人間の生き方 マリリン・モンロー
マリリン・モンロー(1926―1962)は、アメリカの女優である。ノーマ・ジーン・モーテンソンとして、ロサンゼルスに生まれる。
モンローは、母親の旧姓である。父親は生まれる前に失踪して、RKOで働いていた母親は、精神障害を抱えていたために、里親の元や養護施設で育てられて、不遇の子供時代を過ごす。
16歳で働き始めた工場の作業員と、1942年に結婚するが、4年で離婚する。この頃からモデルの仕事を始めて、1947年に「The Shocking Miss Pilgrim」で、女優としてデビューする。
なかなか芽が出なかったためにモデル活動も並行して、1953年にはプレイボーイ誌創刊号で表紙を飾った。
「恋愛アパート」(51・日本劇場未公開)あたりから脚光を浴び、「ノックは無用」(52)、「モンキー・ビジネス」(52・日本劇場未公開)などで注目度が増して、「ナイアガラ」「紳士は金髪がお好き」(53)でスターの座を不動にする。
金髪とぽってりした唇、抜群のスタイルから、セックス・シンボルとしてもてはやされた。
その後も「百万長者と結婚する方法」(53)や「ショウほど素敵な商売はない」(54)で活躍して、55年の出演作「七年目の浮気」の、スカートがめくれ上がるシーンはあまりにも有名である。
この頃からプロデューサーや共演者との不仲で、キャリアに陰りが見え始めるが、「バス停留所」(56)での演技は高く評価されて、「王子と踊子」(57)、「お熱いのがお好き」(59)もヒットした。
「Something's Got to Give」を製作中の62年8月5日、睡眠薬の過剰摂取のため36歳の若さで死去した。「荒馬と女」(61)が遺作となった。
結婚は生涯で3度。2度目の結婚は、54年に野球選手ジョー・ディマジオと。しかし、8カ月で離婚、56年には脚本家のアーサー・ミラーと結婚したが、こちらも61年に離婚に終わった。
死後も世界中にファンをもち、多くのドキュメンタリー作品が製作されている。
マリリン・モンロー(1926年―1962年)はアメリカの女優、モデル、歌手で、映画で「金髪美女」の役を演じ、性の革命の象徴であった。
人間の生き方について彼女は語っている。
「頭のいい女の子は、キスはするけど愛さない。耳を傾けるけど信じない。そして捨てられる前に捨てる」
さらに彼女はこういう。
「男性と平等でありたいと求めるような女性は、野心が足りていない」
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