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人助けの力加減

「プロの占い師として、お金をいただく」と言うと、なんだか責任が重くなったように思えるけれど、私は逆に軽くなった。肩の荷が降りた、という方が近いかも。

昨年秋から、占い師として活動をはじめた。

知らない人の輪の中に身を投じるのにはものすごいプレッシャーを感じるタイプの人間なので、占い館や占いアプリなどには登録せず、今のところはnoteでの告知のみでやっている。

検索流入のおかげで、殆ど宣伝活動を行っていないにも拘わらず、月数人のペースだが、鑑定のお申し込みを頂いている。

そうして、気付けば半年以上経った。

振り返ると、自分の未熟さから悩む事はあれど、幸いにして「もうやめたい」と思うほどひどい目には遭っていないので、ありがたいと思う。

また、有意義な鑑定が出来た、という手応えを感じられる瞬間があったり、鑑定の感想をもらえる喜びは何物にも変え難い。

それらは外的な事だが、内的な事、つまり私自身にも良い心境の変化があった。

それは、鑑定で相対するお客様に対して「自分のできる範囲を明確にし、上手く距離感を保てるようになった」という事。

占いに限らず、カウンセラー、セラピスト、コンサルタント……医療関係者なんかもそうだと思うけれど、「誰かを助ける」という事が目的の職業というのは、支援者自身の責任感やエゴとの葛藤が起きるものだと思う。

そういう職業を目指す・就く人というのは、多かれ少なかれ「救済願望」がある。そこまで大袈裟じゃなくとも、漠然と、あるいは明確に「誰かの役に立ちたい」という気持ちはあるはず。

私自身も例外ではなくて。というか、かなり強かった。「誰かを救いたい」「苦しみの渦中にいる誰かの力になりたい」みたいな感情。もっと言えば「他者の人生を良い方向に変えたい」みたいな強火の気持ち。

それは、一見とても良い志のようにも見える。「人助け」なら「いいこと」じゃないのか……と。しかし、実際はそんなに簡単じゃないし、真摯に人助けをしようとしてきた人ほど、その危うさがわかると思う。

その救済願望は、ほぼ義務感とか強迫観念に等しいものだった。そうしなければ生きていてはいけない、と思うくらい強い罪悪感とセットのもの。

自分を犠牲にしてまで人を助けたいと強く願う心の裏には、自分が無価値だという思い込みや、罪悪感、見捨てられ不安などがある。全員が必ずしもそうではない、という事は大前提だけど、私以外にも同じような感覚を抱える人は少なくないと思う。

そして、強迫観念が強すぎると、とにかくいろいろな問題が起きる。過剰な責任感から判断を見誤ったり、時に自分自身が潰れてしまったり。

助けを求められた時、相手の人生の「問題」にばかり意識が行き過ぎて、視野が狭くなる。視野が狭くなると、思考が支配される。支配されるという事は、相手を支配するという事でもあるので、相手の人生の手綱を握ろうとしてしまう。

自らの空虚さに無自覚なまま人を助けようとするのは、本質的には相手から奪おうとする行為だ。見返りなど必要ないと宣いながら、見返りを求めて、互いに苦しむ。

占い師をはじめるずっと前から、それで何度も失敗した。

そんな強い救済願望を抱えている私だったけれど、実は「占い師」という職業にこだわりは特になかった。ただ、「興味のある事」「自分のできる事」「人の役に立ててお金になる事」の落とし所が、その時点では「西洋占星術の鑑定」だったという話。

占い師の方のプロフィールでたまに見る「幼少期から星占いやタロットに親しみ……」みたいな事は全くなく、占い師になると決めたのも、ほんの一年半前。西洋占星術に興味を持つまで、自分がそうなるなんて考えた事もなかった。

しかし、目標を定めた辺りから、まるで占い師になるための準備だとでも言うかのように、「誰かを救いたい」という気持ちの裏にある感情に向き合わされる出来事がいくつも起こった。

