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【感想と解説】NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』第2回「佐殿の腹」

2022年1月16日(日)20時放送、NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』第2回「佐殿の腹」を視聴しました。

<始まる前に>
第2回は、頼朝の乳母・比企尼(草笛光子)が登場するようです。
比企氏は頼朝の支援者であり理解者になります。

<NHKのあらすじ>
罪人・源頼朝(大泉洋)を処断しようと兵を率いて迫る伊東祐親(浅野和之)。
しかし、北条義時(小栗旬)の父・時政(坂東彌十郎)が頼朝をかばって対立。
両勢力が一触即発の状態となる中、平清盛(松平健)を後ろ盾に相模の武士団を束ねる大庭景親(國村隼)が現れる。
一方、目まぐるしい展開に振り回される義時は、姉・政子(小池栄子)らの助けを受けて頼朝と富士の山すそにいた。
だがそれもつかの間、弓矢が放たれ緊張が走る……

---曲---
エバン・コール

■ナレーション(長澤まさみ)
平家を恐れる伊東と、それに抗う北条。
坂東の片隅で起きた、一族同士のささいな諍いがやがて・・。
義時の運命が動き出す。

■福原(後の神戸)
平宗盛(小泉孝太郎)が伊豆の頼朝の騒動を話しています。
「なぜ殺さなかった?」平清盛(松平健)
「父上が殺さなかったのです。すんでの所で逃げられたようです」(宗盛)
「東国の不始末は東国のものにかたを付けさせろ」(平清盛)

■富士の山裾で
富士の山中で偶然、頼朝と義時の前に、山内首藤経俊(山口馬木也)が現れます。
山内首藤経俊の母はは頼朝の乳母でした。
佐殿が立ち上がるのを待っている、と話します。

■大庭景親(國村隼)登場
平清盛を後ろ盾に相模の武士団を束ねる豪族で、伊東祐親(浅野和之)を上回る勢力です。
時政に対し、頼朝を差し出すように促す大庭景親。
伊東祐親に娘と縁を切らせると妥協策を提案、両者の顔を立て、頼朝を北条に預けることに。

■伊東祐親を襲うものが
工藤祐経(坪倉由幸)が伊東祐親を襲います。

■頼朝戻る
頼朝が時政の館に戻り、「ここを我が家と思っておくつろぎください」(義時)
政子は頼朝が戻り、ウキウキしています。
時政の命で義時が新妻のりくに手紙を届けることになります。

■八重(新垣結衣)と父・伊東祐親
伊東祐親は娘の八重に嫁に行ってもらうことを命じます。
千鶴丸に会いたいという八重。
千鶴丸は伊豆山権現に居ると嘘を付き、伊東祐親は八重を安心させようとします。
義時は頼朝を連れて比企の館に行くことになりました。

■政子と佐殿
アジは嫌いだという頼朝に政子は「小骨が嫌いなんでしょう、脂が乗って美味しい」(政子)
「八重に今さらあってどうなる、時の流れに逆らってどうなる。わしは行かぬ」(頼朝)
「わしは兵など挙げん、戦は苦手だ。この地でゆっくり過ごすことにした」(頼朝)
自分では直接言わず、義時に任せることに。
妹・実衣は、政子が三島明神に佐殿と行く、と義時に漏らします。

■武蔵国比企
比企尼は頼朝の乳母(めのと)である。
比企能員(佐藤二朗)と嫁・道(堀内敬子)と比企尼が頼朝を引き受けるかどうか話し合います。
平家ゆかりのものに知られたら大変、と断りたい妻と比企能員それに対し、母・比企尼は場所を貸すだけ、と源氏をお支えするのは比企の役目、と受け入れに賛成します。

■伊豆権守・堤信遠(吉見一豊)
義時を跪かせ陵辱する堤信遠「すべてわれの胸三寸よ!身の程を知れ」

■政子と頼朝
17歳で伊豆に流された、と昔話を始める頼朝。
「信心深くなったのはあの時からじゃ」
「八重は私の子を生んでくれた、かけがえのない支えであったがそのせいで八重を苦しめた。同じ過ちを繰り返したくないのだ」(頼朝)
「私なりに佐殿をお支えしたいのでございます」(政子)
実衣に政子は「今まで荒々しい坂東武者しか現れなかったけど、やっと現れたのよ」と話します。

