木の幹は剥がれ、根元は少し腐り始めている。この梅の気持ちが分かるか?」
「……あの頃が懐かしい。また同じ時間を過ごしてみるか?……そう仰っています」
周は、表情を変えずに、淡々と答えた。
読み取った言葉は、正篤に対するものだった。
國弘はもちろん、正篤もここで一心不乱に修行をしていた。その時のことを、梅の木は覚えていたのだ。
心を覗かれた正篤は、当時の自分の姿が一瞬脳裏に過った。しかし、両腕を組んだまま眉一つ動かさなかった。
「お前には必要ないようだな」
これ以降、正篤は、何も言わなかった。
そのまま二人を置いて、どこかへ去っていった。
「周、こちらへ」
國弘は、周を渡り廊下へ案内した。
廊下に飾られた札に書かれている名前が目に入る。そのまま、奥にある部屋へと案内された。
「周、今日からここが君の部屋だ。自由に使いなさい」
綺麗に整えられた6畳の部屋は、布団の入った押し入れがあるだけの簡素なものだった。
「明日、行かなければならない場所があります。明日に備えて、今日は休んでおいてください」
國弘は、押し入れの襖を開け、中から小さなちゃぶ台を出し、部屋の中央に置いた。
「とりあえず、こちらに」
國弘は、周を自分と向かい合わせに座らせた。
「色々と驚いたでしょう。いや、君ならこうなることも見えていたのかもしれませんね。君と同じように、ある日、私もここへ連れられて来られました。理由を聞かされずに。私が寝泊まりをしていたのも、この部屋です。あの頃から何一つ変わっていません」
國弘は、自分の過去について話し始めた。
しかし、なぜか周は、國弘の目を見ていなかった。
國弘が、小さな紙に文字を書きながら、話をしていたからだ。
「私の過去が何か見えましたか?」
國弘は、左手で隠すように文字を書いていた。
この行動には意味があった。
國弘は、周に重要な使命を託していた。
書いている内容は、周をここへ連れてきた理由。それは、今後を大きく左右する、口では伝えられない内容だった。
誰にも気付かれずに、過去を読み取らせ、闇を暴く。
これが、國弘の目的だった。
実は、常に監視されている國弘。
一瞬のやり取りで、周から過去を聞き出す必要があった。
國弘は、周に自分の過去を見てもらい、正篤の正体を暴こうとしていた。
國弘を含む8人の若き神職者たちは、正篤から様々な教育を受けていた。
自然との調和から心を読み解くこと、日本古来の歴史、自分たちの置かれている状況、そして、八咫烏の歴史。
「人々が安心して暮らせる秩序ある国にすべく、日本を統一する」
「八咫烏という表に出ない身分だからこそ、自由に行動ができ、天皇家を守ることができる」
そう、正篤から学んでいた。
その中で、見えない世界を紐解くことが何より重要であると、教えられていたのだ。
正篤は、持っている知識を8人の若き神職者たちに託した。
天命からの指示で集められただけあって、8人全員に才はあった。
ほとんどが、たった数ヶ月で自然の声を聞き取り、ある程度、心眼が開花し始めていた。
しかし、國弘は違った。
能力が開花する兆候が中々見られず、一人だけ、最初の段階から抜けられずにいた。
「自然と調和することから学びなさい。梅の木から梅が落ちる、その瞬間を感じること。それができれば、地面に着く前に、梅を掴むことができるはずです」
梅の実が黄色になると、樹勢や樹の発育状況によって、樹木本体を守るために、自ら実を落とす。
それを読み取るために、梅の木の下で座禅を組み、國弘はひたすら梅の実が落ちるのを待っていた。
次の段階へ進んだ7人が屋内で勉学に励む中、國弘は一人、外で修業を行っていた。
焦りを抑えながら瞑想を続ける國弘。しかし、一向に梅の実が落下する前に反応することができない。
そのまま、黄色の梅が全てなくなってしまった。
黄色の梅が一つもなっていないのを見た正篤は、國弘のもとへ行き、こう言った。
「かつて、私も同じようなことがありました。黄色になった実がなくなったあの日のことを今でも覚えています。もしかすると、君も、私と同じ運命かもしれませんね」
「……どうすれば良いのですか?」
「調和を越えるのです。自分の心をそのまま相手に伝えなさい」
正篤は、この言葉だけを残し、再び屋内へと戻っていった。
調和とは、他の意思や気持ちを汲み取ること。
正篤は、他の意思や気持ちをコントロールすることで、まるで相手が、自分の意思で行ったかのように見せる『漢波羅秘術』を教えていた。
落ちるはずのない青く実った梅に、國弘は、必死に訴え続けた。父に認めてもらおうと勉学に励んでいた、あの頃を思い返しながら。
境遇という言葉は、全てが上手くいくことを指す言葉ではない。
願いが叶わない人間ほど、意思が強くなる。
すぐ形にできる人間は、相手の意思を汲み取る能力に特化しており、中々形にできない人間は、自分の意思を相手に汲み取らせる能力に特化している。
当然、後者は反発を買いやすく、願いが叶いにくい。
今までコントロールできなかった領域に到達できなけければ、自分の未来を変えることはできない。
國弘は、何度も木に訴えかけた。
空と大地を繋ぐ一本の糸。
自らの意思を超越した天からの意思。
より広い心で、自然体でいること。
これが何より重要なことであると理解し始めていた。
すると、木陰に届くはずのない太陽の光が強く入り始めた。屋内で勉学に励んでいた7人も、窓から差し込む強い光に目を奪われる。
その時だった。
國弘の方へ目を向けると、まだ落ちるはずのない青い梅の実が、國弘の手の中に落ちていた。
手の中にある梅の重さに気付いた國弘は、ゆっくりと目を開け、その梅を確かめた。
驚くどころか、國弘は平然としていた。
この時、同じ境遇を経験した二人は、互いに師弟関係になる未来が少しずつ見え始めていた。
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