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仕事と生活のあいだに

学生の頃から「ワークライフバランス」という言葉にしっくりこなかった。

なんだかそれは、仕事が苦しいものだという前提に立っているような気がして、自分がのめりこむような、それこそ時間を忘れて没頭できるようなことを仕事にしていない人の考え方に感じられた。


「好きなことを仕事にする」というのはきっとそれに相反するようなことで、もちろんそこには「好きなこと」で打ち任される悔しさとか、妥協できないという難しさとか、いろいろあるのだけど、

そこも含めて、自分はそういう働き方・生き方をするんだろうなと漠然と思っていた。

実際に当時、僕は子どもの頃から20年弱やってきたサッカーや、院生時代に関心を持ち始めた地域づくりに関わるような仕事をしたいと思っていて、眠い目をこすりながらサッカーの試合を観ている時間のような、労働なのか娯楽なのかはっきりしない時間が多くなることは想像できていた。


そんな頃、落合陽一さんの著書の中にあった「ワークアズライフ」という言葉に出会う。

これからは、ワークとライフが無差別となり、すべての時間がワークかつライフとなります。「ワークアズライフ」となるのです。生きていることによって価値を稼ぎ、そして価値を高める時代になるのです。
(引用元:落合陽一『日本再興戦略』

落合氏は、ワークアズライフとは、仕事とプライベートを分けることなく寝ている時間以外はすべて仕事であり趣味であるという考え方としています。
(引用元:キャリア道場

タイムマネジメントではなくストレスマネジメントをして、自分にとってストレスの少ないことで働くという考え方も含めて、「ああ、たぶんこれだ」とその言語化されたものがストンと腑に落ちた覚えがある。


・・・



今年、大学院を修了して社会人になった。仕事はサッカーのコーチ。

サッカー選手と一緒で、年俸と期間を提示されて契約を結ぶ業務委託契約なので、個人事業主となる。(あまり知られていないかもしれないが、サッカーの指導者にはそういうケースが多い。)


個人事業主、自分が関心のあるサッカー、スポーツという領域。きっと「ワークアズライフ」的な毎日だと思った。

ただ、あくまで僕の個人的な話だと思ってほしいのだけれど、思いのほかそういうわけでもないと、今なら言えてしまう。


今年の秋、仕事で(自分の未熟さゆえに招いた)割と重めのトラブルみたいなこともあって、精神的のも体力的にも、時間的にもしんどい時期があった。

そんな時にふと頭に浮かんだのが、
「最近、仕事と生活しかしてないなあ」ということ。


そんなボヤキを、社会人としては数年先輩の大学の同期に口にしたら、その返答に気づかされた。いや、ほんとはこっちが話す前からちょっと気付いていた。

「それ、普通の社会人はだいたいそうだよ」


そうだ。たしかにそうだ。じゃあ自分は「仕事と生活」の他に、何が足りてないと感じているのだろうか。何を求めているんだろうか。


・・・


振り返ってみると、ここでいう「仕事と生活」はそれぞれちょっと狭い意味で使っていた。

仕事にもいろいろとある。

大きくみて「好きなことを仕事にしている」といっても、細かくみていくとやりがいを強く感じるものもあれば、苦手なことや煩雑に感じること、”やるべき”だという事実にネガティブな気持ちが働くものもある。


そう、ネガティブなストレスを感じること、でも食っていくために”やるべきこと”。それらは大概、何かや誰かに強いられているところがあって、おおよそそういうものを「仕事」と表現している。


「生活」なんかはもっと狭い意味で使っている。

人として生きていくために”やるべきこと”。大げさに書いたけれど単純に、食事・炊事とか掃除洗濯とかお金の管理とか。そういうハウスワークのことをイメージした。

やるべきこと、やっておかないと困ること、必要なことが「生活」で、意識的に「暮らし」という言葉とは区別しているつもりだ


ここしばらく”やらなくてはならないこと”、”やるべきこと”にかかる時間が多すぎると感じていて、そこにストレスがあったのだと思う。「ワークアズライフ」はまだ遠い。

余裕のなさに比例するように、部屋は散らかるようになった。



・・・



今の僕に足りていないのは、そういう「仕事」や「生活」のあいだのことなのだと思う。

仕事と生活のあいだのこと。

何かに強いられることなく、自分のやりたいという想いだけで動けることがそこにはたくさんあるはず。

きっとそのあいだにはグラデーションがあって、仕事に近いものも生活に近いものもあるだろうけど、そのあいまいなところにある、役に立つかどうかわからないものはどことなく愛おしく感じるのだ。

そういうものをどうやら求めている。


僕にとって文章を書くことはその一つで、今はまだ仕事ではないし、もちろん生活上不可欠なものでもない。本を読むことだってそうだ。仕事と生活のあいだはグラデーションだから、仕事寄りのこともあれば、全然関係のないことを読んだり書いたりすることだってある。

すぐに役立ちはしないかもしれないけれど、いつか役に立つことがあるかもしれない。役に立たないかもしれない。

イベントや勉強会をしたり、面白い活動をしている人に会いに行って繋がりを広げたり、誰かとカフェで大真面目に語り合って仕事のヒントを得ることもある。

もっと生活に近いところで言うと、いつもより時間をかけて凝った朝ごはんを作ってみたり、天気のいい日に近くの珈琲屋さんまで散歩して豆を買いに行ったりすることだったり、そういう時間は自分にとってすごく大事なことのように思える。


そういう全部が「仕事と生活のあいだ」にあるような気がしている。

それらはおおよそ遊びとか趣味に近くて、

でもそれが、仕事や生活と切り離されずにある。

そんなグラデーションの中にあることに向き合う時間が、自分には必要だと気づいた。




「あいだ」のことを、もっと増やしたいのだ。

そして、そこにあるものについて文章を綴りたいと思う。


仕事と生活のあいだのグラデーションにある、アイデアや気づき、感情の動き、何かに向き合う時の自分のスタンス、時には日記に近いようなエッセイを書くかもしれない。

誰かの役に立ちそうなことを語るかもしれないし、未来の自分への手紙になるかもしれない。


仕事と生活のあいだにあるものを増やしていこう。

そして、それを言葉にして残す場をつくろう。


そこにある愛おしさこそが、自分の核になるもので、「暮らし」といっていいような気もする。


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