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chapter8: ストロークケアユニット

SCU・・・ストロークケアユニットに親戚たちが集まる。母は脳梗塞で倒れてから予断の許さない状況であったが、父が亡くなったことを伝えるかどうか。親戚一同から、伝えるのは反対、お願いだから母まで連れて行かないでくれ!みたいな話になった。

え~!それは伝えるでしょ。と、私は独り思っていて・・・というのは、ずっと嘘はつけないし、いずれ何処かのタイミングで言わなくちゃいけないんだったら、今でしょ。という私の気短な性格ゆえなのだが、それだけでなく、父のお葬式で先払いする分、自分の預金を使ってしまって、お金を全然持っていないうえに、残りを父の口座からおろそうと思ったら、口座が凍結されてしまったという、割と情けない一因もあった。

いろいろ母に相談せねばならない事が山積みなのだ。

こんな風に決められずにいる話は、病院に駆けつけてくださった友人から同じビルに住むTさんにも伝わった。それから連絡をいただいて、連れ合いの死を言わないのは、たとえそれで何かあったとしても駄目よと、私の肩を持って下さった。父が母と一緒に天国へと旅立つイメージが膨らんでいる様だった。それだけ、父と母は仲が良かった。

これに反して、母のお兄さん二人は、妹の生死を分ける重要な判断という事で、ずっと反対の立場で母のことを守ってくださった。それでも私は、伝えることに固執し、曲げなかったので、最後に叔父たちは、私の判断に委ねると言って下さった。

こうして皆でベッドを囲み、私から母に、父が亡くなったことを丁寧に伝えた。そうしたら、父が酔っ払ったときに陽気に出していたVサインを母が真似して、明るく「パパはV」と言ってくれたのである。そこにいる皆が安堵の涙を流した。

この時のシーンを、私は家に帰ってきてから、直ぐに文章にして、父のお葬式の時に配ることにした。下記が私が書いたご挨拶である。

この度は、父の葬儀にお越しくださいまして、誠にありがとうございます。本来は喪主である母がご挨拶するものですが、父が癌の治療を終えたとき、その病院で倒れてしまいまして、現在、脳塞栓症の診断で集中ケアユニットというところにいます。
 父の旅立ちを伝えたところ、「パパはV」とヴィサインを見せてくれて、よく頑張ったと、私の頭を撫でてくれました。それからは、お葬式の準備の話も出来ますが、帰り際になると、パパの夕飯のおかずの心配をしています。こんなふうに、父のことになると曖昧な母ですが、その他はしっかりしていて、リハビリも始まり、快方に向かっていると感じます。大丈夫です。
 父の最期を看取った私としては、その時間を忘れることは出来ませんが、けれども、今日も父の夕飯を思って、コロッケをもう一つおまけに買ってみる、そんなこれからの日々も良いかなと思っているところです。
 今日お集りくださった、大切なお仲間たちとの思い出も、ひとつ、ひとつ、いつまでも輝き続けますように。本当にありがとうございました。



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