アセクシャルの素朴な疑問

前にもnoteで言及しているのだが、私はアセクシュアルである。つまり、恋愛感情や性的欲望を恒常的に他者に対してもたない人間だ。

(もっと細かく言うと、恋愛感情を持たないのが「アロマンティック」、静的欲望を持たないのが「アセクシュアル」で、恋愛感情はあるが性的欲望を持たないのは「ロマンティック・アセクシュアル」恋愛感情も性的欲望も持たないのが「アロマンティック・アセクシュアル」で、恋愛感情がなく性的欲望があるのが「アロマンティック・セクシュアル」らしい。私はこの中で言うと、どうも「アロマンティック・セクシュアル」っぽい部分のある「アロマンティック・アセクシュアル」であるようだ。字面だけでもややこしいので、ここではざっくりと双方を持たないことを指して「アセクシュアル」と書かせていただく)

で、そんなアセクシュアルの私からの素朴な疑問。
なんで多くの人は、「恋愛感情で惹かれた人間と」「性的な関係を結び」「結婚して」「子供をつくる」んですか?

そもそも「多くの人」という前提が間違っているかもしれないが、周りを見渡す限り、恋愛感情を持っているという意味で好きな人とセックスをし、結婚して、子供を設けているように見える。
これが私にはだいぶ謎だ。

① 恋愛感情で惹かれる
これは恋愛感情を抱くことがない私にとってそもそもわからない部分である。念の為言っておくと、「ある人間が別の人間を好きである」という状態が理解できないと言うわけではない。家族愛や同胞愛、友愛、その他の絆については理解できているつもりだし、そういった意味で好きな人間はたくさんいる。あるいは、人間的に好きとは別の観点で、容姿等が好きな芸能人は男性にも女性にもいる。吉沢亮を人間国宝にしてほしい。
ただそれらと比べて、「恋愛感情」がどうも特別らしいということは理解できない。ある特定の人間が他のさまざまな絆とは別の枠でとても愛おしくて大切、会いたくてたまらない、とか、その相手に別の相手ができれば嫉妬し怒る、とか、そういったことがわからない。
まあわからないのだが、そういう類の感情があるのだろう。この辺どういう感覚なのかも興味があるので、教えてもらえるとありがたい。

② 性的欲望を抱く
①に比べるとこれはわからなくもない(この辺、「アロマンティック・セクシャル」の気配があるという所以だ)。性的に満たされたいという気分になることはあるし、骨の髄から腐女子であるので推しのスケベが見たい。
ただまあ、具体的な個人と結びつけてその人間に抱かれたいとか逆に抱きたいという気持ちは限りなく希薄である。
女性と性的な関係を結んだことはなくはないが、そこに好意があったかというと、どのケースにおいても別になかった。顔も別に好みではなかったし、そもそも人間的にどうかがわかるほど深い縁でもなかった。要するに相手はフェムタチ女性でありさえすれば誰でもいいのだ。

③ 結婚する
私は「結婚」を、「人間的に尊敬でき価値観を共有できる相手と人生を支え合う契約をする」ことだと思っている。
なので「結婚せねば殺すぞ」などと脅されれば、我が身がかわいいので、15年を超える付き合いになる友人と結婚するであろう(相手も同意してくれそうな気がする)。もっとも女性同士なので、令和元年現在日本ではできないんだけれども。

④ 子供をつくる
これは性行為の結果なので、②と結びつくんだろうな、となんとなく想像しているけれども、はてさて、人に教えられなければ交尾の仕方すらわからない(敬虔なクリスチャンであるがゆえにセックスという概念を知らずに不妊治療を受け続けていたカップルというのが実在するのだ)ヒトにとってセックスはいわばエンターテインメントの一つなのであって、出産との連続性はヒト以外の動物より薄い気がする。
というか、そのへんの相手と手っ取り早く作れば種の保存にもよろしいのでは。より優秀な遺伝子を残すためなら精子バンクなんかのほうが効率的だろうし、まあそれは優生学的思想と結びつくので倫理的にどうよという話もあるわけだが、ともかく、世の中のどこにいるともわからない相手をわざわざ探し選ぶのはだいぶ迂遠なように思う。

で、上に挙げた①〜④って、全部相手別々でいいんじゃないの…?冷静に考えたら。
これらが結合している(ように見える)理由として私が考えた説が、とりあえず以下の2つである。

仮説1:ヒトの多くは本能によってそうするのである
ひとが美しい顔をした人間に惹かれるのは、美しい顔というのは左右対称であって、左右対称であることはすなわち肉体的に健康であるということを示すらしい。本当かどうかは知らないが、そういう仮説を見たことがある。
であれば、美しい人間を見ると、人はその人間を子供をつくるべき相手、すなわち性交渉すべき相手とみなし、その判断が自覚される時「恋愛感情」として表現される。

と考えてみたのだが、以下のような反論ができてしまった。

反証1-a: 同性愛者をどう扱うか?
同性に恋愛感情・性的欲望を抱く人間は全体の1割程度存在する。当然、それは遺伝的に強い子孫を残すこととは直接的には結びつかない。
それが生物としてはなんらかのエラーだとしても(このような考え方は非常に危険だし、私はこれに賛同するものではない)、すでに人間は社会的な生き物であり、そのような判断はそもそも不当である。先に挙げた通り人間において性的な営みはもはや本能によってのみ行われるものではない。

反証1-b: 美しさの価値判断の多様性
美しい人間に恋をするようにできているのであれば、ではなぜ「好み」や「タイプ」といったものが存在するのか。基準が左右の対称性のみに求められるのであれば、同じような顔貌の人間だけが選ばれるはずだし、うーん、こういう言い方はいやだけれど、「ブス同士のカップル」なんて存在しないはずなのだ。けれど、めちゃくちゃ美しい人間同士だけがパートナーシップを結んでいるかというとそんなことはないように見える。なんか身も蓋もない言い方になっちゃったが、これもヒトはもはや本能によって、つまり声が大きいとか羽が立派とか踊りがうまいとかという単一の基準によって相手を選んでいるわけではないということの証左であろう。

というわけで別の仮説を立ててみた。

仮説2: 本来は全部別々だけど、伝統的にそうだからみんなそうしている
①〜④は論理的に考えれば別々のはずだが、何らかの理由によりそれらを一つにまとめることが人間社会にとって都合がよく、いつしか文化の中に埋め込まれたのではないか。
文化人類学的に見れば、子供はカップルの間のものではなくそのクラン全体の財産であるという見方をする文化もあるだろうし、日本においても若者組や夜這いといった文化が存在した。
近代化の過程のどこかで、①〜④の対象を全て同一にしたほうが効率的に社会が構築できるということが発見され、規律化・制度化されたのではないだろうか。

今のところ仮説2について大きな穴はなさそうなので、これが正解とみている。であれば現代の、既存の枠組みを少しずつ崩す多様化の潮流の中で、いずれ①〜④は別々の対象をとるようになるのではないだろうか。

と思っているのですが、どうなんですかね。恋愛感情も性的欲望もあるし結婚もしたいし子供もほしいよ、という方からのご意見をお待ちしております。
本気でわからないので、コメントとかくださると嬉しいです。

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