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本気で読書感想文(京極夏彦さん「ヒトごろし」、5)



「俺Mに興味ないんだよね。絶対に従わないようなSっ気の強い子の方が燃えるっていうか」と言うのを聞いたことがある。「へえ」と答えたのも覚えている。
 なつかしい、当時流行っていたSだのMだの。春琴抄ばりに子供じみたやりとりに、本家に失礼のない程度に掘り下げると、大別して「ツン」と「デレ」。しかしだからと言ってきちんと二分できる人種なんてそうはいない。私にとってそれは血液型や星座と同カテゴリ。
 仮にふんわり定義するとしたら「お前、俺のこと好きだろ」がS、「あなたの犬になりたい」がMとでもしておこうか。だから対象によって自分も相手も変化する。

 さて、このヒトごろし=土方・マッチョ・歳三、間違いなく懲悪極悪人にカテゴライズされるにも関わらず、誰でもいいから殺したい訳ではないというこだわりを見せる。その基準が〈死にたいと願う者、死を恐れぬ者に対しては食指が動かない〉というもの。
 次回ピックアップするが、作中涼というプロストーカーが登場する。ああこれは「プロ彼女」と同じ感覚で捉えてもらって問題ない。ストーカーの頂点、模範になる者のことである。このプロストーカー、自分を助けた歳三の太刀筋に一目惚れして、自分を殺して欲しいとついて回る。故に斬らない。歳三にとって「俺Mに興味ないんだよね」そのもの。
 同様に「死を恐れぬ者、忠義のために死ねるという武士」もまた斬る気はなかったものの、〈──士道を捨てた。もう武士じゃねえよ。だから、逆様(はんたい)に武士らしく殺してやるぜ〉と、規律の名の下に山南を斬った。これぞ「ヒトごろしの流儀」BGMはprogress。

 そんな歳三が、最後になって人助けに奔走する。
 大人になってから変化するのは難しい。これは社会人になりたての頃、先輩社員に「30越えると人は変わらないよ」と教えられたことも多少影響している。それはきっと20だろうと40だろうと変わらなくて、馴染んだものから離れること、新しいものを取り入れることは、いつだってストレスだ。
 さて、ヒトごろしである。
〈俺はな、芹沢も山南も、伊藤も藤堂も殺したんだぞ〉
 そう言っていた歳三。ヒトごろしがヒトだすけ。実に奇怪である。きっかけは勝との出会いだった。

〈「そこが大事なんだよ」
 勝は鞘を拾って刀を収め、脇に置いて元通り座った。
「いいか土方。きちんと先が読めるなら、勝つことも負けることも出来る──ってことになるだろ」(中略)
「誰が勝とうが負けようが、それで良くなるならいいんだよ、世の中はな」〉

 ただ「ひとがころしたい」だけだった。そのために組織を整備し、環境を整えた。歳三は意地や忠義で殺している訳じゃないと訴えた。それに対して勝は声を荒げた。
〈「てめえと同じ人でなしでも、てめえくらい腕が立たなきゃ人は殺せねえだろうが。先ず殺したくても殺せねえんだよ」〉
 そうして人殺しを「大罪だ」と断言した。強さ故に、誰も面と向かって咎められることのなかった男が、ようやく自分を止めてくれる相手に出会った。芹沢との明暗である。自分にとっての快しか興味のなかった男が、ここで開眼する。

 以下、その後の歳三の言動である。
〈「ここを死に場所にするってえから殺してやろうと思ったんだよ」〉
〈「死に場所捜してここに来たような奴は名乗り出ろ。今俺が此処で斬り殺す。そんな野郎は何人いたって役に立たねえ。ここはな、死ぬ処なんかじゃねえよ。違うかよ」〉
 とても「俺Mに興味ないんだよね」と言っていた男(言ってない)の言動とは思えない。信じられない変化である。やり方こそ不器用だが、それは犬に己が尊厳を取り戻すよう、叱る様。目を覚ませ、と冷や水をぶっかける。人が殺したくて、そのためにここまでやってきた歳三が、人を生かすための動きを見せる。

 そうして最も分かりやすい変化の象徴が、永井主水正(ながいもんどのしょう)に対する考え方だ。
 勝に会う前の歳三は、永井のことを〈あれは負け戦の時しか役に立たねえ男だ。交渉術に長けてるってェのは、そういうことだろうよ。戦うことを避けるか、止めるか、降参した時に生き残れるよう計らうか──それ以外に交渉なんてものは要らねえ。つまり戦わねえ男なんだよ、あれは〉としていた。
 けれども終盤、〈歳三は馬を駆って、硝煙に霞み黒煙と焔に揺らぐ町を抜け、弁天台場を目指した(中略)弁天台場に永井がいることは承知していた。永井なら。負けてくれる。もう先に負けた方が勝ちだ。永井は榎本のように洋風気触れではない。古い武士である。髷も落としていない。しかし永井は腰抜けなのだ。それでいて頭は良い。上手に負けるためには永井に動いて貰うよりない〉としている。
 あの天上天下唯我独尊男が、人を頼ったのだ(流川かよ)

 変化させる、というのは、それ自体ストレスだ。元の自分を否定することになり、言動に一貫性がなくなる。けれども正しい変化は、時に鋭い光を放つ。迷わなくなることは、没頭して全力で走れるということは、確実にその人のベースを押し上げる。あるいは今まで気づかなかった何か、新しい魅力。見えるものまで変わってくる。そうして変化に気づいた近しい人まで巻き込んで、変わる世界。
 人を生かすために駆ける。その様は、惚れるには十分な魅力を持つに違いない。

 次回はその変化の先で同じように変化を遂げた女、涼の話である。




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