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ファシリテーターとしてグランドに立っていたい

職業としてサッカーコーチを始めてから、3年目に入っている。

学生の頃から数えると、少年団のコーチを始めたのが大学1年生の18歳の時で、そこから大学生の指導も含めてもうすぐ10年目になるのだけど、指導というのはいつまでたっても難しい。日々トライをして、「今日はうまくいった」「今日はなんだか難しかった」「それはどうしてなんだろう」の繰り返し。


そんなトライのうちのひとつで、昨年秋ごろからトライしていることのひとつが、子どもたちに「ファシリテーター的」に関わるということ。

コーチというよりむしろ、ファシリテーターとして。


「ファシリテーターってどういうこと?」と疑問に思う人の中には、「ファシリテーター=会議や研修などの司会進行をする人」という理解をしている人がいるかもしれない。

この辺りをひとまず、「ファシリテーションってなに?」に対する今のところの自分の理解を整理しつつ、ほぐすところから今日の話を始めたい。


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ファシリテーターは、うまくいくように支援促進する人

そもそも、僕が職業としている「コーチ(coach)」、「コーチする」とは何か。

実は"coach"には、「馬車」という意味がある。何かを目的地へ運ぶところから、被指導者を目的地まで運ぶ=指導をするというイメージで、「指導者(コーチ)」という意味になる。

語源として、「運んでいく」「連れていく」、転じて「導く」という意味が言葉自体に含まれている。指導という言葉自体、「指して導く」と書く。


一方で、僕がこうありたいと思う「ファシリテーター」、「ファシリテーションする」というのはどういうものなのか。

これはすごく奥が深い話だと思っていて、あくまで現時点の僕の理解という前提でお聞きいただけると嬉しい。

”facilitate"(ファシリテート)を直訳すると、「容易にする、楽にする、促進する」になる。ファシリテーションはそれをすることで、ファシリテーターはそれをするものや人ということになる。


書店などで目にする「ファシリテーション」という言葉のほとんどが、先ほど出した例のように「会議や研修などの進行」の文脈で使われるので誤解されがちだけど、それは「会議や研修などのファシリテーション」の話というわけだ。それらが「うまくいくように」「目的が達成されるように」支援・促進するというのがファシリテーションの本来的な意味だと理解している。


言葉の意味から考えるというのは僕がわりと好む物事の考え方なのだけど、今回もそれをやって見えてきたのは、コーチには向かう、あるいは導く方向があって、ファシリテーターはその色が強くないのではないかということ。


「コーチング」には発問(問いかけ)をして、答えを引き出しながら学びを生む、学んでもらうという瞬間がある。ティーチングとコーチングを区別する、使い分ける軸というのも「教える」か「考えさせる」かというような部分が大きい。

ただどちらにせよ、「こちらの方がきっといい方向だ」と望ましい(と教育者・指導者が思う)方向を目指しているというある意味に恣意性がある。


この辺りに、僕がグランドで、サッカースクールの現場で、「ファシリテーター的」に振舞いたいなと思った理由がある。

サッカーコーチとして未熟で、ついつい「今日のスクールではこういうことがしたい」という思いが強くなってしまうところがある。でも、子どもたちはどうなんだろう?子どもたちがどういう状態になれば、「楽しかった!」といって、しかもちゃんと価値ある学びを携えて家路につけるのだろうか。そう考えるように(ようやく)なったのだ。



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子ども達が問いを作ってくれると嬉しい

先ほど言ったように、ファシリテーションをするには「何を支援・促進するのか」という宛先のようなものが大事になる。

そこで今回は、サッカースクールの話を考える際には「子どもたちがサッカーや運動をする中で、学びと発見をする」というところに置いて考えてみる。


どういう時に人は学びが大きくなるんだろう。きっと前向きに、自分からいきいきと行動している時、楽しんでる時、夢中になっている時って、スポンジのようにすごく吸収力があるよなあ。

