私が欲しいもの

私は今、今年の3月からエジプトに家族でアラビア語留学に来ています!

通う学校は、ドSなのか、進級試験が毎1ヶ月半ごとにあって、
更には毎週日曜日にミニテストが追加されるというスパルタぶり。

勉強が苦手(特に語学)な私は、正直アプアプしながらも
毎日のアラビア語学習を、目を♡にしながら挑んでいる
ドMな毎日を過ごしています。笑

今回は私にとって、かなりハードだった最終試験が無事に終わり、
ホッと落ち着いたのもあって(まだ合格したかは分からないんだけど)
久しぶりにnoteを書きたくなって開いてみたら、前回の記事なんと1年前。

びっくり、時間の経つ早さは風並みですね。

私がなぜアラビア語を学習しているか気になった方のために
(いるのかしら?笑)アラビア語と私が欲しいものの繋がりをチョロリと書いてみようと思います。

まず私が欲しいものは、真剣に『天国』一本です(笑)
病んでませんよ?本当に喉から手が出るほど欲しい場所。
というか留まりたい場所、というのでしょうか?

現世ももちろん楽しいし、寿命までしぶとく生きますので自殺願望があるの!?とか勘違いしないで下さいね!笑

私は高校を卒業後、すぐに美容院に勤めました。
その頃は、お洋服と海外旅行が大好きで、お給料の約8割を、
洋服やお化粧品に使い、あとは海外旅行をして過ごしていました。

23歳でオーストラリアに留学し、たくさんの人と話をして、
その頃から自分の価値観がどんどん変わっていくのを感じていました。

あれから14年が経ち、今ではなんと、あんなに大好きだった
お化粧品や洋服、車、新築のお家といった、
本来、普通の女の子(もう女の子と言える歳ではないぞ!)が欲しいと思うものに一切興味がなくなり、今私が興味があるものは、私たちの生きている”世界”と死後の”来世”になりました。

この世に天国があると小さい頃から信じていて、
ある日、天国について書かれている書物がある事を知り調べてみると、
天国は仕事をしなくても得られる食べ物、美しい家、飲んでも酔わないお酒が流れる川があり、嫉妬や妬み、歪み合い、悲しみという負の感情が1ミリたりともないんだよと書かれていました。

そりゃそうか。だってそこは楽園なんだから!

更には、人間の小さな脳みそでは、想像する事すらできない程の幸福と祝福に満ち溢れ、そこには一切の汚れが存在しないと書かれていました。

この世(現世)は瞬きほどの短さで、死後の世界に渡ったとき、私たちは皆口を揃えて、この世は一瞬だったと答えるのだとも書かれています。

確かに私たちの脳はとーーーっても小さい。
この小さな脳で、とんでもない物を開発したりしている訳だけど、
この世を創造した唯一のお方からすれば、私たちのやっている事なんて、アリさんよりも小さく柔く、一瞬の事ですよね。

なんせこの世を創ったお方なのですから。規模のデカさが違います。

アラビア語学習を始めたのは実は7年も前なのですが、仕事や子育て、引っ越しなどで続かず。進めていた教科書も、毎回同じ所で難しくなって前に進めずにいました。

やっとアラビア語のためにエジプト留学を決心してから、
毎日アラビア語を猛スピードで学習しているのですが、なんと、今まで何度も断念していた部分を、やっと今期の授業で克服し、前に進んでいます!

学習も、仕事も、子育ても、人間関係も、どれも同じ様なものだなーと感じるのは、必ずそこには途中でつまづいたり、悩んだり、辞めてしまいたくなる時期があって、そこを何とか通り越せば、心が暖かく、幸せな気持ちになるという未来の光が見えてくるというのでしょうか?

私は今アラビア語から得られる、素晴らしい言葉に気づかされ、言葉の存在価値を見直しています。

日本語にもきっと、発するだけで幸せになれる様な言葉が、遠い昔には存在していたはず。戦後たくさんの言葉を失ったと言われる日本。


私はアラビア語を1日でも早く、一人でも多くの方に共有したいと思い、
今学習に励んでいます。

なぜなら、アラビア語で一番初めに学ぶ言葉が
『アッサラーム アレイクム』
あなたの上に平安を、という意味だからです。

一番初めに学ぶ言葉が、相手の平安と幸せを願うのです。
その次に習うのが、『ワアレイクム アッサラーム』
そして、あなたの上にも平安を。

私たちはこの言葉を、毎日、家族や子供、友人、道行く人など、
どんな時でも、朝から晩まで一日中交わして生活をしています。

お互いに幸せを願いあうアラビア語。
さらには言霊という言葉が日本にはありますが、
言葉に嫉妬や妬みが入り込まないように、アラビア語では
羨ましいという言葉を使いません。

その代わりに、素晴らしい!と思った時は、
『マーシャアッラー』というのです。
日本語で神の祝福という意味です。

全ては神から与えられたものであり、全てが自分にとって良いことであると感謝し続ける心を、毎日の言葉で考えさせられる様にアラビア語は構成されている訳です。

人間が考えたとは到底思えない、不思議な力のある言葉だと思うのです。

この様な、心に安らぎを与えてくれる言葉が、日常茶飯事で使われています。

アラビア語を話す人にとっては、普段当たり前のように利用している言葉ですが、きちんと思考を働かせ、意味を読解して読むことで、心は浄化され、どこにいても心に平安を築いておくことができます。

こんな素晴らしい言葉を学びたいと、世界中からたくさんの人たちが留学に来ています。

私はいつかこの言葉を一人でも多くの人に伝えたいと思っています。

私の夢は、与える環境を作ること。
与え合い、助け合う、そんな循環が当たり前の場所。

物に興味がない私は、必要な衣食住さえあれば、残りの人生をバラカ(神の祝福)のために費やしたいと思っています。

私たちはこの世で行った、善行と悪行を持って死んでいくわけで、
この世に存在する物は持っていけません。

私が欲しいものは善行。
善行は自分で率先して行うもの。
なるべく全ての行動が善行となり、私の欲しい天国に入ることができるようにこの世を渡っていきたい。

この世には今も戦争や理不尽な攻撃に苦しみ、
電気もガスも水も切られて1秒後があるかすら分からない状況に追いやられている人たちがいます。

世界中に平安が訪れる日まで、私は伝え続けたい。
アッサラーム アレイクム。あなたの上に平安を。
この言葉が世界中で当たり前の言葉となり、心から真剣に、見知らぬ相手の幸せを願う日が全人類に来る日を夢見て。




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