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story|潰れかけの家業を10年で売上10倍にした話

初めてnotoを書きます。
最初のストーリーは、生地問屋の息子に生まれ、28歳で家業に入り、売上が減り続ける斜陽産業の中、生き延びる道を探してきた話です。同じような跡継ぎの方や斜陽産業で新規事業の種を探されている方の役に少しでも立てればいいなと思い書いてみました。

商売人の祖父はお年玉に3万円くれるお金持ちだった

子供の頃、母方のおじいちゃんからもらうお年玉が楽しみでした。

おじいちゃんからもらえるお年玉はいつも3万円。母方のおじいちゃんは山冨商店という生地問屋を営み、生地の反物を売る商売をしていました。

孫全員(7人)に均等して3万円ずつお年玉を渡すおじいちゃんを見て、自分で商売をするとお金持ちになれるんだな〜!いつか自分も自分で商売をしたいな〜!そんな風に思い、また祖父の会社はすごく儲かっているんだろうなと思っていました。

祖父が倒れ父が2代目社長に

母方は4人姉妹だったこともあり、山冨商店のアトツギに4人姉妹の旦那さん達の中で一番祖父が好きだった父に声がかかり、父が30歳の頃から働いており、祖父が病で倒れた2000年を期に、社長になりました。

その頃から、父親もお金のはぶりがよくなり、家も大きな家に引っ越しをしたので、山冨商店は本当に儲かっているんだな〜と思っていました。

会社を継ぐつもりはなかった

大学を卒業してから、横浜の上場企業会社に就職し、東京のベンチャー企業に転職、名古屋の美容機器メーカーに転職し、いつか自分の会社を起こしたいなと色々準備を進めていました。

名古屋の会社の仕事を辞めた後、行く場所がなかった僕は、父親の体調不良も重なりひょんなことから家業に入ることになりました。28歳の頃でした。

家業を久しぶりに見て愕然とした

家業に入ると、子供の頃見たことのある会社の様子とは全く異なっていました。

以前はおじいちゃんを中心に、番頭さんや若い人合わせて10人位働いていた覚えがあるのですが、父である社長と、経理のおばさん一人。2人になっていました。

また、お店の雰囲気もなんだか暇そうで祖父のお年玉の額や、父のはぶりの良い頃を見ていただけに驚きました。

とはいえ、創業から70年位商売をしてきている会社だから、資産は潤沢にあるのかなと思っていました。

会社の現預金が自分の貯金より少なかった

経営のことについて全くわからず帳面を見てもちんぷんかんぷんだったので、昔お世話になっていた先輩経営者の方に相談をして帳簿を見てもらうと、これお父さん次第で潰れるよとのこと

理由を聞くと
●会社の現預金が残り50万しかない
●売掛金と買掛金の差が少なく現金が増える見込みがない
社長からの借入が600万で銀行からの借入がないこと
3年前に比べて売上が3分の1まで減少していること

ようは、社長の個人資産を会社に入れることでなんとか持っているだけで、社長の個人資産がなくなった瞬間潰れる状態。しかも、売上が伸びる要素が限りなく少ないから、改善できる余地が少ないとのこと。

経理のおばちゃんから言われた「転職先早く探しなさい」

家業に戻ったころ、父は腰を悪くして入院していたため、経理のおばちゃんと二人で仕事をしていました。

お店を手伝いながら、暇になった時間を見て、帳簿、決算書を知人の経営者に見せたところ、こんなことを言われたが、本当のところ会社どうなんですか?と聞いたところ

ハヤセくん、戻ってきてこんなこと言うのもあれだけど、早い所転職先を探したほうがいいよ。。。と言われました。その言葉で会社が本当にやばいことを理解し、頭が真っ白になりました。

