見出し画像

別冊太陽「河合隼雄」を読んで

暑さも酷いもので、こんな暑い日は家の中で冷房効かせて読書なんかしているのが一番と思っていますが、なにか今感じていることをつらつらと書き連ねてみようと言う気になりましたので、そんなどうでも良い雑感にお付き合いいただく殊勝な方がおられましたら読み進めてみてください。

最近、私の大好きな河合隼雄さんの雑誌が刊行されまして読んでおりましたら、とても気になる一節が出てきました。

河合隼雄(別冊太陽)より

ちょっとグサりときました。
悩みや迷いを持ちこたえる力=葛藤保持力
これが弱くなっているという指摘。葛藤せずに逃げたり安易に助けを求めたり答えを検索したり。矛盾するものを両手に抱えて保持できるか?
自分に問うても、即座に「否」と答えるくらい私の中で葛藤保持力は弱っています。
なんでもそうです。政治の話でも、ワクチンの話でも、身近な話でも。お互いに矛盾するものを二つ抱えて保持している力。ヘーゲルなんか気取って言いますと、アウフヘーベン(止揚)までいきません。正と反をじっくり見てウームと考えて保持する前にどちらかになびいておしまいです。

そもそも時の権力や大多数の人の常識と言われるものの顔色を伺って葛藤から逃げてこなかったのでしょうか。時代は変化し続けていて、世間の常識などは当てになりません。葛藤し続ける胆力こそが必要なのかもしれません。

互いに矛盾する答えは条件の括弧付きでお互いに成立することもあって、その条件を問い続ける胆力というものも必要なのではないかと思った次第です。

矛盾するものを合わせ持ち保持する力。

ユング心理学の本を読んだ頃からでしょうか、強く拒否反応を示すことにコンプレックスが絡んでいることを知りました。そこには心理的傷の絡んだ複雑な思いがあるので、つよく自分が意思表明をする。抑圧した心が投影している。ユングの影(シャドウ)とペルソナや、アニマ、アニムスなど、表面に出ている意識とは反対の動きをしている部分が心の深いところにあるということを知りとても感銘を受けました。

だから自分の感情がつよく動いた時に、フッとその反対の心を意識するようにはなりました。抑圧した心の投影ではないか?それもまた自分ではないか?と思いを巡らせることもあります。

清濁併せ吞むという言葉があります。
そこには人間の全体性を端的に表した素晴らしさがあると思っています。

やはり問い続ける、葛藤し続けることをやめないということが肝要なのだと思う次第です。葛藤というと仰々しいかもしれません。問い続けること。今日の常識は明日の非常識。世間様がどう言おうたって関係ありません。今の自分の状況において問い続ける姿勢。そして、一度出した答えも変わっていって良いのです。条件が変われば答えも変わるのですから。

だから問い続けること、これを基本としたいわけです。

その問いに対して今日はこの答えを出した。自分なりの葛藤の末の答えです。でも明日もまた葛藤して違う答えを出す。そのようにして葛藤し続けることによってしか、本当の生きることの複雑怪奇、変化していく諸存在の対応は出来得ないとさえ思うのです。

養老孟司先生のYouTubeを見ていますと、学校で教えている教科書が終戦を機会に黒塗りになって大変化をした。まさに今日の常識が明日の非常識の世界を生きておられた。だから一番変化しない死体というものを解剖する解剖学に進まれた。高度経済成長を支えた技術大国日本がなぜ産まれたかよくわかると言われた。常識が覆る時代に、技術だけは信じられる。どこの国に行っても車は有用でウォークマンは音楽を楽しめる。そんな気概をもって混沌とする終戦日本から産まれてきた産業。その出発点の日本人の意識に切り込んでおられました。

いまのテクノロジーの世界はAIだの技術的特異点だの言われております。そう遠くない近い将来、多くの職業はAIによって必要となくなる可能性も取り沙汰されております。そんな時代に、問い続ける葛藤保持力はどうなるのでしょうか?
AIに聞いて納得するのでしょうか?

私はテクノロジーの信奉者でもありました。Apple のスティーブ・ジョブズは大好きで、2000年代からのAppleの快進撃は、深夜の基調講演を熱狂をリアルタイムで視聴するくらいの熱量で、初代iPhoneも発売日に入手しました。今でもAppleのエコシステムにどっぷりで当分抜け出せそうにありません。若い頃は本田宗一郎のファンでしたし、F1も大好きでした。テクノロジーこそが人類共通の価値、素晴らしき未来!と思っていました。

それでもテクノロジーによって犠牲になってきたものに目を向けると暗澹たる気持ちになったのも確かです。それは単純に森林破壊だけにとどまらず、多くの人の持つ手技が大量生産、大量消費によって犠牲になってきたはずです。多くの創り出す人が都市の労働者に取って代わり、どんどんと歪な格差社会へと変化していったのかもしれません。

生きることはテクノロジーによって楽になりました。衣食住すべてがコモディティ化して資本主義の商品として切り売りされています。お金があれば暮らしていけます。

ただこれから起こるであろう未曾有の天災人災に対してテクノロジーはあまりにも無力ではないかとさえ思います。否、訂正します。テクノロジーによって無力化された現代人がこれからの天災人災を耐えるのにはあまりにも無力です。

電気ひとつ止められたって生きていけやしません。
ましては水やガスが止められたら目も当てられません。
薬局やスーパーに並んでいる品々も数日も持たないでしょう。

シンギュラリティが鼻で笑います。chat GPTに聞きたいって?Wi-Fiだって有事にはつながらないかもしれません。

だから今こそ百姓なんだと思っています。衣食住をクリエイトしていく能力は、まぎれもない諸行無常の世の中での叡智です。

何もかも寸断されても生きていく知恵をつけていくためにちょっとずつ創り出す知恵を学んでいます。これが私の今のゼロポイントです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?