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「接客業に向いてない」という現実に向き合う

今年のはじめに、アルバイトを始めた。カフェの接客だ。ここからおよそ半年経って、カフェでのバイトはなんやかんや続けている。

なんやかんや続けてはいるけれど、かなり体調に無理がかかっている。

今働いているカフェはひっそりとした隠れ家的で人の出入りが少ないような穏やかなカフェ……ではなくて、結構回転の早いカフェ。接客はひとりひとりていねいにというより、流れ作業的な側面が強い。長居する人はいるけれど、静かに過ごすよりおしゃべりを楽しむお客さん中心。

このバイトを選んだ理由は色々あるけれど、一番大きな理由は、働くことへのトラウマの克服。社会からドロップアウトしてから初めて「自分の意思で選んで働き始める」という経験をすること。

また、高校時代にしていた接客のアルバイトで楽しい記憶があったため、応募の心理的ハードルが低かったのもある。そして、高校時代のアルバイトは3年続いたため、マニュアル的な接客なら続けられると思った。

しかし、そんなことはなかった。

シフト中は死ぬほど気を張っているらしく、終わるとどっと疲れて、抜け殻のようになる。疲れが抜けきらず、食欲もなくなってくる。自炊する気力がなくて外食続きだ。睡眠は浅くなるし、朝起きられない。シフトの前日には不安で眠れなくことも。1日6時間、2連勤が限界で、3連勤なんかすればもうヤバいことになる。

別にブラックな職場なわけではない。職場の人間関係は、ほとんど辛くない。優しい人も多い。働きやすい店だと思う。その証拠に、がっつりシフトに入る人が多い。入る人はフルタイムばりに入っている。

その環境の良さが、なおのこと自責の念に拍車をかけた。自分より仕事を長くたくさん続けられている人と比較して「自分はダメだ」と落ち込んだ。

また、高校の頃は耐えられたことが今は耐えられない事も自分の中ではショックだった。けれどそれはおそらく、自分の苦しみに自覚的になっただけだ。思い返せば、高校生当時も、三ヶ月に一回程度の頻度でうつ状態になり、休みがちになってたので、おそらく「耐えられていると思い込んでいただけ」。

できることの種類が違う

そんな苦しい状態の中でも色々気付いたことがある。それは、バイトを続けられている人と私は、ただ「できることの種類が違う」だけなのだと。

ある時、長年勤めている先輩を観察してみた。「失礼にあたると思うから、私なら絶対言わない」と思うことを平気で言う。こちらの状況や気持ちを考えずに押し付けてくる。つまり「人の気持を考えすぎない、わかろうとしすぎない」からこそ、この仕事を続けられているのだと。

(念のため、私が観察した限りそうであるという話。そして先輩のことを悪く言いたい訳ではないし本人に悪気もないと思う。)

そのことを受けて、「接客業はよく気付く心優しい人物が求められるが、そういう人は神経を削って体を壊してしまうため、接客業に向かない。だからある程度鈍感な方が、接客業に向いている(続けられる)」といった内容を以前どこかで読んだことを思い出した。

では私はどうかと言えば、「人の気持ちを(良くも悪くも)考えすぎ、わかろうとしすぎる」。そのため一対一でじっくりと深い話をすることのほうが得意。というより人の気持ちの機微を観察してしまうし、受け取ってしまうから、少人数での対応に絞る必要があるという感じ。

どちらが良い・悪いという話ではない。ただ、タイプが違うため、得意なことも違うということ。

逆に、その先輩に同じことができるかと言えば、多分できない可能性のほうが高いし、やりたいとも思わないのではないか。だって、他人にせよ自分にせよ、気持ちを考えて向き合うのは、きっと「めんどくさい」ことだ。

努力してやっているわけじゃない

ちなみに私はこの「ひとりひとりに深く向き合う」ことを、努力してやっているわけじゃない。目の前に相手がいればほとんど自動的にやってしまうことだ。

それは「周囲の人の感情を受け取ってしまう」と言い換えることもできる。というかそちらのほうがわかりやすいかもしれない。

流れ作業的にこなしていかないと追いつかない人数を捌く時に、いちいちそんな状態で接してしまっているということ。制御しようと思ったけど、上手くいかなかった。

たとえば、イライラしている人がいたらこちらも不安になる上に、イライラが流れ込んでくる。「他人にあたってんじゃねーよこっちも人間だよ」という私の苛立ちも湧き上がってくる。もはやどちらの感情か区別がつかない。

