もういちど社会に出るためのささやかな一歩
私は今現在、在宅ワーカーだ。
今しているのは下請けの下請けみたいな仕事で、顧客はたった一社のみ。
およそ四年ほど、続けている。
本来なら、収入を増やすため、営業をかけて新規顧客を開拓したり、クラウドで仕事に応募したり、派遣に登録したりと、色々やりようはあるはずなのだけど、この四年間、頭の中で「やるべき」と思いながら、結局一度もそういったことはやらなかった。
とても恥ずかしい話だけど、名刺すら、ない。
もともと、在宅ワーカーになった理由も消極的なものだ。
転職と引越しという環境の変化から体調を崩し、休職ののち、退職になった。転職直後なので休職期間は数ヶ月。短期退職で失業保険も似たようなもの。それらが終わって、さあどうするとなった時に、以前勤めていた会社が外部委託リソースを探しているという話を聞いて、それに乗ったというだけ。
こうして書いてみると「やっぱり自分は社会に馴染めない、仕事のできないダメ人間だ」と、過去に染みついた自己イメージがじわじわと心を蝕んでくる。決してそんな事は、ないのだけど。
私は二社経験している。その二社のどちらでも同じ失敗をして「社会における自分」にすっかり自信をなくしてしまった。
人が怖い。拒絶が怖い。視線が怖い。社会の全てが怖い。
オフィスという環境は人の思念が渦巻いていて、長時間いるとキャパを超えてしまう。
人との距離感の調整が苦手だし、相手の事が見えすぎてしまうので、上辺だけの人間関係が辛い。
私は社会不適合者で、まっとうに働けるキラキラした人たちとは、違う生き物だと思わなければ、劣等感で死んでしまう。
挫折体験を通して、「働く」ということに対しての強い恐怖が心に刻み込まれていた。
それにもともと、この仕事を選んだのは自分の意思ではない。だからたぶん、どのみち在宅ワーカーとして立派に新規開拓など、できようはずもなかったのだ。
そもそも私は、これまでの人生の三分の二は、自分の意思で生きていない。
小六から、いじめもないのに不登校になってしまった。中学でも行けず、高校は通信制を卒業し、専門学校に入り新卒で技術系の職に就いた。
不登校になった時、家族は私のことを恥だと言った。だから、家族の恥をそそぐために、私は社会復帰をしなければならない、それが、私のやるべき事だと思っていた。
勉強の目的はわからず学校には行けなかったが、働くことの責任はわかったから、働くことはできた。働くことと自分の価値を癒着させて生きていた。働いてさえいれば、私は恥ではないのだと。家族から見捨てられはしないのだと思っていた。
何か、ありもしないものに、必死にしがみついていた。
仕事は楽しかったこともあった。今に繋がるいい出会いもあった。技術も腐るものじゃない。この経験を否定するつもりはない。
けれど、社会に出たことは家族のためで、自分の意思ではなかった。だから破綻したのだと思う。家族に恥と言われて傷付いた自分を押し込めて、自分の意思を全て押し殺して生きてきた。
心の中にはいつも「させられた」という被害者意識があった。
そして「自分で選んだ」という納得感がなかった。
(当時は「自分は空っぽ」だと感じていた)
心と身体を壊して、休職して、退職して、しがみついていたものから強制的にひっぺがされて。
何もなくなった時に、「私は自分のことを何も知らない」という事に気付かされた。
そして、自分のために人生を選択してきた訳ではないということにも。
もちろん、なんとなく選んだ職がいつの間にか楽しくなり、続けられる人もいるんだと思う。けれど私は、自分の意思で選んで、納得して進まないと、上手くいかなくなるタイプらしい。これまでの四年間で、そのことに気付いた。
新規開拓、営業など、わかりやすくお金を稼ぐ努力はしなかったけれど、その代わりにずっと考えてきた。自分が何を楽しいと思い、何を求め、何で社会の役に立てるのか。
おかげで、少しずつ自分のやりたいこと、やるべきこと、楽しみながら人の役に立てることが見つかりつつある。今はまだ原石だけど、多分きっと磨けば光る、かけがえのない財産だ。
そしてこのたび、とてもささやかだけど、ようやく具体的な行動をひとつ起こすことができた。
二月から、近くのカフェでアルバイトを始めることになったのだ。
あまりに小さくて、ともすれば「だから何?」と言われてしまうようなことかもしれないけれど、働くことをずっと恐れてきた私にとっては、とても大きな一歩だ。
収入としては今やっている仕事に比べたら、微々たるものだし、時給制で働くことに対して、思うところがないわけではない。何かやりたいことに直接結びつくわけでもない。
けれど、大事なのは「自分の意思で選んで、働き始める」ということ。その経験を得ること。
「どんなささやかな行動でも、自分の意思でなら納得出来る、自信に変わる」それをこの数年で知ったから。
それに本当は高校の頃からずっと、カフェで働いてみたかった。当時は、オシャレな店は芋くさい自分には似合わないと諦めていたけれど、今度は諦めない。
ここからもう一度、社会へ踏み出す。
社会で負った傷は、社会でしか癒せないから。
この先どんな道を歩むのか、自分でも想像ができない。既存の働き方に、合うものなんてないのかもしれない。
でも、私はどうやら枠に囚われないで生きる方が輝けるらしいから、自分で作るくらいがちょうどいいんだと思う。それって、ちょっと不安で怖いけど。
でも、新たに私が作った枠に、また誰かがハマって、生きる選択肢が増えればもっと嬉しい。そんなことを夢見たりする。
まずは楽しんで働いてみるから、どうか、引き続き応援して欲しい。
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