大切な人に「死にたい」と言われたら
もし、あなたが大切な人に「死にたい」と言われたら。
どうか否定せず、まずは「そうなんだね」と受け止めてあげてほしい。
そして、もしできれば「話してくれてありがとう」と、言葉をかけてあげてほしい。
きっと「死にたい」なんて言われたら、言われた側は、とてもショックだと思う。自分が何か至らなかったのか、そんな気持ちにもなるかもしれない。
けれど、それでもどうか、否定せず受け止めてほしい。
それはなぜか。「相手の方がつらいからだ」……なんて言わない。個人のつらさを比較することに意味はない。言われた側も、言った側も、きっとどちらも苦しい。
相手はきっと「死にたい」と言うことであなたが悲しむこともわかっているし、「死にたい」と思ってしまう自分を責めているはず。
けれど「どうしていいかわからなくて助けてほしい」その一言を言うことすら自分に許せないから「死にたい」とこぼしたんだと思う。
だから大切なあなたに、「死にたい」という言葉で自分の中からようやく吐き出したその「願い」を、ただ認めて、許してもらえるだけで、思いつめていた心が少し、緩むのだ。
勘違いしないでほしいのは『「死にたい」という気持ちを否定しないで受け止める』ということは、「自殺を肯定する」こととは違う。むしろ真逆だ。
それは「あなたがここにいていい」と伝えることと同じ。
人は、自分の気持ちを正しく言葉にしてもらえたとき、安心感を覚える。
たとえば怖くて泣いている子供に対して、「怖かったんだね」と言ってあげると、その子は自分の恐怖を「受け止めてもらえた」と感じ、安心して感情を解放することがきでる。
逆に「泣いては駄目」「これくらい怖くない」などと言ったとする。するとその子は「恐怖」という感情を出すことは「悪いこと」「してはいけないこと」だと覚えてしまう。そして否定された「恐怖」は行き場をなくし、その子の中にとどまり続けてしまい、その後の人生に強い影響を及ぼす。
だから、子育てにおいて、相手の感情を言葉にし、否定も肯定もせず受け止めるということはとても大切なこと。
そしてこれは大人でも変わらない。親子関係でのやりとりは、人間関係の根幹だからだ。
「死にたい」という気持ちを打ち明けた人に「死んじゃダメ」「なんでそんなこと言うの」「命を粗末にしないでよ」と声をかけることは、その感情を否定し、不安を増長させることになってしまう。
だから「死にたい」と言われたら、まず「そっか」「死にたいんだね」「死にたいと思ってしまうほど、辛かったんだね」と、言葉にすることで、きっとその人は少し、楽になった、受け止めてもらえたと感じる。
もちろん、受け止めたあとに「どうして?」と聞きたくなると思う。けれどそれは、ぐっとこらえてほしい。
明確な理由を言葉にできない人もいるし、実際に明確な理由がない場合もあるからだ。それに、本人が自分の思いに気づくのに時間がかかることも。
だからここでは一旦、「死にたい」とこぼす人がどういう状態なのかを、思春期から今まで「死にたい」という気持ちに向き合い続けた私の経験から説明させてほしい。
人が「死にたい」と思ってしまうとき。多くの場合は、抱え込んだものがこじれにこじれて、『不安や恐怖、苦しさで、周りが見えなくなってしまい、もう「死ぬ」以外の道が考えられない』そんな状態だと言える。
だから、そんな時に「死ぬな」「自殺は良くない」と言われたら、最後の逃げ道を塞がれたような苦しさを覚えるし、自分の気持ちを否定されたように感じてしまう。それに、いきなり「なんで?」と言われたら、責められているような気持ちにもなってしまう。
ここで、あなたに「否定」や「責める」という気持ちがなかったとしても、そう受け取られやすい状態だということを理解してほしい。
そしてどうか誤解しないでほしいのは、「死を望む人」というのは「命を粗末にする人」ではないということ。
よく「まじめな人ほどうつになりやすい」と言うけれど、主に日本で言う「まじめな人」というのは、ストレスの発散方法や、そういう環境からの逃げ方が上手くない人だ。勤勉で、実直で、ともすれば「何かを楽しむ」ことにすら罪悪感を感じてしまうような人。
逆に、一見怠惰な人もいるかもしれない。けれど、怠惰な人というのは弱いのではなく「我慢」を浪費してしまっている人。本人すら自分の気持ちに気付けていないから、知らず我慢して、心に無理がかかっている状態だと言える。
そしてどちらにも共通するのは「本当は必要のない我慢をしすぎている」ということ。
そんな状態では当然苦しいし、生きていけない。
自分の気持ちよりも他人の気持ちや、他人からの評価を大事にしてしまって、不安と恐怖と我慢の糸にがんじがらめになって、もう身動きが取れなくなり、「死ぬことでしか楽になれない」というふうに思い込んでしまっているのだ。
つまり「死にたい」と言う人が必ずしも「死を選びたい」わけではないということ。ただ、それ以外の選択肢が思いつかないくらい追い込まれている、そんな状態なんだ。