しかしそれに蓋をして笑顔で接客するので、出口がなくなった感情は心と体に溜まっていく。

この「感情を受け取ってしまう」というのはHSP気質の特性のひとつでもあるけれど、ほかにもHSP的な理由でつらいことはある。

HSPには五感の敏感さという特性があるが、仕事において特に辛いのは聴覚だ。客席にいるお客さんの話し声や機械音が反響して、たまに頭がぐらぐらしたり、潜在的にイライラする。

なぜ合わない仕事に飛び込んでしまったのか

HSPであることは、バイトを始める遥か前に知っていた。それなのに何故、接客業という仕事を選んだのか。そして今現状、それだけ辛い思いをしているのに、なぜまだ続けているのか。

理由はいくつかある。まず、自身がHSPである事を頭では分かってはいたけれど、実感としては理解していなかった。だから、できるかもと思い込んでしまった。

そしてもうひとつ、私は「接客業ができる自分でありたい」というポジティブブロックがあったんだと思う。もっと噛み砕けば「華やかな仕事がしたい」とかそういう感じなのかもしれない。

実際、カフェのアルバイトをすると友達に打ち明けて「似合いそう」と言われたときは嬉しくなった。

また、ポジティブブロックと言えば、自身のHSP的な部分を「弱さ」だと思っているふしが、まだあるのかもしれない。

「繊細さ」は弱さではない、見方を変えれば強さだ。それだけの感受性を以てこの世に向き合っても、耐えていられる器があるという事だ。弱いのではなくただ「合わない」だけ、と自分に言い聞かせて見るけれど、やはり子供の頃に自身の「感じやすさ、受け取りやすさ」を理解されず、「弱さ」として扱われた傷は根強く残っているんだと思う。

私はHSPだったとしても、外で働けるんじゃないか。私は案外強いし、できるんじゃないか。そう思っていた。

私を「弱い」と誹った人の価値観・文脈の中で「私は弱くない」と認められたかった。

私を傷つけた人の価値観に、囚われていた。

しかしそれは、ただの執着でしかない、と体調不良になっているという「現実」が物語っている。

現実を受け入れて向き合っていく

現実を受け入れる、というと感情を押し殺して我慢するようなイメージがあるけれど、そうじゃない。

子供の頃の傷が、大人になってから自分を傷つける道を選ばせる事はよくある。傷ついた自分を守るため、あるいは周囲に認められるため、自分に嘘をついてしまう。

そういう嘘をとっぱらって、自分の中から湧き上がる声に耳を傾け、常識や理屈を抜きに認めることが「現実を受け入れる」という事だ。

この場合の現実は、身体の症状。私は「今のアルバイトが嫌だ」という現実を認める。

「日銭すらまともに稼げないのか」「簡単な仕事なのに」「働きやすい店なのに」そういう風に言ってくるセルフジャッジだの世間の目だのは、ここには必要ない。

「私には合わない」という事が現実。

そして、「嫌だ」と認めたなら、どうすればいいのか? 自分は本当は何を求めていて、何ができて、何がしたいのか? そう考えて、行動していくことが出来る。

それが「現実に向き合う」という事。
そして「自分を幸せにする」という事。

この場合、向いてないと気付いたと同時に、自分が普段人に対して「どう接しているか」という気付きも得た。ならば、その特性を活かし向いていることをやればいい。

だから、お店は近いうちに、辞めようと思う。

働き始める前のnoteを読んでくれた人には、トラウマの克服は失敗したように映るかもしれないけれど、そうじゃない。トラウマの正体に気付くことができたし、それ以外にも学べることはたくさんあったから、この経験は無駄じゃなかったと、私自身本気でそう思っている。

そして最近もうひとつ気付いたことがある。

辞めたいという気持ちは、実は最初の三ヶ月からあった。けれど、辞めても先が見えないから、ずっと不安だった。 

けれどそれは、見えないんじゃなくて、見ようとしていないだけなんだと。本当は見えているし歩く準備も整っているのに、その道は無理だと目を逸らしているだけ。

でももう、社会の枠組みは破壊された。だったら作り直していい。自由に生きていい。恐れはあるし傷も痛むけど、それは歩みを進める過程で癒されても行くだろう。

ゆっくり、少しずつ、失敗しながら、でも確実に進むから、引き続き応援して欲しい。

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