■相模国・比企邸
泥だらけの義時が一人で現れ、比企能員に母に謝ってほしいと言われます。
来なくてホッとしていることを比企尼に見透かされる比企能員と道でした。
八重は、佐殿が来ないことを義時から聞いて、まともな嘘をつきなさいと怒ります。
兄・宗時に、佐殿は本当に兵をあげるといったのか、問い詰める義時です。
私には挙兵しないと申した、という義時に宗時はまだ信じていないようです。
挙兵しか頭にない宗時でした。

■伊豆・北条館
時政は妻を披露することになったのに誰もいないと嘆いています。
佐殿と政子が湯河原に行ったことを白状する時政です。
りくにぞっこんの時政です。

■湯河原
朝湯で頼朝に会うことに。
「誘ったが政子は来ていない、伊東へいった。八重と話したいことがあるそうだ」(頼朝)

■伊東
八重と政子の対決
「二度とお思いになりませんよう」(政子)
「伊東から北条へ乗り換えたということか、何もかも」(八重)
八重のアドバイスに低頭して聞く政子「あとはお任せください」

■湯河原で
「姉を馬を替えるように乗り換えるのは承服できない。北条から出ていってください」(義時)
「伊豆に流されてきたとき、一人であった。いざというとき力になってくれる後ろ盾がおらん。そこに北条が現れた。北条を後ろ盾として悲願を成就する。そのため政子殿に近づいた。お前だけに話しておく。いずれわしは挙兵する。憎き清盛の首を取る。この世をあるべき姿に戻す、そのためには政子が、北条が欠かせぬのだ。慎重に運ばねばならん、兄にも話すな。小四郎お前は頼りになる弟じゃ」(頼朝)

----つづく----

次回は第3回「挙兵は慎重に」1月23日放送です。

■感想
第2回ということで、初回ほどのインパクトは無かったけど、スピードのある展開で魅せてくれました。
佐殿・頼朝(大泉洋)のキャラに続いて比企能員(佐藤二朗)と嫁の道(堀内敬子)の掛け合いが面白く今後が楽しみ。
今後の比企氏の行動につながるので覚えておいていいでしょう。
八重姫(新垣結衣)が義時に激しく当たるのは、今までの歴史ドラマでのキャラを覆す意外性が出ていて面白いです。

■勝手に解説
平清盛は、永久六年1月(1118年)、伊勢平氏の棟梁である忠盛の嫡男として生まれますが、生母は不明で白河法皇のご落胤説が有力です。
永暦元年(1160年)、除目で清盛は参議に任じられ、武士で初めて公卿の地位を得ます。
平清盛は、太政大臣、従一位の地位にまで駆け上がります。
さらに、長男・重盛は正二位内大臣左近衛大将に、宗盛は従一位内大臣に、知盛は従二位権中納言にそれぞれ昇進しました。
承安元年(1171年)、清盛の娘・徳子を高倉天皇に入内させ、外戚の地位を得ようとします。
治承二年(1178年)、徳子が皇子(安徳天皇)を生み、直ちに東宮になりました。
治承三年(1179年)には平重盛が亡くなりますので、ドラマで宗盛が清盛と話をするやり取りは、重盛が亡くなる前後なのでしょう。
清盛の勢力の伸張に対して、後白河法皇の勢力は次第に平氏に警戒感を持つようになり、清盛と対立を深めていきます。

挙兵する治承四年(1180年)まで、源頼朝は約20年間の長きにわたり配流生活をおくることになります。配流地は、伊豆の蛭ヶ小島という説が有力です。
蛭ヶ小島は現在の静岡県伊豆の国市韮山にある狩野川の中洲にある湿地帯といわれています。
流人・頼朝の伊豆蛭ヶ小島での生活がどのようであったのかは、ほとんど伝わっていません。
『吾妻鏡』によると、源頼朝は、霊山箱根山の箱根権現、伊豆山の走湯権現に深く帰依して常に読経を怠らず、亡父・義朝や源氏一門の菩提を弔いながら、一地方武士として生活をしていました。
頼朝を援助していたのは、乳人関係の縁者でした。
比企尼の娘婿である安達藤九郎盛長、武蔵国の武士・河越重頼、伊豆の伊東祐清が側近として仕え、治承の挙兵以降も側近として活躍しています。

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