徒然日記2020.08.22

今日も昼近くまで寝てしまった。妻のお使いで近くの肉屋に弁当を買いに行きました。昼は牛すじ丼。美味しくいただく。午後は妻は買い物のために外出し、子どもたちは昼寝タイムとなりました。今日は読書熱もピークとなり、中沢新一のカイエ・ソバージュを電子書籍で購入してしまった。中沢新一が好きなのにカイエ・ソバージュを読んでいないのは、サザンが好きなのに真夏の果実を知らないようなものだと思った次第です(笑)

さて読書を進めていくうちに興味深い点が出てきたので引用します。

天孫ニニギノミコトから娘の一人であるサクヤヒメとの結婚の申し出を受けた土着の神(土着民のリーダー)オオヤマツミは、よろこんでこの申し出を受け入れます。新しい文化で武装した人々は、たしかに土着の人々に優越するものを持っていましたが、両者の関係はけっして征服者と被征服者のあいだの一方的な関係ではありませんでした。むしろ両者は多くの点ではほとんど対等で、たがいに交渉や交換や談判によってことを進めていったようです。結婚による「女性の交換」もそうしたネゴシエーションの重要な一環で、列島上の混血はこういうやり方で急速に進行していったと考えられます。当時の九州の縄文社会では有力者の結婚は、娘に姉妹があればいっしょにめとるやり方が一般的だったらしく、オオヤマツミも慣習どおり妹のサクヤヒメと結婚するならば、当然のこととして姉であるイワナガヒメもいっしょに差し上げたわけです。結婚は贈与のひとつでしたから、気前のよいプレゼントとして姉が添えられたことになります。
 ところが妹のサクヤヒメは世にも美しい美女であったのに、姉のイワナガヒメのほうは大変醜い容貌をしていたので、天孫は妹だけをめとり、姉を退けてしまいます。侮辱された父親はニニギに呪いのことばを浴びせます。「あなたはなんという愚かなことをしたものだ。妹は美しい花を咲かせる植物のように、生まれて咲き誇り、そしてはらはらと散っていく有限の運命を与えてくれるだろう。しかしそれだけではものたりないと思ったからこそ、私は岩石のように朽ち果てることのない永遠の生命をあなたに贈ろうと考えて、姉のイワナガヒメをも与えようとしたのに、あなたはそちらを拒否した。よろしい。以後あなたの子孫には死というものがもたらされて、長い生命を楽しむことができなくなるだろう」。
 ここでは、植物(コノハナサクヤヒメ)と岩石(イワナガヒメ)の対立によって、死の起源が語られています。一見して美しいものにひかれるのは人の常です。人間はエロスにひかれるのです。ところがエロスははかないもので、美しく咲いたかと思うと、あっという間にタナトス(死)の手に渡されて、それに吞み込まれていってしまいます。それならば最初からタナトスと手を結んでいればよいと思われますが、タナトスは恐るべきカオスの領域からやってきますから、なかなかそれと結婚して一体になるなどということが、人間にはできないのです。私たちは誰しもが、ニニギノミコトのようにイワナガヒメを遠ざけていたいと願うもの。でもそのために、人間には短い生命しか与えられないのだと、この神話は語っています。

中沢新一(2002)
カイエ・ソバージュ(合本版) (Japanese Edition) (Kindle の位置No.562-584). Kindle 版.

植物と岩を女性の姉妹に喩えて、岩という長い生命を退けて、植物〈花)の美しさ、エロスに惹かれたため、花が朽ち果てるように、短い命しか与えられなくなったという神話。なにか惹かれるようなものを感じます。神話には心の深層、ユングの言った元型のようなものが現れているような気がします。ここでも喩の世界が、豊かに味わうことができます。

バナナと石そこで次は、以下のようなインドネシア(ポソ族)の神話を見てみましょう。
はじめ人間は、神が縄に結んで天空からつりおろしてくれるバナナの実を食べて、いつまでも命をつないでいたが、あるときバナナの代わりに石が降ってきたので、食うことのできない石などは用はないと、神に向かって怒った。すると神は石を引っ込めてまたバナナをおろしてやったが、そのあとで「石を受け取っておけば、人間の寿命は石のように堅く永く続くはずであったのに、これを斥けてバナナの実を望んだために、人の命は、今後バナナの実のように短く朽ち果てるぞ」と告げた。それ以来、人間の寿命が短くなって、死が生ずるようになった。

中沢新一(2002)
カイエ・ソバージュ(合本版) (Japanese Edition) (Kindle の位置No.596-603). Kindle 版.

実に不思議な共通点を見いだすことができます。日本神話に出てくる岩とインドネシアの神話に出てくる石の喩、それは永遠の命を喩えています。そして、人はそれを退けることによって、〈死〉が生じるようになる。花もバナナも見頃、食べ頃の旬を過ぎると朽ち果てる。人は自らの罪で永遠の命を退けて、瞬間の美を求めたというのです。なにかとても味わい深く、古代の人が〈死〉という受け入れがたいものを腑に落とすために作ったという話にとても興味深く感じました。

今日は夕食は妻の創作料理イカしらす丼、めっちゃ美味しい!と思いました。寝かしつけをしようとしましたが、子どもたちの昼寝のせいで少し時間がかかりました。再び読書タイムで、iPadに試しにマウスを接続してみたら、とても快適!!右クリックはコントロールセンター、クリックホイールはapp切り替えなど割り当てしたら快適すぎてベッドから微動だにしない生き物となってしまいました(笑)
明日は書見台が届きます。これで本の引用、また研究も捗ります。

今日も生きられました。過去や未来の因果律に縛られることなく、今を生きる。そんなことを考えながら日記をおわります。

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