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人は生まれたときから自由だ

私も、母も、生まれたときから自分の体と自分の意思を持っている。誰にもそれを侵されないし、誰もそれを侵してはいけない。これを、人権というのだと、ずっと思っている。

母は、自分のことが嫌いだ。母が私と馬が合わないのは、私が母に似ているから。自己主張がはっきりとしていること、負けず嫌いの気があること、理不尽が許せないこと。
でも、母は私ではないし、私は母ではない。

母は自分が嫌いだ。私も、自分があまり好きではなかった。

好きではなかった。でも、今は少しだけ好きだと思える。
あるいは、私のことを好きだと言ってくれる人物を知っている。
家族のように血のつながりがなくとも、遠くとも、私は私に向けられる愛を知っている。だから、自分が嫌いな時があっても、自分のことをいじめたくはない。苦しい状況に自分を置くことは、何一つ解決にならない。苦しがっていることで証明される正当性なんぞ、この世には存在しない。

本当に、私が得た出会いは僥倖だったとしか言いようがない。
自分を駄目だと思い込むことは正しいことではないと、根気よく伝えてくれた人がいる。毎晩泣きながら、それでも独りの夜を過ごさずに済んだのは、本当に僥倖だとしかいいようがない。

人にやさしくしたい。私も、だれかにとっての僥倖でいたい。

私は私だよ。ここにいる、ここで生きている。誰にも邪魔されないし、侵されない。

母も母だ。たとえ病で働けずとも、幸せになる権利がある。毎日布団の中で苦しんでいることは、なんの正当性にもなりはしない。病を抱えている人間が不幸である必要性なぞ、どこにもないのだ。出来れば、母に幸せになってほしい。いらない呪いを全部捨てて、57年間続けた自己嫌悪をやめてほしい。

そうしたら、母は自分を愛せるだろうか。

そうしたら、母は私をまっすぐ愛してくれるだろうか。

母娘は難しい。母が受けた呪いが、私に降りかかっているのを感じる。

私はこの呪いを自分の愛する人に向けずにいられるだろうか。
誰にも、この呪いを向けたくない。
私は私を愛したいし、貴方は貴方を愛していいんだ。
どんな人生だって、どんな体だって、人は生まれたときから自由なんだ。自由に、幸せになっていいんだよ。

そういうことを、母に話した。
きっと、一回じゃ伝わらない。頭でわかっていても、長年染みついた自己嫌悪は解けて行かない。ゆっくりと、伝えていくしかないのだろうなと思う。私にそのことをゆっくりと伝えてくれた人がいるように。

エッセイをちゃんと書こうと思ってたけど、時間と情緒の問題でまたポエムになってしまった。こうやってどこか冷静っぽいコメントを最後に残すのも、言い訳してるみたいで生々しいなぁ。

でも、本当にそう思ってる。幼いころから、いつだって、叫んでる。

私はここにいるぞ!!生きて、自由だ!私の体も意思も私のものだ!
お前も自由で、幸せでいろよな!!

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