自殺することを自分に許したら
その日は感情の波に捕まっていた。
春先の、吹き荒れる風に巻き上げられたのか、心の底に溜まった泥が浮上して、私の目を曇らせていた。
これが浄化なのはわかっている。
以前までは蓋をされ、掘り下げなければ見ることができなかったものは、今や蓋が開きっぱなしになり、こちらの状態などおかまいなしに浮上しては現れ、そして消えていく。
私が捕まり、捕まえなければ、流れていくものだとはわかっている。
それでもやはり、長年のクセというのはなかなか抜けず、湧き上がってくる感情を捕まえては、自責の言葉に耳を傾け、自分を追い込んでいた。
そしてある程度追い込んだ時、いつものように「死にたい」「もう嫌だ」という言葉が出てきた。
この「死にたい」という気持ちは、私にとって珍しくはない。
思春期の頃からずっとあり、それなりに苦しんできて、未だに消えないものの、すでに日常の一部となっているもの。
十数年前は、今よりも精神疾患は一般的でなく、私の周囲には希死念慮など感じたことがない人ばかりで、ほとんど理解されなかった。
死にたがる人々のコミュニティに属してみたものの馴染めず、また私には確実に死ねる方法を実行に移す勇気もなく、そして理由のわからない感情に殺されるのを良しとしない生き汚さで、死にたいと思いながらもどうにか生き延びてきた。
そんな「死にたさ」は、二十歳を過ぎた頃に、「死ぬべき」に変わった。
思春期の頃は、漠然とした罪悪感と自己無価値感から「死にたい」と思っていた。しかし、ある出来事を境に「自分は死ぬべき存在だ」と思うようになった。
低すぎる自尊心からたくさんの人を傷付けた。今となっては若気の至りと片付けられる程になったが、当時は本気で自分の過ちを後悔し、自分を呪った。実際に他人から恨まれもした。
その出来事により、漠然とした罪悪感が、根拠を伴う罪悪感に変わった。「生きている価値がない」に「気のせい」と言えなくなった。
しかし、簡単に死なせてはもらえず、そして自分がどれだけ「死ぬべき」と思ったとしても、周囲はそれを許さなかった。
それどころか「生きろ」と言われた。
傷付けた相手が大切な人だった。
その人を幸せにするため、自分が消えることが償いだと思った。
しかし、その人は、罪を犯した私を許し、自分の幸せは私の幸せだと言った。生きて、そばにいろと。
後悔と自責で折れそうな心を、罪悪感と大義名分で縛り付けた。
「私は、幸せにならなければならない」と。
今思えば「そんなことは無理だ」と自責から命を断つという選択肢もあったのかもしれない。しかし当時の私にとって、その人の存在は自分の命より重かった。何よりも彼を傷付けた自分が許せないのに、これ以上彼を不幸にする選択肢を取るなんて出来る訳がなかった。
私は、心の奥底で自分に「死ね」と願いながら、贖いのために幸せを目指すと決めた。
そんな矛盾を抱えて生きていくために、「死にたい」という気持ちにどうにか折り合いをつけてきた。
トラウマの解放や精神疾患の根治を目指しながら心と身体の構造を学んで、捉え方や視点を変えてみた。
エネルギーヒーリングを受け、様々な手法で浄化をし、自身もまた潜在意識など精神世界を探求し、自分、ひいては世界の仕組みへの理解が進み、当時の出来事の捉え直しも進んできた。
それらを経たおかげで、今の私は「死にたい」という感覚は消えないが、それは当たり前で、身近なものとしてある程度スルーできるようになっている。
ただ、「一生なくならない」と諦めた訳でもない。この感覚の根源は理解しているし、それを取り払うには少し時間が必要らしい。そしてそれは顕在意識でどうこうできる物でもないとのこと。
そういう理由もあって、最近は希死念慮が浮上してきても、ジャッジせず、放っておいた。
「ああ、また、いつものパターンだ」と、できるだけ深く考えないようにしていた。
しかし、昨年の晩秋から冬にかけて、少し様子が変わってきた。
今までは「自分は死んではならない」という強い理性のおかげで、どれだけ希死念慮が上がってきても、自殺を実行に移そうとは考えなかった。
