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chapter6 : 1997年の写真随筆(2)

そう、このころ住んでいた家は都市計画に土地がひっかかり、ウチの家族は立ち退きに反対だったのだが、近所に住む方たちが皆、割と簡単に市と和解し、どんどん更地になっていく中、今の東京暮らしに戻る選択をしたのだった。
今の東京暮らしも面白いことが日々あるけれど、畑を借りて野菜を育てたり、山で摘み草したりは掛け替えのない時間だった。

もう20年以上前になるのか。今は亡き父の写真随筆をひらいてみた。

私たちの身近に咲く花や、樹木、野菜たち、そんなものを写真に撮りたいと思い始めたのは、親父の遺墨展を開催した頃からのような気がする。
いやいやもしかしたら3年ほど前、ホームビデオを購入した頃から、それはもう始まっていたのかもしれない。ご存知のようにビデオカメラにはズームがついていて、寄り引きズームで簡単に構図が変えられる。これが素人の私には、とても嬉しい出来事だった。
それと同じことが起こったのが、オートボーイZOOM105だった。
これで撮り始めて、やっと写真らしいスナップが撮れるようになったのだ。
もちろんすべてカメラ任せの手軽さが、私にフィルムの無駄遣いを助長させている大きな原因であることも、百も承知の上のことである。と、まぁ、そういうことで、最近、植物たちの写真を盲滅法撮っている。
そして思うことは、とにかく自然というものは本当に素敵だということである。季節というものは、付き合えば付き合うほど絶妙だなぁという実感である。
そのままに置いといてもいいし、ちゃんと失礼のないようにそのいささかを手折って、例えば花器に飾ったりすると、なにやらそれは素朴なアートといったような気持ちのいい芳香を放ってくれたりもするのだ。

ピーッ、ピーヨと笛のような声で、鵯(ひよどり)が鳴いた。番の鵯だった。
木蓮の梢から、バサバサと羽音をたててその鳴声が空高く舞い上がると、今度は安心したように雀たちが、リビングルームの窓の外に設けた餌台で、旨そうにパン屑を啄み始めた。他にもここには、目白や鶯がやってくる。今日も一日天気が、よさそうだった。
ラッキーがリビングの日溜まりで、私と同じように大きく伸びをした。妻が気に入りのティポットで紅茶を入れている。少し開けた窓から吹き込む風は、もうすっかり春の風だった。
「散歩、一緒に行くだろ?」
紅茶を飲み終えると、私が妻に言った。ラッキーはもう大騒ぎだ。
「ンー、お天気がいいから・・・。」
妻がそう応えるか応え終わらないうちに、私はラッキーに急かされてもうスニーカーを履いて、勝手口に立っていた。家を出て、暫らくだらだらの坂を登ると、以前までは一面の蜜柑山だった辺りまでやってきた。随分、この辺りの景色は様変わりしてしまっていた。この春開校するキャンパスの工事が、急ピッチで進められている。よく晴れた空に、箱根の山並が美しい。
春の愉しみのひとつは、野草摘みである。私たちはそろそろと歩きながら、道端の草叢や土手の野草に注目をした。もう何年か田舎暮しを経験すると、何処に何があるかだいたい分かってしまうから、面白いものだ。蕗の薹の一群が顔を出しているのは、荻窪用水脇の土手。私たちは薹の立ち過ぎているやつをさけて、いくつか摘んだ。
「蕗味噌もおいしいけど、私は蕗の薹を細かく刻んでお味噌汁にさっと落とすのが、香りがよくて大好き・・・。」
妻はそう言って、蕗の薹を鼻先に近づけた。
「何ともいえない苦さが、旬を感じさせてくれるからね。土筆も摘んでいこうか・・・。」
蒲公英の葉も、柔らかそうなところをサラダに少し。」
雲間から差し込んだ薄日が、そう言う妻の輪郭を優しく浮かび上がらせている。日一部(ひいちぶ)、日一部、遠くで雲雀が鳴いたような気がした。

5月。この頃、朝がいい。休みの日は、特にいい。勿論、晴れていなければだめだ。まだパジャマのままで眠い目をこすりながら応接間まであるいていくと、ガラス戸を開け、庭に差し込む朝の光に、私は生きている喜びを感じるのである。










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