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【6、息子として(独り言多めの読書感想文、村木嵐さん『御庭番耳目抄』)】



 していいことといけないこと。立場が下の者なら分かりやすいものの、上の者にも相応のしきたりがあるようだ。言っても人一人。万能ではないそれは「役割」
 
〈「ならばそなたにはそなたのせねばならぬことがあるのも分かるのではないか」〉
 
 大の子ども好きとして知られる吉宗は、孫家治を相手に、上に立つ者の役割を諭す。「その人」にしかできないこと。代わりのきかない「立場」。必ずしも本人が望まずとも、それは宿命。
 父(家重)を慕うは当然の子の心。
 父を侮る者を恨むのも当然の子の心。
 父母のつながりを何より重んじるのもまた当然の子の心。
 大波に小波に、小さな身体いっぱいに揺さぶられる思い。我慢できるほどの容量を持たず、融通がきくほど大人でもない。だからしばしば感情が溢れる。
 
 ただ基本〈癇癪の一つも起こしたことがなく、病といっても腹下しや風邪程度だった〉程〈出来過ぎの子〉であった家治。元服を境に、それまで聞き取れていた父家重の言葉を聞き取れなくなるが、そのこと自体、それだけずっと耳を傾けてきたということ。
 思うに家治は当然幼子が欲する注目を、そうすることで集めていた。通常何かを成し遂げ、変化を元手に集めるものを、寄り添い、その場における不足を補うことで集めた。それが相手の笑顔を引き出すと幼心に判ったからだ。それは親譲り。
 
 家重は吉宗の改革を真っ直ぐ推し進めることで役に立とうとした。そこに個人の思い、自我は障害でしかない。それが分かったからこそ、実に20年にわたる改革が実を結んだ。
 豪胆には慎重を。口数が少なければ聞く耳を。そうして補い合うことで形を成す。
 感情が昂るたびに、祖父に父にやさしく諭されてきた家治。そうして理解する力のあった家治だからこそ受けた、格別の教えがあるので紹介しよう。家治の生みの親、お幸が言ったことだ。
 
〈「ですがそなたの母上様は比宮さんです。そなたをこの世へ送るために比宮さんはもったいなくも私の腹をお使い下さいました(中略)家重様に顧みられぬのは、家重様が誰より比宮さんを大切にされている証でございますよ」〉
 
 ことあるごとに〈そなたの真の母君は比宮さん〉と繰り返してきたお幸。家重はお幸と比宮を、自分にとっての忠光との関係になぞらえた。
 当時家治はまだ元服を済ませたばかりの12歳。そんな子供にするような話ではない。けれど家治には通じると思った。聞くことができるというのは理解することができるということ。家治は、だから世間一般にすぐ飲み込めぬようなことにも次々順応していく。状況に応じて己の形を変える、そのやわらかさこそが本当の美点。
 
 最終家治は家治にしか頼めぬこととして、吉宗から「内密の頼み」を引き受ける。役割、立場。その人にしかできないこと。家治は諾と応える。やわらかさの中にも確かに宿る芯。それは耳にしてきた統計が一つの形を成した証。そうしてその横顔はとても15歳とは思えぬ、まごう事なき次の将軍。







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