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本気で読書感想文(京極夏彦さん「ヒトごろし」、2)



 正しく在りたいと思う。その正しさと称するものは、育った環境や出会う人によって変わる。けれども先に述べた通り、「ムラ」を優先する集団の中で生きていくためには、まずその前提を踏まえた上での個の発言が求められる。
 己にとっての正しさが、己がための正しさだった時、それは規律に反し、断罪の対象となる。

 本作に芹沢鴨という人物が出てくる。
〈強いだけ、自分が強いだけの能無しだと熟知している芹沢は、他人を恐怖させることで支配しようとする〉
〈要するに芹沢はただの破落戸なのだ。侠客よりも始末に悪い〉
〈威張り、脅し、些細なことで暴力を振るう。こうしたことを繰り返すことでのしあがり、やがて周囲は芹沢の機嫌を取るようになる〉と紹介される男だ。
 始め、『「ムラ」ではなく、己がために振るまう芹沢は、懲らしめられて当然』と思う気持ちが発生する。そんな芹沢は、この後読み手同様、芹沢を軽蔑する歳三によって追い詰められていく。己の手を汚さずして。この場では監察役の山崎丞によってその手口を明かされる。

〈芹沢鴨が、実は壬生浪士を抜けたがっていたことを〉
〈こっそり公卿に会うて、奉公させてくれと願い出たんでっせ、あのおっさんは。思うに、怖かったのと違いますか〉
〈わてがあの人でも怖い思いますわ。何をしたかて誰も止めてくれんのですわ。(中略)何もかも自業自得なんやけども、それでも誰かに止めて貰いたかったんやろと思いまっせ〉
 酒を飲むのは自分の意思だ。暴力を振るうのも自分の意思だ。傍若無人に振る舞うのも、自分の上に人が立たないようにするのも、全ては自分の意思だ。自分の意思で思うがままにしてきた。そうして夢中になって取り除いて顔を上げた時、初めて温度差に気づく。孤独に気づく。
 自業自得という言葉の持つ重み。「ムラ」という背景が見えることで、より一層感じる救われなさ。本当は〈誰かに止めて貰いたかった〉ちょっとやりすぎじゃないか? と、誰かが自分の身を案じて袖を引くのを待っていた。でも叶わなかった。それは「殴られてもいいから止めようと思われるまでの関係を持てなかった」男の悲劇。これは決して他人事ではない。

 ただ自信が持てなかった。これしかやり方を知らなかった。年を重ねるほどに視野が広がり、昔を改められるようになることもある。けれど男にはそんな更生の機会を与えられなかった。ただ好きなように食わせ、病になるのを待つように仕向けたのが、他の誰でもない歳三だった。あいつは変わらないと決めつけ、その機会を奪ったのは歳三だった。

 似たような事例が朝井リョウさんの『死にがいを求めて生きているの』に見られる。安藤与志樹と堀北悠介。現代の、学校という誰しもが通る道なので、こっちの方が入りやすいかもしれない。参考に一部だけ紹介させてもらう。
〈年齢を重ねていく中で、求心力となりうる要素は変わっていく。自分が持ち合わせていた要素が有効な時代はもう終わったならば、自分の中身を更新していかなくてはならない。
 変わらない。それは、幼い、という言葉に言い換えられる。与志樹は、自分よりも遥かに大人に見える同級生たちと、どんな風に関係を築いていけばいいのか、もうわからなくなっていた〉
 こちらは偶然クラスメイトに陰口を言われていることを知ってしまったことで、軌道修正をかける機会に恵まれれる。そうして「現在力を持たない立場」であるからこそ、自分を合わせていくことができた。しかし芹沢の立場だったら、あるいは酒瓶で相手の頭をかち割っていたかもしれない。それほどまでに個の持ってしまう力は恐ろしい。バランスを取ろうとして集結する者達。ゾウは蟻に殺される。
〈──芹沢も。後戻り出来ぬところまで来ているのだと歳三は思った〉
 分かっていて止めない。幕府によって「秘密裏に芹沢を排除しろ」との通達が出て、仕事だからやるという。殺すためにそう仕向けたのは歳三だった。

 ヒトごろし。それはただ返り血を浴びる者のことを指すのではない。
〈「あんたの方が一枚──」上手やってんと山崎は言った〉
 直接日の当たらないところで動いている者がいる。それは時代も場所も問わない。
 最近何故だか調子がいい。気分がいいという時ほど、背後には気をつけた方がいい。自分は大丈夫だと笑いながら振り向いた時、ニコニコしながら刀を突きつけている同志がペロッと舌を出すかもしれないから。






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