自分で「これはどうやったら上手くできるんだろう」とか、「もしかしたらこうすればいいのかもしれない」と試行錯誤する時って、集中するし楽しいよなあ。

そんなことを思いながらトライしているのが、「発問はするけど子ども達の答えをジャッジしない」ということだ。


ある日、すごくシンプルなパスの練習をした。インサイド(足の内側で)正面の相手にボールを蹴るという考えられる限り単純で、単調ともいえる練習。これまで「面白くないだろう」と敬遠していたこの練習にいくつか仕掛けを入れてみた。


30人弱いる子ども達を集めて「今からプロサッカー選手が試合中に一番使っているキックを練習してみよう」といった。

「まずは見せるね」といって、コーチ達2人でパスをする。子どもたちが「インサイドキックだ!」と口々に言ったりする。

「ボールは浮いてる?」「どんな回転をしてるかな?」「そのためにどんな蹴り方してる?」「蹴らない方の足はどう?」と視点のサポートをする。

問いかけに反応して子どもたちもいろいろと答えてくれるが、ここで「いいね」「そうだね」と言わないようにする。「ほうほう」「なるほど」とか言ってる。多分。

途中でコーンでゲートをつくり、「この間を通すことにしようか」として、徐々に「もうちょっといけるな」とコーチ達でコーン間を狭めたり、パスの距離を伸ばしたりする。

ちょっと長いくらいに見せていたら、すでにうずうずしてる子たちも多いので「みんなもやってみる?」と聞くと「やる!!」と言ってくれたので、じゃあ2人組つくって、コーンもそこに色んな色があるから好きに使っていいよ。幅や距離も自分たちで決めて自分たちで変えてみな。グランド広いから好きなところでいいよ。よーしいってこーい!」

急いで2人組を作って、コーンを選び、ばーっと走って広がる子ども達。


こんな一見すると単調な練習が、子どもたちに「やってみたくて仕方ないこと」になったのかもしれない。

「あーー!強くけるとボールが浮いちゃう~!」
「ボールのどこを蹴るといいと思う?」
「んー、この辺?」
「そしたらそこ蹴れるようにやってみてよ。上手くいったかどうかまた教えてね。」

なんてやり取りをする。

「コーチ、教えて!」と向こうからスポンジ状態の子が来ることもある。

一番うれしいのは「もう一度見せて!」かもしれない。


これあくまで「ファシリテーター的」な関わり方の一例であって、すべてこうしているわけではないのだけど、

「うまくプレーするにはどうしたらいいのか」という問いをこちらから与えて考えさせる、その一歩手前に「あんな風にやりたい!」という欲を掻き立てることで、「うまくやるには」という問いを子ども達自身が生み出すような、そんな関わり方をグランドの上で増やしていければいいなあと思っている。



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ファシリテーターとしてグランドに立っていたい

見たいのは、目の前の人、今回であれば子どもたちの「能動性」が発露する瞬間である。

「こうありたい」「これがやりたい」という思いがカタチになるように、支援・促進する人でありたいのだ。

だから最近は、それまで以上に子どもたちを「観る」ということに意識を置いている。コーチなら「観察力」が大事とはずっと言われてきたが、その意味を改めてかみしめている。

子どもたちが夢中になって、いい顔して、集中して、夢中になっている時は、むしろ何も言う必要がないのかもしれない。言っても耳に入らないかもしれないし。

上手くいかない時に、試行錯誤してみることを促してみたりする。それく来にしておく。変化がおきたら、時には声をかけてそれを一緒に味わう。


観察しているなかで、今日は上手くいってるかもと思うのは、「回転がはやい」ときだ。シュート練習でも1対1の練習でも、次の順番を待っている子たちが前の人が終わったらすぐにやり始めている。

「次はこれを試したい」という気持ちでいっぱいになっている。

そういう様子を見ていたい。


そういえば、Twitterのプロフィールには「茨城県水戸市で子供達とサッカーしてます。」と書いてあるのだけど、これを大学のサッカー部の後輩が好きだと言ってくれたことがある。

「コーチしてますとか、指導してますじゃなくて、一緒にサッカーしてますっていうのが、らしくていいですよね」

結構意識しているポイントだったので、素直に嬉しかった。


グランドに、コーチとしてというよりむしろファシリテーターとして立つ、その第1歩として、最近の僕はそんな感じで子どもたちと一緒にありたいと思っている。



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