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物を買わずに豊かに生きる3

私が最近読んでいる本には、お金はなく、貧しいのに、精神はとても豊かな人々が描かれている。『チベットの先生』(角川ソフィア文庫)中沢新一がチベットで出会ったラマたち、道元禅師の『正法眼蔵随聞記』から「学道は、まづすべからく貧を学すべし」という教え、アナキスト森元斎の『もう革命しかないもんね』(晶文社)資本主義から抜け出した「生活の哲学」など。

それとは対照的に、投資にハマり、一攫千金を夢見て、日々の株価や為替などの上がり下がりに右往左往している身近な人々も目の当たりにしている。

「諸行無常」
人は裸一貫で生まれて、裸一貫で死んでいく。あの世に財産をもっていくことなんてできない。私はこの「無常」ということを最近よく考える。私の母は昨年亡くなったが、あれだけキャラの強い人が呆気なく死んでしまった。間近にいて最後を看取るという貴重な経験をさせてもらって、この「無常感」というものを骨身に感じている。人はいずれ亡くなる。それまでの儚き人生。お金を追い求めて、苦悩の絶えぬ人生を選ぶのか、そのチキンレースから抜けて、もっと違う人生を選ぶのか。

道元禅師の語る教えの中でも最高峰の二語がある。「少欲」と「知足」だ。道元禅師の最後の教え「八大人覚」の1番目と2番目に出てくるとても大事な教えである。

私の身近な投資家たちは、常に満足することなく、日々の株価や為替の変動に敏感になり、儲けても損しても、いつまで経っても満足することがない。儲けが大きくなるとエゴも大きくなり、さらに欲が増していく、損をすると怒り、怒りがどんどん大きくなっていく。チャートを見ながら悩みを深めている隣人に、ただただ憐れみの気持ちをもつことしかできない。

然し貧乏は人を悩ますものではない。悩むのは己である。悩むのは人にあって、貧乏にあるのではない。貧乏は人間が理性を持って解釈することによって苦しむのである。貧乏は事実であり、苦しむのは解釈である。人間は何事によらず自ら解釈して、その解釈の世界に自ら居るのである。だから事実と解釈とが二重になるのである。そこに解釈するが故にしばられ、解釈することによって行き詰まるのである。

安田理深『自然の浄土』文明堂

解釈することによって行き詰まっている人がいかに多いことだろう。解釈さえ間違えなければ、何も持たずして、ただ「生きている」だけで素晴らしいはずだ。エゴにまみれた解釈、お金を指標にした解釈、世間体をもとにした解釈。そんな解釈によって、人は苦しみ、自ら命を絶つものもいる。

多くの悩める人が、曇った解釈をやめていく先に、生きる素晴らしさと出会えるように、自分の学道を進んで行きたいと思っている。

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