事業の立て直しも出来ないのに独立してもうまくいかない

転職するか、このまま残って様子を見るか真剣に考えた結果、事業の立て直しも出来ないのに、自分で独立してもうまくいかないだろう

せっかく会社という箱があるのだから、できることをやるだけやってみよう!そんな風に覚悟を決め、経営の基本的なことから考え方などを様々な本を通して学びました

改善① 無駄の排除、経費削減

帳面を整理していくと、目に見えない在庫が沢山あり、倉庫を借りて保管していることを見つけました。

見ると月に10万ものお金を保管及び委託手数料としてはらっており、もったいないということで契約を解除、ついでの汚い反ものの在庫も処分しました。

また、お店の横に借りていた事務所スペースも解約、読まない新聞の解約、電話代金の削減等。無駄にはらっていた固定費を徹底して削減していきました。

改善② 何でもいいからキャッシュが増える商売を

3年前に比べて売上が3分の1まで減少しており、2010年時点の売上は約2300万でした。

このままお店でお客を待っていても、生地は売れないと思い、前職の美容機器メーカーの営業部長に直談判

美容ローラーや美容機器を卸してもらえないか相談し、問屋価格で卸をしてもらいました。とにかく、売上をたてないと会社が潰れるとの思いで、お店の前に美容ローラー販売スペースを作り売り子をしました。

前職の経験もあり、またお店の入っていた船場センタービルは、呉服屋宝石がお値打ちに買えるお店があることから、お金持ちが毎日店の前を通るため、想定していたよりも売れました。また、美容ローラーが高単価商材ということもあり、半年お店の前で販売を行い、ざっくり500万円ほど売りました。

改善③ 美容ローラーの利益で新規事業を考える

美容ローラーの売上が500万利益で250万位になったころ、利益の半分を使って新規事業ができないかなと模索をはじめました。

その時に読んだ本でいた本の
「金持ち父さん貧乏父さん」の中で、バケツで水を運ぶビジネスではなく
時間をかけてでもパイプラインを引き水が流れてくる仕組みとなるビジネスを
作ることが大切
ということが心に響き

一件一件営業するのではく、仕事が流れるように入ってくる仕組みが必要だなと思い、WEBを活用した新規事業を検討しよう!と決めました。

色々アイデアは思いつくも全部ボツ

WEBの知識がほとんどないことから、暇を見てはIT勉強会に行くようになりました。また、ホリエモンやIT社長の本を沢山読み、Webメディアを立ち上げるのはどうか?マッチングサイトを立ち上げるのはどうか?などIT事業のビジネスモデルを考えるも、どれもこれも現実的ではなく途方にくれていました。

起死回生のお客様来店

生地問屋で扱っている生地は、主に2種類ありました。デットストックの生地とプロパーの生地。デットストックの生地は、工場さんや加工工場で出た残反やB反(汚れた生地)を安くでまとめて買取り、それを売る商売。プロパーの生地は、テキスタイルメーカーの生地を仕入れて売る商売。

家業の山冨商店は、デットストックの生地を中心に扱っており、プロパーの生地は既存顧客から値段が高すぎると売れることはありませんでした。

そんな中、ある日北海道から農業アパレル中堅メーカーのお客様がふらっとお店に来られ、プリントの生地を沢山仕入れたいと相談に来られました。

プリント生地はデットストックでは取扱いがなく、プロパーの生地しかないと伝えると、値段よりも沢山の種類が欲しいので見本を見せて欲しいとのこと。

1回のオーダーで売上100万円!!

店の奥に眠っていた、プロパーの生地サンプル帳を見せると、こんな沢山の種類があるんですね!と感動頂き、その場で1mずつ、40種類位の注文をしたいとのこと。

プロパー生地の場合、メーカーから取寄せるため原反(50m)位が基本、1m単位で取寄ると、生地代金の他別途手数料が1点ずつ2000円位かかる旨をお伝えすると、必要経費なのでかかっても大丈夫!とのこと。

結果、1mずつで40種類購入頂き、その後各1反ずつ購入頂き1回の売上で100万程オーダーを頂くことに繋がりました

生地のカタログサイトを作ろう!

この北海道のお客様に衝撃を受けました。これまで、絶対に売れないと教えてこられたプロパーの生地を喜んで高値でも買っていってくれた。

これは、ビジネスチャンスなのではないか?そう思い、プロパー生地のカタログサイトを作ることにしました。最悪は、北海道のお客様だけでも利用してくれるはず。

IT勉強会に行っておいてよかった!

