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ナノ思想1.

生命三層論

生命または人生の構造は三層と仮定する。

第一層   日常、お金、仕事、見栄、立場、社会的評価

第二層   健康、土台、トラブル・問題が無いこと、生きていること

第三層   運命、人生条件、環境、生まれてこられたこと、存在できていること

主に第一層で、様々な感情、トラブル、悩み、問題が発生してやまない。その都度、第二層や第三層に意識を置き換えることで、全ての不協和音は調音されてゆく。この第二・第三層への立ち返りが“気づき”であり、小さな我から大きな我への回帰・深化と仮定する。瞑想、ヨーガ、気功、呼吸法、禅、作務などにより“内気”を産み出しめぐらせる行法の第一段階。
まずは、生きていることに感謝。次に生まれてこられたことに深い感謝。
この第一層から第二層への立ち返りは、“生老病死”からの浮揚をもたらし、第三層への立ち返りは“生死輪廻”からの浮揚の一歩となる。
自分という存在が独立した生命だなどとは、根本的に誤った認識・概念・幻想ということに気づく。第一層の細々とした事象に追われる自我意識から、第二層の家族的無意識へと立ち返り、第三層の人類の集合的無意識へと立ち返る。祖先崇拝から自然崇拝、人類への貢献、宇宙的真理との邂逅・体現へと進む。
自分と先祖とは一つの連続生命体であり、肉体と物質を持たない先祖のエネルギーへの思念の贈り物=“供養”と、超自然界の中からの先祖からの贈り物“=霊的気づき”が循環する。そしてそのさらに外側に、いきとしいけるものの世界がある。
さらにはまだつまびらかにはわからないが、“死があること”、“死ねること”、じねんに死ぬことにより新たな世界に再出発できることが、壮大な循環の第四層なのかもしれない。自然死とは、実はほんとうに素晴らしく有り難い喜びを抱くようなものであるのかもしれない。生きるということはどのような死を構築し、どのような死後世界をクリエイトするかという、霊的設計の為であると言える。

自分  


稚拙な絵ですね。正月早々すいません。


■画像はナショナルジオグラフィックより。

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