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●日々雑記/黒豆のかおり

 鍋いっぱいの黒豆を前日から水に漬けて置いた。
 朝起きると、昨日までちいさく縮こまっていた粒たちが、汁を目いっぱいすって、きれいに膨らんでいる。すこし感心して、寝起きのカフェオレを飲みながら鍋を火にかけた。
 今日、はじめて黒豆を煮る。

 幼いころは、祖母がお重いっぱいのおせちを作ってくれた。こんにゃく、れんこん、数の子、いくら、田つくり、角煮、昆布巻き、栗きんとん。それに、黒豆。小さい私には、それらのおいしさがいまいちわからなかったけれど(実を言うと、昆布巻きのおいしさは今もいまいちわからないのだが)、正月独特なひんやりとした空気と、お座敷に座ってみんなで囲む非日常な空間が好きだった。
 年を経るとともに、祖母も老い、今では父がおせち料理を通販するようになった。それでもまめな祖母は、毎年れんこんや数の子、栗きんとん、田つくりなんかを炊いて、食卓に並べてくれる。父が注文した豪華なおせちも悪くはないが、家族はなにより、祖母のおせち料理が大好きだ。

 今年の黒豆は、私が炊くね。
 そういうと、祖母が嬉しそうに笑った。ありがとねぇと笑うしわくちゃの顔が好きだ。
 年末になると親戚が黒豆を届けてくれる。ふっくらとして、まるまるとした、黒豆。もちろん、買うおせちにも入ってはいるが、やはり家のものが一番おいしいと、毎年食べ比べながら思う。
 黒豆はね、と、祖母は炊き方を教えてくれた。前日から水につけて、一日がかりで弱火で炊く。さとう、しょうゆ、少しの塩。最初は強火で沸騰させて、あくを丁寧にとる。あとは、鍋の様子をときどきみながら、我慢比べ。
 焦がさないようにじっくりと煮ていると、部屋の中に懐かしい香りが立ち込めた。
 お正月の、香りだ。
 そう思った。
 大人になるにつれて、年末の高揚感や、年明けの特別感は次第に薄まっていくものだ。去年より今年、今年より来年。正月はそのうち、ただのなんでもない一日になるのだろうと思っていた。年末、って感じしないね。なんて、よく家族とも言い合って、そうやって、大人になっていくのだと思っていた。
 でも、今日、確かに私は鍋の前で年の瀬を感じていた。
 ふっくらとやわらかくなった黒豆を、おいしそうに家族が頬張る姿を想像して、少しだけ得意げな気持ちになる。
 日が暮れるころには、ぷっくりと美味しい黒豆ができあがった。初めてにしては上出来な、皺のないまんまる。さっそく、出来立てを夕飯に一箸出そう。それと、明日会う予定の友人にも、瓶に詰めてお歳暮に。
 大人には大人の、正月の楽しみ方がある。
 ひとあし先に。
 味見でつまんだ一粒は、やわらかく口の中でほどけて、一足早い年明けを連れて来た。

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