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chapter9: ココちゃんが帰ってきた

そんなこんなで、てんやわんやの毎日だった。父の告別式の翌日は、生前の父が企画していたクラウドファンディングの応援ライブがあり、やっぱり中止にせずにやろうと決めた。連日だというのに父の親しい飲み仲間が来て下さった。ライブを楽しみ、そのあとは会場をお借りしたオーナーさんも交わっての飲み会となり、スーダラ節を歌ったり、思い出話にふけった。 そのクラウドファンディングの英訳をお願いしていたMさんからも連絡があり、今の文章では外国のお客様には伝わりにくいということで、翌日は原文を直す

    • chapter8: ストロークケアユニット

      SCU・・・ストロークケアユニットに親戚たちが集まる。母は脳梗塞で倒れてから予断の許さない状況であったが、父が亡くなったことを伝えるかどうか。親戚一同から、伝えるのは反対、お願いだから母まで連れて行かないでくれ!みたいな話になった。 え~!それは伝えるでしょ。と、私は独り思っていて・・・というのは、ずっと嘘はつけないし、いずれ何処かのタイミングで言わなくちゃいけないんだったら、今でしょ。という私の気短な性格ゆえなのだが、それだけでなく、父のお葬式で先払いする分、自分の預金を

      • chapter7: 煩悩の数のビール

        2019年6月27日。父が亡くなった。 看護士さんがその場を離れた後、父と娘、二人きりの時間を部屋で過ごしている。この時、私の中に悲しみはあったが、自分がこの後を仕切らねばならない。そんな事ばかりが頭に充満していた。一人っ子なので、親戚に助言は貰えても、結局、決めるのは私しかいないのだ。 そのとき母は、父の治療法がもう無いと医師から告げられて、その診察室を出た廊下で倒れ、脳梗塞のSCUに入っていた。 父だったら、どうしたら喜んでもらえるだろう・・・と考えた。結果、死に顔を整

        • chapter6 : 1997年の写真随筆(2)

          そう、このころ住んでいた家は都市計画に土地がひっかかり、ウチの家族は立ち退きに反対だったのだが、近所に住む方たちが皆、割と簡単に市と和解し、どんどん更地になっていく中、今の東京暮らしに戻る選択をしたのだった。 今の東京暮らしも面白いことが日々あるけれど、畑を借りて野菜を育てたり、山で摘み草したりは掛け替えのない時間だった。 もう20年以上前になるのか。今は亡き父の写真随筆をひらいてみた。 私たちの身近に咲く花や、樹木、野菜たち、そんなものを写真に撮りたいと思い始めたのは、

        chapter9: ココちゃんが帰ってきた

          chapter6 : 1997年の写真随筆(1)

          私がなんとなく思い立って、つらつらとnoteに書き始めた記録。 それは家族の記憶であるが、同じように私とだいたい同じ年頃に、父が書き残した写真随筆をひらいた。これも家族の記録。 ”1997年、平成9年。私は49歳になった。 来年はいよいよ50歳。 まもなく半世紀を生きたことになる。 思わずブルブルっとする。 考えてみると私の人生、なんとも隙だらけ。 よくここまでやってこれたものだ。そう思うと、また震えがきた。 だけども、どっこい、わたしの周りは自分の好きなものだらけでもあっ

          chapter6 : 1997年の写真随筆(1)

          chapter5 : 父のかき氷

          母が脳梗塞を発症し、scuへ運ばれた翌日。父の訪問看護の第1日目が始まった。 看護士さんが体温、血圧を測ったのち、触診をした。その即座の判断で、スケジュールには組まれていなかった医師が家に来ることになる。 そのときには変化に気が付かなかった私も、医師を待つうちに、父の容態が明らかに急変していくのが分かり、慌てた。医師が到着し、「家でこのまま過ごす事も、ホスピスに行くことも出来ますが、どうされますか?」と問われたので、家でこの状態を診るのはちょっとムリです!と私は答えると、た

          chapter5 : 父のかき氷

          chapter4 : 母の脳梗塞

          「しかし、ママをどうしたら良いかねぇ。」と父と相談を交わす。 父の癌の治療が終わった日以来、母が食べ物を受け付けなくなって二日目になる。 休日だったので、かかりつけ医に連絡が取れず、困って、父が検査でお世話になった近所の病院に電話し、事情を説明すると、直ぐにいらしてくださいと言ってくださった。 衰弱した母を車で運んで、点滴を打ってもらった。 一方、癌を患っている父は父で、ふたたび病院へ行き、訪問医療と介護も受けられるホスピスを紹介くださる話を固めた。 最後の手続きは、代理

          chapter4 : 母の脳梗塞

          chapter3 : 食べられない。食べている。

          父は癌が見つかってから5年の間、もちろん入院を何度もしたが、基本的には家で過ごすことができていた。 父は癌という病に対峙するにあたって、なんとなく嫌だなと感じることに従順であったような気がする。 なんといっても最初に癌が見つかったときの、医師の話し方に傷ついた。余命6か月と言われたが、その6か月をこの先生の元で過ごすのだったら、放ったらかす事を選択するべく、お金を出して、そのような考え方をすることで有名な先生のセカンドオピニオンを伺いに行った。 ところがそこに行ったら、

          chapter3 : 食べられない。食べている。

          chapter2 : なにはともあれ家は良い

          癌と闘ってきた父に、これ以上の治療は難しいと医師から話があった日。その診察室を出た廊下で、母が倒れてしまった。 騒ぎが終わった頃には、時計が23時を回っていた。 父も憔悴しているし、これから1時間強の旅を要する帰宅は難しいかなと、近くのビジネスホテルへと、二人をタクシーで送った。私はホテルの部屋を確認し、必要品をコンビニで買ったあと、二人と別れ、母が運転してきたワーゲンゴルフを取りに病院へと戻った。 が、気が動転していたのか、キーをホテルに置いてきてしまったことを、車のド

          chapter2 : なにはともあれ家は良い

          夏至の日 見たことないもの 生まれたし

          「あなたは頑張ってきた」 と、インターネットの中で、今までずっと励ましてくれていた、vogue連載しいたけ占いの、今週の運勢を読んでみたら、トーンが変わっていた。 「ちょっと昔を振り返りたい」と。 そして「独立」の時期が来たとも書いてある。 そうなのだ、ずっと頑張ってきたのだ。 でも、その記憶を残しておけるのは今が最後で、このタイミングを逃すと、新しい自分に変わってしまって、全て忘れてしまいそうな気もする。 だから、手のひらのスマホのノートに、言葉を残し始めた。 これから

          夏至の日 見たことないもの 生まれたし