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その場で偶然が生まれて、目撃する人がいて、アーカイブする人がいること / 【\おいでよ/えもフェス】

先日、つくば駅前のコワーキング up Tsukubaの”おかみ”、江本珠理さんの主催イベント『\おいでよ/えもフェス』が開催されました。

朝10時から緩やかに人が来て交わっていく一日の中で、トークセッションを5本やるというパワフルなイベント。

トークセッションのゲストはみんな、珠理さんが大好きな人たち。

今回は、その最後のトークセッションで「一階づくりはまちづくり」の株式会社グランドレベルから田中元子さんをゲストにして話されていた「まちと場とひとのはなし」から湧き出たものを書きたい。

https://www.youtube.com/watch?v=r1HNDInZu8k&t=1239s

(▲冒頭少し経ったら音声落ち着きます)


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グランドレベルの田中元子さんは、「1階づくりはまちづくり」を掲げ、東京の墨田区で(僕がすごく大好きで大ファンな)喫茶ランドリーなどを運営したり、コーヒーふるまいを趣味でやるような魅力的な方。

著書『マイパブリックとグランドレベル』は、僕にとってまちをみる視点を変えてくれた大事な一冊。


珠理さんと元子さん、2人とも僕の中で、頭の中を覗きたい人ランキングの上位をずっと走ってる。何が見えていて、どう思って、何を考えてるんだろう。この人は何を「好きだなあ」って思うんだろう。多分それは、僕が好きなものでもある。2人が関わる場は、僕が「いいなあ」って思うところばかりなのだ。


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その場で偶然が生まれること


2人とも、まちのなかで「場づくり」をしている。僕も将来、場を持ちたい。でもそれは、”僕の城”ではなくて、”まちの広場”でありたい。

自分の好きな”場”には共通点がある。それは「良い偶然が生まれる」こと。その余白があること。

珠理さんがいるup Tsukubaも、元子さんが関わる喫茶ランドリーや各地の素敵な”一階”も、偶発的に素敵な出来事が起きることがあって、そこにいる人を楽しい気持ちにしたり、安心感や居心地の良さを作ったりする。

そのための「余白」はなんとなく作られた「ゆるさ」ではなくて、なんとなくスペースを持て余して偶然を待っているわけではない。

空間の作り方や、そこで起きるコミュニケーション、お店の仕組み。そういうものがしっかりかみ合ったうえでできた「余白」だから、それは必然的に生まれているともいえる。

そこには、偶然が生まれる必然がある。

珠理さんも「一番、偶然が生まれる確率を高くするのは『空間を囲うこと』だと思う」と話していた。場を持つというのはそういう偶然を期待することで、その確率が高くなるように振舞ったりデザインしたりすることなのかもしれない。


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偶然を目撃すること


話題に上がってハッとしたのが、「偶然を目撃する人も大事」ということ。誰もいないところでどれだけ素敵な偶然が起きても、それは何でもない。


珠理さんには、ゲストハウスのおかみをしていた時期がある。

「ゲストハウスは、みんな旅をしていて『ハレ』の気持ちでいるからハッピーな偶然が起きやすくて、コワーキングは日常だから、じわじわ来るというか」

喫茶ランドリーのようなカフェもそう。日常を過ごす場所。

まちの中でまちの人が日常を過ごす場所は、『ハレ』というよりは『ケ』の人が多いところ。


そういう緩やかな場や関係の中で人が関わり合うということは、小さい偶然や出会いを生んで、そして同時にそれを目撃する人を生んでいるんだろう。面白い。

それと合わせて、up Tsukubaのおかみで「場の人」であるのが珠理さんだから、ここでは楽しい偶然が起きるんだろうな、といつも思っている。さっき言った「偶然を生む必然」のうちの一つとして「江本珠理がいる」というのは、この場にとってすごく重要なことに思える。

場は属人的でいいと思う。いる人が変わったら雰囲気が変わる場はいくつか見たし、それは自然なことだと思う。

up Tsukubaでは、場の人として珠理さんがいるから起きる偶然があって、目撃されているのかもしれない。


「場」における偶然と必然のバランスと、「場の人がいる」という必然については考えることがあって、「場の人」は必要なんだけど、お客さんとの間でアンフェアなところがある気もしていた。

お客さんは自分が「会いたい」と思ったら立ち寄れるけれど、「場の人」がそこにいるのが必然だったら、「場の人」には「会いたくない」を選ぶ権利がないなって思った。

なんかうまく言えないけど、双方の合意なしに必然的な遭遇を生んでしまうというか。「場の人」がお客さんの目的になるとアンフェアなことが起きるなあということを考えていたりした。自分がお客さん側だから、そこで失敗したなあと思う日もある。

ただ、最近の珠理さんはその辺からもけっこう自由になっているらしく、流石だなあと思った。


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偶然をアーカイブすること


「喫茶ランドリーで起きたことって、どうやってアーカイブしていますか?」

「わたし、あんまりアーカイブできない人なんだよね~。」

「そうだと思ってました~。わたしもそうで~。」

なんて話がちょろっと出て、とても印象に残っている。


喫茶ランドリーの場合は、元子さんの相方の大西さんやスタッフさんたちが写真撮るのが好きでやってくれているらしい。


得意な人がやればいいというのが基本で、その上で自分はアーカイブを残していくこと、とても好きなタイプだなと思った。

誰かと誰かの出会いが生まれたとか、たまたまその場にいた人たちでご飯を作って食べたとか、そういう日常の中の良い偶然が嬉しくて、記憶や記録に残せると良いなあってよく思う。

全部覚えていたい、っていうのはわがままかもしれないけど、いつか「こんなことがあったんだよ」ってアルバムめくりながら懐かしむことができたらハッピーだよなって思う。


ああ、これも多分、つくばで覚えた感情だなあ。


つくばに住んでいた時間にたくさん、場づくりする人、場を持つ人、場を開く人に出会えて、その場での偶然の出来事を残すことが素敵だなって思えたから、僕も子どもたちとサッカーをするイベントをするときは一生懸命アーカイブしていたのかもしれない。


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この日、トークセッションのゲストでもあったもっくん珈琲のもっくんにホロスコープを少し見てもらえて、そこから繋がって自分に対する解像度がひとつ上がった気がしている。

そしたら、「場」とか「広場」やそこにいる人たちに関わる人でいたいと漠然と、でもずっと心のどこかで思っている理由が少し見えた。棚卸しってやつなのだろうか。

▼もっくんのnote



僕はいつか「場の人」になりたいなあ。「場の人」になれるようになりたいなあ。

良い偶然が起きる場で、それを目撃して、なんか楽しいねってみんなで思いたい。


2人の話からちょっとでも頭の中を覗けただろうか。2人がそれぞれ作る景色が愛おしくて好きなのだ。もっと近づけたら嬉しいなあ。


おわり



あ~、悔しい!くそ~、がんばるぞ~!(急に)


レポートのようでただの感想のようで、もしかしたらメモのようなものでした!お話聞けて良かった!!


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この写真、僕は好きだなあ。

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