それらは、とても苦い経験だったけれど、どれも過去の失敗とリンクするものだった。まるで学ぶために再体験させられているようで、でも、そのおかげで抱えていた執着を手放す事ができたし、他者との線引きの大切さというのも、身をもって知る事ができた。

良くも悪くも、身の程を知ったのだ。

そして鑑定開始後。最初のうちは、過去の失敗から来る恐怖や不安が強かったが、セッションを重ねるうちに、少しずつ力加減がわかってきた。メールやアンケートなどで感想をいただいて、それが自分の中に積もっているおかげもあると思う。

もちろん、鑑定の申込みが来ない時期が続くと自信をなくしたり、落ち込む事もあるけれど……今は「自分にできる最善を尽くす」「相手の人生は相手のもの」と思いながら鑑定に臨む事ができるようになってきた。

また、物事の捉え方を変える事や、潜在意識の事を学ぶのも助けになった。

この世界は思い込みで出来ている。純粋な信じる心、意思の力はとても強い。それはネガティブな「思い込み」も同じく。

潜在意識の世界では、「助けようとする」という事は「助からないと思い込む事」「助からない現実を肯定する事」になる。助けたいという思いの裏には、相手が「一人で立つ力がない」という思い込みもある。

だから、「助けたい」という願いや「助けよう」というエゴがあればあるほど、裏にある思い込みが現実に浮上する。だから上手く行かない。

ではどうすればいいのかと言うと、「助かる」「助かっていく」という言葉に置き換える事。

潜在意識はPCのコマンド入力のようなもので、入力した言葉(認識)によって、現実が変わっていく。だからこそ、根底にある自動思考に気付く事が大事なのだけど、意識的に言い換える事で逆説的に自分の自動思考や思い込みに気付くので、まず言葉を変えるだけでも意味がある。

そしてもうひとつ、とても大事な事を学んだ。

それは「人を助けるには、まず自分から」という事。

自分が満たされていなければ、他者に気を使う事はできない。自分をおざなりにしていると、どんどん心に余裕がなくなっていくし、直感も鈍っていく。

だから、自分を満たす事、セルフケアをする事は、実は誰かを助けたい人ほど重要なのだ。

……と、理屈は学んだけれど、これはまだまだ出来ていないなぁと感じる。今、一番の課題かもしれない。

この国には「自分を犠牲にしてでも人助けする事はいい事で、他人より自分を優先して満たす事は悪い事」みたいな風潮がずっとあって。私は、そういう文化にどっぷり浸かって育ってきてしまったので、未だにセルフケアをする事に抵抗があるし、罪悪感を覚えてしまう。

これは私だけじゃなくて、多くの人がそうだと思う。けれど、今が変え時だから、取り組んでいる最中。でもそうやって、少しずつ呪いを解いていけば、必ず生きやすくなっていくはず。

いずれ「人助け」というものの間違った認識が変わって、自分を満たすことができて、健全に喜びを与え合える人が増えていく。ひとりの人間として、今はそんな世界を思い描いている。

こんな風に、捉え方を変えたり、仕組みを学ぶことで、「全ては、予定通りで、必然」だと思えるようになってきた。いい意味で「自然に任せる」事ができ、肩の力が抜けるようになってきた。

だから今は、占い師という役割を持ったけれど、始める前よりも「軽くなった」と感じている。

そして、強迫観念めいた救済願望は、今は「相手の人生がより良くなるように」という祈りに変わった。私にとっての「人助け」は、かつては罪の意識とともにあったけれど、今は喜びとともにある事の方が多い。

もちろん、まだまだセルフケアは課題があるから、自分の恐怖や不安に飲まれそうになる事もあるし、セッションそれ自体にも改善の余地はあると感じる。

それに、やりたい事もある。カードのメニューを作ったり、カジュアルな雑談めいたセッションもいいなぁ、とか思っている。

「占い師」という肩書だけでは、私のやりたい事全部網羅できている気がしないから、占い以外も学ぼうかなぁとか。

楽しみながら得たものを、誰かにシェアする事で、結果としてそれが人助けにつながればいい。それくらいの気構えの方が、結果的に多くの人を助けられるはず。

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