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chapter4 : 母の脳梗塞

「しかし、ママをどうしたら良いかねぇ。」と父と相談を交わす。
父の癌の治療が終わった日以来、母が食べ物を受け付けなくなって二日目になる。

休日だったので、かかりつけ医に連絡が取れず、困って、父が検査でお世話になった近所の病院に電話し、事情を説明すると、直ぐにいらしてくださいと言ってくださった。
衰弱した母を車で運んで、点滴を打ってもらった。

一方、癌を患っている父は父で、ふたたび病院へ行き、訪問医療と介護も受けられるホスピスを紹介くださる話を固めた。
最後の手続きは、代理でお前が行ってくれと父に頼まれ、私がソーシャルワーカーから詳しい説明を受けてきた。それから要介護度の認定調査を依頼したのだと思うのだが、時系列が定かでない。

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でも、それより前に母が救急車で運ばれたと思う。

これはメモが残っていて、自宅に戻ってから点滴を受けて10日後。夜中に母から足に血栓が飛んだ自覚があると言われ、慌ててネットで専門の病院を探し電話をかける。が、その程度では判断しかねるし、救急搬送されても満床であると断られる。

そこで、点滴を受けた病院に電話をすると、救急車でいらしてくださいと、私は人生で初めて119番をプッシュした。

母、入院。
こうなると母の兄弟にも知らせねばと、連絡を入れると、親戚たちが病院へ訪れる。あそこのベッドは今だに昭和で、ボロイだ何だと言われたが、どこでも入院が叶わなかったので、あの病院が受け入れて下さった事には大変感謝している。

親戚や従兄弟たちは母の所に先ず行って、その足で父にも面会しに家に立ち寄るというコース。とんだ出来事ではあったが、親戚が代わる代わるやってきて賑やかな日々には、私も救われた。

丁度そのころ、母とは別に、父の訪問医療と介護も始まった。
私は看護士長さんが最初に家にいらしたとき、父に強い握手を求め、これから宜しく!って同志の様な振る舞いをしてくださったのを強く覚えている。


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しかし、入院4日後に母の病状が急変する。悔しいのは、毎日通院していたのを、一日お休みした日だったことだ。
電話で慌てて病院に行くと、完全にぐったり、うな垂れている母がベッドにいた。担当医に呼ばれ、「敗血症の疑いがあり、御父上も大変なのは承知だが、お母様の命も危ない。」と言われて、驚愕する。

そこで、有難かったのは、「私が何とかします!安心してください!」的なことを決して言わずに、先生が正直に、「もはや自分には分からないので、どこか御家族でもっと大きな病院にアテがありますでしょうか?紹介状は書きますので。」と言って下さった事である。

そのとき私は、父の手術をした総合病院が即座に頭に浮かんだのだが、一人で決断できず、従兄弟に相談の電話をした。すると、従兄弟が、その病院は家から距離があるから、お前が通うのに大変だ。だから従兄弟の家族がお世話になった病院が良いということになり、そこの紹介状をお願いする事に決まった。

紹介状を先方の病院へ送ったが、その日が土曜日だったため、返事を一日待つことに。そして、次の病院へと救急車で運ばれる母。従兄弟も一緒に来てくれた。その場所で脳梗塞と診断され、SCUに急遽運ばれることになった。私は一人っ子で独身なので、従兄弟が保証人に名を重ねてくれたことに、大変助けられた。

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