死のうと思うと、幸いにして夫の顔が浮かぶ。私が死んだら悲しんでくれそうな友人の顔も。
だが、それすらも浮かばないほどの強烈な自己否定、絶望感、希死念慮が私を飲み込んだ。
飲み込まれた私の身体は、「私」という人間が如何に駄目な存在で、生きているのが無意味で、悪いことかを嘆く。私が死んで悲しむであろう人たちを想っても「悲しみは一過性で、私がいない人生の方がきっと幸せだ」と宣う。
細かい内容は覚えていないが、大の大人が暴れて泣きわめくほど、内側から自分の体を突き破って出てくるような強い情動だった。
秋分から冬至に向けての浄化。根本的な変容を促すための、古いものを手放す流れだった。
この時の叫びは、いつもと質が違っていた。
「私は死んだほうがいい」とはっきりと口にしたのだ。
それでも実際に行動に移す事はなかったが、エネルギーが通り抜けて落ち着いたときに、「死にたい」の奥に押し込めていた感情が、いよいよ出てこようとしているのだと感じた。
そして春分を越えて。
週替りで目まぐるしく変わるエネルギーに、また私は翻弄されていた。
4月6日の満月からまたデトックスが始まったからというのもあるだろう。
そして先週の、激しい風が吹き荒れた下弦の日。
浮上してきた希死念慮に対して、今までならそのまま流していたはずのところを、私は感情に捕まり、現実的に死ぬ方法を頭の中でシミュレーションをし始めた。
いつもどおり、「死ぬことを許さない自分」が顔を出した。
しかし、自暴自棄と自己嫌悪が極まっていた私は、その自分に対して苛立ちを覚え、「あえて『自殺することを許す』と潜在意識にコマンドしたらどうなるのだろう」と後ろ暗い好奇心が湧いてきたのだ。
流石に少し、ためらった。
「もし、本当に死ぬ流れになったらどうしよう」という懸念が湧いてきた。
私は恐がりだ。いざ自殺を実行に移すとなると、恐怖で足が竦む。だから、これまで死ねなかったというのもある。
しかし、その時不思議と、自暴自棄とは別の期待もあった。
「今まで絶対にやろうと思わなかったことを、今このタイミングで思い付いたのには意味がある」と思った。
私は意を決して心の中でつぶやいた。
「自殺することを自分に許す」と。
……すると、なんと。
急に、楽になったのだ。
自責で狭まっていた視野が開け、身体の力が抜けた。
うずくまっていた身体は、いつの間にか大の字になっていた。
視界には見慣れた寝室の天井。
全身が解放感でいっぱいになった。
頭の中はとても静かだった。
先程までの、嵐のような自分を責め立てる声は聞こえない。
とにかく不思議な感覚。
正直、拍子抜けしてしまった。
どうしてこうなったかは、すぐに理解した。
おそらく、私にとって「自殺を許すこと」の意味は、言葉通りではない。
自らの死を願いながら生きているのは罪悪感からであり、責任感で。
自分に自殺を禁じていた目的は、「自らを罰するため」。
つまり(あくまで私にとって)この言葉は「贖罪の終わり」「釈放」を意味するのだと。
大の字で寝転び、ぼんやりと解放感に浸っていると、数日前に読んだ、願望実現のための思考法の記事がふっと思い浮かんだ。
”「〇〇しなければならない」と思い続けると、「〇〇するのが困難な現実が創造される」”
ああ、そうだ。
私はずっと「生きて、幸せにならなければならない」と思ってきたのだ。
だから「生きてはいるものの、幸せになるのが難しいと感じる現実」が創造されてきた。
「自殺を許した」ことにより、「生きなければならない」という思考を手放したのかもしれない、と思った。
「ずっと苦しかった」
力が抜けてしばらくすると、そんな声が心の底から上がってきた。
「そうだよな、苦しかったよなぁ」
否定も肯定もせず、ただ、素直に共感していた。
今思えば、死にたいという気持ちを押し留めていた「強固な理性」というのは、「死ぬべき」だった私を縛り付けた「罪悪感」であり、奥底からの絶望感の噴出は、その強固な蓋を吹き飛ばすためのものであったのだろう。
*
