本当の愛と、成長するということ

昨日は 12月に亡くなった友人の誕生日で 彼の友人や家族が 馴染みの
ビーチパークに集まり みんなで パドルアウトしました。
亡くなった当初は 家族のみで葬儀をしますと言っていたのですが
時間が経つにつれ 彼の子供たちが 彼の友人たちにも送り出してもらおうと
考えが変わり、彼の誕生日を選んで セレモニーを開いたのでした。
特に海にゆかりの深い人であれば このような形で 故人を送るのは ハワイではごく普通です。 
大抵、カヌーやサーフボードなどで パドルアウトし 水上で サークルになり プルメリアの花や レイなどを 放りながら 水飛沫をあげます。

私は 基本的にどんなに親しくても 冠婚葬祭には参加しません。
仕事柄 知り合いが多く 冠婚葬祭で 破産することも 可能だからです。
それだけではありません、冠婚葬祭などのイベントは 人生には つきもので
ほとんどの人が 通り過ぎます。ですので 特別視しないだけのことです。
ですが 彼の死だけは違いました。人の死に涙を流さない私が 泣いた出来事でした。
思うに、人生で 本当に大切なのは チアリーダーのような存在の 他人なのかも知れないと 思います。
もっとも 身内にチアリーダーがいれば それに越したことはありません。
が 私にとっては 彼が チアリーダーでした。
まだ スタンダップサーフィンが ブームになる前 私たちは ロングボードを使って スタンダップサーフィンを始め そして その後に 専用のボードが作られ 大ブームが起こりました。
そうした 変化の時期を お互いに通り過ぎ また 経験豊富な 彼からの 
アドバイスをもらうことも 多々ありました。そして そんな時 彼の言葉は いつも チアリーダーのようでした。
でも そんなことを 明晰に感じたのは 彼の死後です。
馬鹿話しで 笑い合える相手が 身近から消えたこと。
一緒に パドルアウトする相手が そこにいないこと。
どんな波に どんなフィンをつけたらいいか 気軽に質問する相手がいなくなったことなどなど 彼がいないと 随分 退屈じゃないか?と 感じました。
それだけではありません。小さな町に住み 噂話は すぐに遠くまで 流れて行きますが そんなことを気にせずに 私をルームメイトにしてくれたことや 
私の離婚後に 波乗りだけは 辞めちゃダメだよと 勇気づけてくれたこと。
当時 離婚した相手の家族が ビーチで会うたびに 嫌がらせをしてきたのを 遠くで見ていて 別のサーフスポットに連れ出してくれたのも 彼でした。
振り返ると この人は 本当に ずーっと 私のことを 応援してくれていたじゃないか?と 思いました。それは 私にだけではありません。
彼という存在が そういう人だったのです。
とにかく 争うのが嫌で 平和にしているのが好きでした。
私とも 一つ屋根の下で暮らしていた時期もあったのに “手を出す“と 表現
されるようなことはありませんでした。人の関係は そこで 終わりになることも多々あります。
期待するでもなく、利用するでもなく 彼は 必要とあれば 必要としている人に 必要としているものを(物質的なものではなく)与えることができる人だった
んだと思いました。
そして それこそが 本当の愛なのではないかと 最近 思います。
当時は 近すぎて 気づくことができなかったけど それは いつの間にか
私の中で芽を出し 彼の死後も 私の内側を 照らしているのではないか?と。

私の 元旦那は サーフコミュニティーのリーダー的存在の一人で 離婚と同時に 彼の取り巻きの中で 私に対し 他人行儀になる人たちが いました。それは 私と距離をおかないと どこかで処罰を受けるのを 恐れているような それとも 露骨に「彼の奥さんだったから 友達のフリをしていただけ」と言っているかのようでした。
浮気をしていたわけでもなく キャリアを選択した結果の離婚で このような態度を取られるのは 心外だと 思いながらも どんなコミュニティーでも 古ければ古いほど しきたりや習わしのようなものがあり それがリアクションに
繋がっているだけのことかも知れません。そして そういう出来事は 人間関係を 篩にかけて行きます。
そんなこともあり 私的には 元旦那や 彼の取り巻きとは 距離を置いてきました。
そんなこともあり セレモニーに行ったら みんなに会わなきゃいけないなと 直前まで 行こうか行くまいか 迷ったのです。
が 結局 友人のためのセレモニーなので 行ってきました。
こんな日だからと 私は心の中の ブロックを外し 元旦那に挨拶をすると
20年という時の流れは 彼を 一層 穏やかに変えていることに 気づきました。と 同時に 彼は 変わっていませんでした。
同棲している彼女の悪口を言って 私が今独身なのか?と聞いてきました。
その彼女と 付き合うことになった 18年前 彼は私の悪口を 彼女に言って
同情を誘い 付き合いが始まりました。
私と付き合いが始まった頃 私に当時の彼女の悪口を言って 私の同情を
買いました。パターンなのです。
当時、私は若く 物事を秩序だって 見ることが まだできませんでした。
でも 今回 隣に座って 話しを聞きながら「ほーら また始まった。」と
思いました。
またやってるよ、僕は 可哀想な人なんです。なぜって 僕のパートナーはこんな人だからですと。私の耳は 本気で話しを聞くことを諦めて ベンチのすぐ隣で 演奏されている 音楽を聞いていました。
「僕にだって家はあるんだ。彼女が上から目線で 僕に話すなら 僕は自分の
家に戻るよ。」
私は 心の中で そうしたいなら さっさと 越せばいいじゃない。と
思いました。そもそも 彼女が 頼んでもいないのに 彼女の家に 越してきたのはあなたでしょ?と思うと こんなに 冷静でいられるほど 自分も成長したんだなと思いました。

セレモニーが終わり なんだか 涙は 海に置いてきた気がしました。
そもそも 彼は 私に 波乗りを 継続してほしいと思っているだけで
私が 泣いたりすることは 望んでいないでしょう。
今では 知らせる術はないけれど どれだけ沢山の人が 彼のことを
思い パドルアウトしたのか 彼が見ていたらいいなと思いました。
そして 私は その日 何年も会うことのなかった人たちと 再会することが
できました。その中の 何人かが「彼のセレモニーがなければ 君に こうして再会する機会はなかったんだ。だったら これは祝福だ!」と感動していました。
私自身 ここ数年は 波乗りから 離れ気味になっていて そのことを 
気にかけてくれていた人たちがいたということを 知りました。

スマホが世に出る前のこと、私たちは 人に会い 話しをしていました。
貿易風の吹く 青空の下 体のサイズも 眉毛の太さも気にすることなく
ビーチの木陰で 家族のことや 仕事のことや 波のことや おいしい
食事を出してくれる レストランのことを 話していたのです。
ほんの少しの間 そんな スマホ前の日常が ビーチに蘇り 私はなんだか
その時間に ずーっと 止まっていたいと思いました。







 


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