そして「死にたい」を正しく紐解いていくと「消えたい」「逃げたい」、もっと言えばただ「楽になりたい」「解放されたい」という欲求がその奥底にある。
ものすごく平たく言えば、本質は「疲れたから休みたい」と同じ。
「嘘だろ」と思われるかもしれないけど。当の本人にすら「そんなかんたんなものじゃない」と言われるかもしれないけれど。
でも、そういう誰にでもある当たり前の欲求を叶えることが許されなくて、あるいは自分でも許せなくて、そのまま走り続けてしまったから、今更自分では止まれなくて、もつれにもつれて「死にたい」になっている。
だから、疲れた心と体を休ませることができて、「死ななくても楽になれる」と心から感じられたのなら、時間はかかったとしても、「生きたい」と思う気持ちが自然と湧いてくる瞬間がある。
その鍵になるのが「ここにいていい」という「安心感」。そして「安心感」とは、先にも書いたように、気持ちを受け止めてもらえることで生まれるもの。
だからたとえそれが「死にたい」という、絶望の底を打った重たい感情であっても、まずはそばにいるあなたが、否定も肯定もせず、ただ受け止めてあげてほしい。
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余談だけど、明確な理由やきっかけがないのに、死にたくなることもある。怪我や出産、生理で出血し、鉄分が不足することで、心が不安定になり、死にたくなってしまうことだってある。
思春期は、体づくりにミネラルが使われるので、精神を安定する物質を作るために使うミネラルが不足して心が不安定になるし、ストレスに敏感になってしまいやすい。
だから「死にたくなる」ということは、まったく特別なことではないし、命を粗末にすることでもないのだ。
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少し個人的な話を。
私は幼い頃から「死にたい」という気持ちがあった。けれど、これといって明確な不幸はなく、それ故に、周囲にそれを受け止められたり、理解されることはなかった。
当時は今よりももっと心の病に理解のない時代だったから「親にもらった命を粗末にするな」「甘えるな」と、さまざまな言葉をかけられた。けれど湧き上がる自殺願望を抑えられずに、「周囲の優しさに応えられない自分が悪いんだ」と自分を責め続けた。
そんな自分をどうにか変えたくて、その理由、原因を探し求めたのがこの数年間のこと。
そして「死にたい」と思ってしまうことが、上に書いたような状態だと知ることができてから、自分が悪いわけではないと気付けた。死を想ってしまう自分を受け止める、許すには、そこからさらに数年かかったけれど。
それにもちろん、死にたいと思うことを自分を許せたからといって、死にたくなくなるわけではない。昔よりは減ったけれど、未だに死にたくなることはあるし、死にたくなる瞬間の言い表しようのない苦しさは、その度に襲ってくる。
けれどそれが『本当に「死を望んでいる」わけではない』と識っているから、私は生きているし、これからも自ら死を選ぶことはないと思う。
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最後に。
「自殺」そのものの是非はここでは問わない。死を選ぶという選択、そしてもう選んでしまった人を責めることはできない。
けれど私個人の気持ちとしては「悲しい」と思うし、できれば、今せめて自分が観測できる範囲の人には死を選んで欲しくはない。これはただのエゴだ。
けれど、生きるのがどんなに苦しくても、生きていてほしいと思う。残酷だと言われても。
なぜなら、苦しみを感じる心は、裏を返せば、喜びを感じられる器でもあるから。そして、生きている限りは可能性があるけど、死を選んでしまえば、可能性はゼロになってしまう。
死は絶対的な一線だから、重く捉える必要はあるけれど、まるで臭いものにフタをするように、死を想う気持ちすら否定してしまう必要はない。
「『死にたい』と思いながらも生きる」
そういう在り方だって、あっていいと私は思う。
死にたいと願う気持ちも、死にたいと言われて悲しかった気持ちも、そのどちらもわかるからこそ。「死を願う」ことしか助けを求める手段を持たない人が、助けを求めた先で追い込まれることが少しでも減るように。そして、身近な人を助けられなかった、と無力感や罪悪感を味わう人が少しでも減るように。そう思ってこの記事を書いた。
もし、身近な誰かが死を願ったとき。あるいはあなた自身が死にたいと思ったとき。私の拙い言葉が、心を縛る鎖を緩める助けになれば嬉しい。
そしてひとりひとりが、人はどうすれば少しでも楽になれるのか、すこやかに心を満たしていけるのか。人の心と体のしくみを正しく理解できる人が増えれば、そして社会が人の心のゆらぎを受け止められるようになるようになればいいと願いながら、筆を置く。
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