思えばこの数年、繰り返し同じシチュエーションで浮上する怒りの感情があった。
死にたがる人々が矢鱈目につき、その度に怒りを覚えていたのだ。
それは実際に死にたいと口にする人から、無自覚に自分を傷付けて平気な顔をしている人、明るいようでいて実は生に対して執着がない人まで、様々だ。
そのうちの何人かは実際に自殺未遂をした。
一人は友人だった。タイミングも私にとっては最悪で、流石に怒りをごまかしきれなくなった。
内観で、「死にたいと思う自分がまだいて、それを許せていないんだ」と気付いたものの、怒りは収まらず、かといって友人に直接ぶつけることもできなかった。
これは私のエゴで、表に出してはいけないもの。
この怒りを他者にぶつけ「それでも生きろ」と押し付けることは、自らの苦しみを認められないために、前時代的な価値観を下の世代に押し付ける愚かな大人たちと同じ。
そう固く、キツく、自分を縛り、そしてどうにか、自分の中でケリをつけようとこんな記事を書いた。
おそらく当時の私は、怒りの消化方法がわからず、再び奥底に仕舞い込んでしまったのだ。努めて優しい口調でありながら、怒りに身を焼きながら書いた記憶が未だに蘇る。
私はずっと、「希死念慮」を肯定すれど、「死ぬこと自体」は否定していた。
罪を犯した時も、根底から自分の存在価値が崩れ去った時も、私は死を選ばなかった。
こんなところでは終われない、と歯を食いしばった。
しかし、それは自分の価値を信じていたからではない。
「私は自分の犯した罪の償いを終わらせなければ、死ぬことすら許されない罪人なのだ」という自己像からだった。
私の前に現れた「死にたがり」たちは、その時罪悪感で縛り、封じ込めた「罪を犯した私」あるいは「弱い私」の投影だった。
そして湧き上がる、「許せない」という怒り。
「私はこんなに苦しいのを我慢して生きてるのに、軽率に死を選ぶお前らが許せない」
私の根底にある「許されたい」という欲求、あるいは「自分が苦しむべきという考えを手放し、もう自分を許してもいい」というサインが、それら死にたがる人たちを引き寄せ、私に見せていたんだと思う。
このテーマを繰り返す中で、「自殺そのものを許す」としたのは今回が初めてだ。
これを書いている最中に読み返したが、上記の記事に「死にたいという気持ちを認めることは『あなたがここにいていい』と伝えることと同じ」というくだりがある。
自殺を許したことが自己受容に繋がったというのは不思議だと思っていたが、答えは既に自分が書いていた。
あの頃はきっと、頭でしかわかっていなかった。今度は、感情、潜在意識レベルでそれを感じられたのだと思う。
幸い、この日から一週間経った今、自殺を実行に移すような流れにはなっていない。
未だに失望は心の奥底にこびりついているし、強い恐怖もある。自己否定はパターンだ。また時が巡れば希死念慮を感じるかもしれない。
それでもやはり、私が実際に自殺することはない、そう思える。
頭が絶望に支配され、死ぬ方法を検証した時にも納得の行く死に方は見つからなかったし、希死念慮を湧き上がらせる根源の感情は、今まさに浄化の真っ最中だ。安楽死制度が未だ整っていない国に生まれたことにもきっと意味がある。
それにきっと、高次存在が止めてくれる。
そう簡単に死なせてはもらえないのだ。
そして、かつて自らに本気で『死ぬべき』と思ったほどの罪の内容を、いつか苦しみから逃れるためではなく、自分を受け入れるために開示できた時、私の贖いは終わり、本当の意味で次に進めるのではないかと思う。
ちなみに、法で裁かれるような内容ではないと明記しておく。念のため。
ただ少なくとも初対面の人間、あるいは匿名であっても不特定多数に知られるのは少し抵抗がある、そんな内容である。まあ……実際に言葉にしてみれば「なんだそんなことか」と思う人もきっといるような内容でもあるかもしれない。
もし縁があれば、私がいつか言葉にできた時には、また読んでもらえれば嬉しい。
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