生地のカタログサイトを作るのに、どれくらいの予算が必要なのか?制作会社に見積もりを取ると150万位の見積もりが帰ってきました。高いかどうか分からず、IT勉強会を通じて知り合ったデザイナーさんに相談すると50万位で作れるよと。もちろん、そのデザイナーさんにお願いしました。IT勉強会に行っておいてよかったと思えた瞬間でした。

生地問屋の不透明さを極限までなくすことにこだわった

異業種から生地問屋の世界に来た時本当に不透明で分かりにくい世界だなと思いました。そうは言っても問屋が卸さないとは言いますが、完全に時代錯誤です。

船場センタービルには何社か生地問屋さんが入っていますが、どのお店を見ても、どんなお客様が、どんな生地を、いくらで、どうやって、仕入れることができるのか分かりにくく足を踏み入れにくい感じでした。

そのため、どんなお客様が、どんな生地を、どうやって、いくらで仕入れることができるのかを徹底した見える化を意識したWebサイトを企画しました。

普通の問屋さんなら、お客様によって価格を変えたりしているので価格をオープンにはしにくいようでしたが、うちはプロパー生地のお客様がいなかったのでフルオープンにしました。また、数量によっては割高になるため、見積書を確認してもらってから購入するかどうか判断をしてもらうフローにしました。

また、生地は触らないと分からないだろうと思い、サンプル帳はサービスで無償でお客様に送るサービスをつけました。

WEBチャネルはブルーオーシャンだった

Webサイトオープンから半年程経過すると月に100万程度の売上が立つサイトになっていました。社長は、生地がネットで売れるなんてと驚いていました。

調べてみると、『生地問屋,生地仕入れ,アパレル生地,生地大阪』といった検索ワードで常に上位に出るようになっており、オーガニックサーチでお客様が増えていました。斜陽産業でも、生地問屋のWebチャネルではブルーオーシャンでした。

売上が伸びると共に様々な改善を行った

①新規顧客数、増加のために取り組んできたこと
・Webサイト生地問屋YAMATOMIの構築
・SEO対策(狙ったキーワードで検索される仕組み)
・サンプル帳の無料発送
・生地問屋YAMATOMIリニューアル(補助金活用)
・オフィス&ショールームのリニューアル
・生地問屋YAMATOMI商品画像一眼撮影
・メディアブログの開設
・仕入先の開拓
新規顧客増加、売上増加に伴い構築してきた仕組み
・メールワイズでの受注管理システムに移行
・見積書、請求書管理ツールmisocaの導入
・商品登録システム第一弾の開発
・在宅スタッフの導入
・在宅スタッフとの連携ツールとしてチャットワーク導入
・手書き帳簿からクラウド会計Freeeへの移行
・FAXオーダー管理ツールCORECの導入
・出荷業務のアウトソーシング
・取扱品番数増に伴う基盤システムの移行
・掛システムの導入【Paid】
・クレジット決済導入
・ビジネス会員導入
・スクラッチでバックオフィス開発
・顧客管理CRMシステム開発
・顧客レベル管理構築
・ショールーム拡大

Webサイト立ち上げから7年

Webサイト立ち上げから初めての採用でうつ病の子を採用してしまったり、スタッフの教育で苦労したこと、売掛金の回収ができなかったこと、システムの不具合、Web制作会社との喧嘩などなど色々ありましたが、前年対比120%〜150%の成長で走り続けてきました。

気がつくと家業に入ってから10年
2300万だった売上は2億5000万になりました。

家業に埋もれている強みがきっとある

同じように跡継ぎで家業に入った方に向けて、アドバイスができることがあるとすると、家業がこれまで続いてこれたということは何かしらの強みがきっとあるということだと、僕は思っています。

家業に入った頃、生地問屋の事業は斜陽産業で何をしてもうまくいかないだろうと思い、生地問屋の事業とは関係のない新規事業を起こすことばかり考えていました。

けど、強みは実は家業の中にありました。そして、それは自分では意外と気が付かないものです。僕の場合は、北海道から来られたお客様の相談から強みに気が付きました。

それは、今ある仕入先にヒントがあるかもしれません。昔使っていた機械にヒントがあるかもしれません。昔売れ筋だった商品にヒントがあるかもしれません。

場合によったら新規事業を起こすことも必要かもしれませんが、青い鳥を探しに行ったら家にいたように、実は身近にありすぎて、当たり前過ぎて自社の強みやビジネスチャンスが見えていないだけの可能性があるかもしれませんよ。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

僕のような小さな会社の跡継ぎが偉そうなことは言えないのですが、これまでの経験が何かみなさんのヒントになればうれしく思います。

Twitterでも生地のことや、仕事のことを発信してまります。
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同じような話ですが2018年頃アトツギのことで取材を受けました。
こちらもよろしければご覧ください★



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