【世界で一番タフな15歳】と家出をする。(『海辺のカフカ』感想文)
「君はこれから世界で一番タフな15歳になる」
カフカ少年は15歳の誕生日に旅に出る。私は彼の隣についていく、静かに。15歳。私も家出をよくしたけど、彼のように遠くに行くことはなかった。せいぜい近場の漫画喫茶に一時避難するだけで精一杯。東京から四国への道行きには遠く及ばない。
だから、私は彼と一緒にもう一度家出をしてみることにした。世界一タフな15歳がどこまで行くのか、見届けるために。
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『海辺のカフカ』を読了した。
上下巻を二日に分けて一気読みした。あとには、「面白かった」という感想が残った。
村上春樹作品を読むのはこれで二作目だった。『風の歌を聴け』は「正直ピンとこない」が素直な感想だったけれど、『海辺のカフカ』に関しては、「これはまた読み直すだろうな」という気持ちを抱いた。
それで、小学生の頃に戻ってもう一度「読書感想文」なるものを書こうと試みている。二度読んだとき、三度読んだときに、どんな違いが出るのかを見るためでもあるし、文章を「受け取る」姿勢の練習のためでもある。
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この小説にはたくさんの引用が登場する。私は教養がないので戯曲もオペラも知らないし、カフカの小説を読んだこともない。酒を飲まないので「ジョニーウォーカー」も知らない。ぎりぎり夏目漱石は何作か読んでいるが、作中に出てきたものは未読だし、「菊花の契り」も作名を聞いたことがあるくらいだ。知ってるのは「カーネル・サンダーズ」と、六条御息所くらいなもので、『源氏物語』が出てきたときだけ、知らない人ばかりのクラスで同じ中学校だった子をようやく見つけた、みたいな気持ちになった。
カフカ君と大島さんの会話を隣で聞きながら、本当にこいつは15歳かと舌を巻いた。私の15歳はラノベに彩られていた気がするので、余計。
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カフカ少年の家出は、最初はごく普通の家出である(家出にごく普通があるかはわからないけれど)。多少、用意周到なところはあろうが、基本的には大人を恐れて、サングラスをかけてクールなふりをしてみたりする。だけど、彼の旅は次第にあらぬ方向へと向かっていく。不思議なことが起こったり、不思議な人と出会ったり、恋をしたり、山に入ったり。
特に印象深いのは山の描写だ。私はボーイスカウトをしていたので、野営によく出かけた。「キャンプ」ではなく「野営」なのがポイントで、「キャンプ地」でなく「野営地」で行う。そこは本当に山の中で、トイレすらない。我々は穴を掘ってトイレを作り、テントを立て、川の水でのどを潤す。
カフカ少年が山に入るシーンは、小中学生のときに体験したあの野営地を思い出させる。真っ暗な森と、木々の音。誰かがいるかもしれないという恐怖と、同時に感じさせる解放感。
少し迷うと、戻ってこれなくなるかもしれないという恐怖まで。
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私は村上春樹二作目だから、彼の作風をほとんどしらない。最初はリアリズム小説を読むつもりでいたのに、次第に雲行きが怪しくなり、幻想小説へと足を踏み入れる。比喩とメタファーが行ったり来たりして、よくわからなくなる。中盤は「よくわからないな」という印象が強くなる。だけど、後半に向けて、特にナカタさんと星野青年の話が、冒険活劇の様相を呈してくることに驚いた。入口の石を探す奇妙な旅路は、冒険活劇のようで単純に面白く、次の展開が気になってしょうがなくなる。
単純にカフカ少年の話だけなら、中盤で私は「わからないな」の渦のなかでぐるぐるして目を回していただろうに、そこにナカタさんと星野青年が登場することで、水先案内人の役割を果たす。この構成が、読者を物語から振り落とさずに最後まで導いてくれたのだと思う。
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そして旅は終わる。
カフカ少年は帰りの新幹線に乗り込み、もとの場所へと帰っていく。
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小説は旅だと思う。それは何重もの意味で。
私たちは小説の中で旅をして、現実に戻ってくる。戻ってくると、その前の自分とは少しだけ違うことに気が付く。あるいは気づかなくても、やっぱり読む前の自分には戻れない。
主人公は小説の中で旅に出る。どんな主人公も、必ず旅に出る。そして最後は元の場所に戻ってくる。この、戻ってくることが重要だ。
いつまでも小説の中に入れないし、いつまでも旅はできない。私たちには日常があって、それはつまり人生だ。旅に出たままということは、自分の人生を放り出すことと同義ではないかと、私は思う。
カフカ少年は戻ってきた。
最後に彼は大島さんと会話をかわす。東京に戻るといったカフカ少年に大島さんは言う。
「なるほど」と大島さんは言う。目を細めて僕の顔を見る。「たしかにそれがいちばんいいかもしれない」
「そうしてもかまわないような気が、だんだんしてきたんです」
「逃げまわっても、どこにも行けない」
「たぶん」と僕は言う。
「君は成長したみたいだ」と彼は言う。
僕は首を振る。僕にはなにも言えない。
それは大島さんが言う様に成長かもしれないし、ある種の諦めかもしれない。父と血がつながっているという事実はどうしたって変えられないと、物語中少年は何度もそう思う。そうしたことを、受け止める、ということかもしれない。
そして彼は帰っていく。彼の人生へと。だけど、旅をした彼は旅をする前の彼ではない。私が小説を読む前の私ではないように。
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さて。これが読書感想文になっているのかどうか、私にはわからない。私が『海辺のカフカ』を読んで感じたことを言葉にしようとすると、こういう散文的なものになってしまう。だけど、まずはそこから始めてみる、でいいのかも。
ちなみに、並一通りみたいな考察をすると、私は佐伯さんはお母さんではないと思う。まあ、きっと母だろうが母じゃなかろうが、どっちでもいいんだろうけど。それでもあえて言うのなら、あの山の中で彼女の血を啜ったことで、母となったと考えられる。父の血を物理的に引き継ぐのに対して、佐伯さんの血を物理的に摂取することで彼女を母としたのだと思う。あくまで可能性の一つとして、だけど。
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ということで、読書感想文は終わり。先生に花丸をもらうことを考えずにかける文章は楽しい。また気が向いたら書きたい。
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