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◆映画『ミッドナイトスワン』~「この愛情は時空を超えて実るのだ」と思わせる演者のチカラ
草彅剛主演『ミッドナイトスワン』を観た
リアルとは何でしょう
それは各々の生活での
認識/価値観/ベクトルによって
全く異なるのでしょう
凪沙の物語は僕にとって
共感できず
リアルではありませんでした
が、それは
香取慎吾主演『凪待ち』郁男の生き方にも
共感できないのと同じ感覚ですので
このままレビューしたく存じます
最初は「主人公達のサクセス物語か」と思うほどに愛情や活気/希望が生まれる様子にワクワクとしたのですが、段々と雲行きが怪しくなって来る
冒頭から感じたのは周りに内緒とはいえ女性の服を着られる歓びを感じたり、1人の部屋でのびのびとする事も出来ないという凪沙の翳りである
周りの価値観に振り回され自分を気持ち悪い存在と思い込み、自己を否定し他人をも認められずに常に苛立つ凪沙…
しかし一果の存在を認め応援する事の出来た瞬間から、凪沙はそんな自分をも初めて認める事が出来、そこに生きる方向性を見い出したのだと思う
もちろん実際に希望の方向へゆく事も出来たであろう
だが中盤からは行動のチョイスひとつひとつが疑問のオンパレードになる(個人感)
「どうしてそっちに行くのか、どうしてその方法を選ぶのか」と、自分を大切にしないにもホドがあるという感じで愕然としてしまう
時間をかければ何とかなるものを、自らの焦燥と執着と怒りに振り回され自暴自棄となる凪沙…
そしてそんな執着を「母性だ」と強調する事への違和感もあり、その執着するさまを見るにつけキャッチコピーにミスリードがあるとも気づく(『凪待ち』もでしたが)
「最期の冬に母になりたいと思った」のではなく「母になりたいと執着し過ぎて最期の冬になってしまったのだ」と…
そしてバランスが一気に崩れ自分の肉体のケアさえ杜撰になる凪沙
幾らでも自分を大切に出来たではないか?幾らでも助けを求められたではないか?幾らでも心を開けたではないか?
それを出来ない事がリアル、と言う人も居るが
僕の現実ではそれをリアルとは感じない
苦しいからこそ 脱したいからこそ
使える手は全て使って
希望へ向かうのが僕のリアルであり
凪沙の物語は誇張に近い悲惨なケースにしか映らない
しかし!
そこに草彅剛のもつ人間性が或るチカラを発揮するのである
歌において「同じ歌詞でも歌い手が代わると内容が変わる」という現象を見ることがあるが、やはり演者の『持っているもの』で、物語は同じでも圧倒的に意味や雰囲気を変えてしまうのだ
草彅剛が凪沙を演じる事で「ホントはすごく前向きでしょ、いずれ希望が花開くよね、芯の力強さが見え見え」と感じつつ映像が進んでゆくので台詞が少なくともしっかりと愛情を感じるのだ
愛情深く力強く常に前向き…
そんな草彅氏が演じるが故に
ラストを経ても
「この愛情は時空を超えて実るのだ」と思わせる…
この映画は草彅氏の見た事もない&見られると思いさえしなかったあらゆる表情/仕草/表現の詰め合わせの如くの素晴らしい作品であり
表現者/草彅剛氏の持つチカラの
宝箱の如くの稀有な作品となった
.
最後まで読んで戴きまして感謝申し上げます。心の中のひとつひとつの宝箱、その詰め合わせのようなページにしたいと思っておりますです。