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元サッカー日本代表選手が子どもたちに語った言葉が、大人にも響いた理由

子どもたちに向けた言葉が、自分の胸中に響いた。それがどういうことなのかを数日のあいだ考えていた。本人が自覚的かはわからないが、きっと言葉は発する人の想像以上に、人となりや姿勢を表すのだと思う。

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先日、自分が所属するクラブ、水戸ホーリーホックのホームゲーム(JリーグではなくJエリートリーグという試合)が茨城県日立市で開催されて、その試合後には日立市出身で水戸ホーリーホックにも所属した元日本代表、鈴木隆行さんをゲストに招いたサッカー教室イベントが開催された。

イベントは、キック練習の後、学年ごとに分かれてのミニゲーム、最後には大きめのコートで鈴木隆行さんも含めたコーチチームと子どもたちとの勝負と進んだ。保護者の方やクラブスタッフもスタンドの方から最後のゲームの盛り上がりを楽しんでくれていた。きっと子どもたちにとってもそうだし、コーチ側にとっても雰囲気の良さが印象に残った時間になった。


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ゲームが終わり子どもたちが鈴木さん、もとい鈴木コーチの周りに集まる。日は落ち、陸上トラックを照らすライトの光はグランドの真ん中までは届かない。

薄暗いピッチの上で鈴木さんが子どもたちに語りかける。子どもたちが彼をじっと見つめている。

サッカー上手になりたい?みんな、いつもどれくらい練習してるの?

「○日くらい!」「○時間!」と口々に返す。

もっと練習するんだよ。鈴木コーチはね、子どもの時からずーっと練習してたんだ。ずっと頑張ってた。ずっと、どうしたらサッカー上手くなれるかって考えて練習してた。サボったことはなかったよ。

1日もサボってなかったよ、1日も。ほんとだよ。上手くなりたかったから。
鈴木コーチはね、選手としてうまくいかなかった時間が長かったんだけど、そんな時でも、絶対にサボらずに頑張ってきた。

みんなは知ってるかな、に続く次の言葉で子どもたちの集中力が増すのを感じた。

頑張ってる人と、頑張ってない人、チャンスっていうのはそのどっちに回ってくるのか。

ここにいる大人の人たちは、みんな知ってるよ。

知ってる。知っている。だから、何も言えない。そんな気持ちになった。唾をのみ込んだ。目線は子どもたちに向いているけれど、言葉がこっちに飛んできた気がした。おそらく本人にその気はないのだけど。


実は、サッカー選手としての「鈴木隆行」について、僕はあまり知らない。

2002年、日韓ワールドカップの年にサッカー始めた。僕がサッカーを始めたきっかけの兄弟が住むお隣の家、そこで見たベルギー戦での日本代表の初得点となった「つま先ゴール」。これが最初の記憶。

次に記憶に残っているのは、2011年水戸ホーリーホックにアマチュア契約で加入したこと。東日本大震災の影響もあってのことだったと覚えている。


そんなわけだから、この文章を書くにあたって改めてサッカー選手 鈴木隆行のことを調べてみると、1995年に高卒でプロサッカー選手になった後、デビューは1996年、Jリーグ初ゴールはブラジルへの「武者修行」を経て帰国した1998年。

その後も、キャリアの中で国内外のクラブを渡り歩き、2015年に現役引退。憶測でしかないことを前提に、数字だけを見ると、ゴールで評価されるポジションの選手として厳しい現実を突きつけられた時期も少なくないように思ってしまう。思っていたより華々しいものではなかった印象だった。



その道のりの途中に、僕が見た「つま先ゴール」の輝きがある。

小学校2年生の僕は、その選手の名前も知らなかったのに、映像は鮮明に覚えている。中学校2年生くらいまでFWでプレーしていた。下手くそで、頑張るしか取り柄が無くて、なんどもギリギリのボールにスライディングして、ようやっとネットを揺らした記憶しかない。


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みんなは知ってるかな。

頑張ってる人と、頑張ってない人、チャンスっていうのはそのどっちに回ってくるのか。

ここにいる大人の人たちは、みんな知ってるよ。

まとめに入る雰囲気を出しながら、鈴木コーチが付けくわえる。イベント後の子どもたちがこんなに集中している姿、自分ではなかなか作れないと思った。

今日話したこと、きっとみんなは賢いからよく理解してくれたと思う。
でもね、頭で理解して、それで大半の人はやらないのよ。

いいかい?上手くいってる人、成功している人はやってる人ばかりだよ。

今年の前半に「頑張れない」状態になってしまったことを差し置いても、昔から自分の大事なことをおざなりにしてしまう、サボってしまうことが多々あって、耳が痛くて胸に響いた。

頑張り方はそれぞれだと思う。僕の場合は、無理をしてしまって長続きしないなら、「無理をしない方法を考えて続けていくこと」を頑張る必要があった。

明日から何かできることは。子どもたちにむけた言葉で”大人”の自分が心を動かされていた。見た目は大人で、心は小学校2年生だった。


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冒頭の問いに戻ろうと思う。子どもたちに向けた言葉が、自分の胸中に響いた。それがどういうことなのだろう。


ここまで来てただの憶測でしかないのだけど、”鈴木コーチ”は子どもたちをなめていなかったのだと思う。リスペクトした上で、先人として大事なことを伝えた。

対等な存在として、「僕にはできるよ。君たちはどう?」と問いかけた。

”respect”という英語は日本語で「尊敬・敬意」と訳されることが多いが、個人的には掬いきれていないニュアンスがあると思っている。

<”re”「再び」+”spect”「見る」>からできているこの単語は、「二度見てしまうほど」、「振り返って見てしまうほど」大事なものというのが語源となっているようだ。


だから、リスペクトという言葉は「尊重/ナメていない/一目置く」という感じで使いたい。対等な存在として尊重しているイメージだ。

少しそれるけど、派生形の”respective"の意味が「めいめいの/それぞれの」であることからも言葉のイメージが伝わるかもしれない。


ようするに、子どもたちと対等に向き合う姿勢の人から発せられた言葉だから、”大人”の胸にもスッと、いやガツンと入ってきたんじゃないだろうか。言葉はやっぱり、「誰が言うか」だ。

ほんとに最初から最後まで、ただの憶測でしかないけれど。



鈴木コーチは締めくくる。

もし君たちが大きくなって、何かで成功して、その時に今日のことを覚えていたら、鈴木コーチに会いに来てよ。それで、あの時一緒にサッカーをして話をして、それから一生懸命頑張りました!って言いに来てよ。
それを楽しみに鈴木コーチも頑張って生きてるからさ。


僕も頑張って、いつか「頑張りました!」って言いに行きたい。





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